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瓦礫の下のティンカー・ベル

作者: 楢 なお

 今日のナジムは、探検家だった。


 四日前には、海賊団の一員だった。

 船長役のサヒーラは二つ年上だったが、他の子供たちはナジムと同い年だった。けれど、いちばん背が低いナジムは、いつもの様に、いちばん下っ端の役をあてがわれた。

 不満は、これもいつもの様に、顔に出すだけに留めた。この街には、彼らしか子供がいなかったから。仲間はずれにされて、友達を失うのが怖かった。


 海を見たことがない子供達は、街の外に広がる、戦闘や爆撃で荒れ果てた大地を海に見立てた。

 あちこちに落ちている石は、船の大砲になった。標的の敵船は、船長の頭の中。サヒーラが指差す虚空へと、一斉に投げつけた。彼らはその日、常勝無敗の海賊だった。


 次の日、子供たちは、勇猛果敢な古代文明の軍団となるはずだった彼らは、兵士となる前に脆くも敗れ、この世から消え去った。──ただナジムを除いて。


 その日、ナジムは、家の地下にいた。

 前日、仕事から戻った母が、ナジムを閉じ込めたのだ。いつも通りに酒に赤らんだ顔で、「お前が、悪い」と繰り返す母親に、彼は抵抗しなかった。どうせ、逆らえない。

 これまでも何も悪いことをした覚えはなかったけれど、母は時々、ナジムに「しつけ」をした。

 

 政府軍の兵士と「仲良くする」のが仕事である彼女は、上手くいかなかった時には、いつも矛先をナジムに向けた。それでも、ナジムは母親が好きだった。

 彼女の仕事が上手くいった日は、機嫌が良くて優しかったから。何日か前も、この街では他に誰も持っていない、小型の通信機を触らせてくれた。映像でやり取りができる最新型は、彼を夢中にさせた。

 

 閉じ込められたナジムは、暗闇の中でずっと、母親の仕事が首尾よくいくように祈っていた。閉じ込められる前に、友達と交わした約束を思い返していた。

 海賊の次に、兵士として勇ましく駆け回る自分の姿を想像してみた。皆を庇うように先頭に立ち、木切れの大剣を携えて、立ちふさがる敵をなぎ倒す。夢想の中の自分は、疑いようもなく、他の誰よりも勇敢な軍団長だった。

 

 静寂の中、船を漕ぎ始めていたナジムは、断続的に続く鈍い地響きに目を覚ました。

 身を固くして隅で縮こまっていると、入口の閂が外される音がした。

 母かと思い飛び出しかけたが、扉から覗き込んだ顔は、隣に住む老女だった。この街で、ナジムが母親から受ける「しつけ」を知る、ただ一人の存在だった。

 彼女は母と違って、いつもナジムに優しかった。彼が閉じ込められると、翌朝には彼女が必ず外に出してくれた。それを知る母親は、息子を閉じ込めたまま外出し、何日も戻ってこない事もあった。

 いつも優しい老女。それでも、やはり彼女は、ナジムにとって母ではなかった。

 手招きする姿に、素直に従って外に出る。差しのべられた手を取り、数時間ぶりに外に出ると、いきなり強く抱きしめられた。

 しばらくの間、降りかかる嗚咽を浴びた後、手を引かれて家の外へと足を踏み出した。

 

 陽は、すでに中天にさしかかっていた。

 街のあちらこちらから立ち昇る煙は、昼餉の準備としてはやけに多かった。

 手をつながれたまま、ナジムは大通りへとやってきた。そこには、街の外でしか見たことがない人型歩兵が、蹲るような格好で壁にもたれかかっていた。

「人型」とあるように、それは決して人間ではない。政府軍が、長い緊張状態が続く地域への威嚇用に、武器を支援してくれる強国から手に入れた、人的資源の損耗を最小限に抑えるための兵器だ。

 与えられたプログラムに従い、漆黒の身体に、人間が扱い得ない大口径の重火器を装備する。

 

 その近くに、赤い水たまりが放射線状に広がっていた。

 その中に細かい物が散らばっていたが、ナジムには、それが何か判らなかった。

 赤い水は、街の通りに、幾つも広がっていた。もしも、人型歩兵が持つ火器が、30mm弾を連射するようなもので無かったら、対象の形を残すような威力だったならば、水たまりに残る物の正体がナジムにも判ったかもしれない。

 石造りの家々は、至るところが崩れ落ち、残った大人達が、大通りに固まっていた。何人かの女性が、泣き崩れている。その中に、子供達の姿は無かった。

 サヒーラ達の居場所をたずねたところ、手を繋いだままの老女は、涙を流しながらナジムに伝えた。あんただけでも、助かってよかった、と。


 ナジムは今日、この街でたった一人の探検家となった。

 

 仲間も部下もいない、小さな冒険者は、瓦礫の山に立っていた。

 時は今、二千三百……何年だったか。勉強を教えてくれていた遠い国からきた教師達は、サヒーラ達と同じ日に姿を消した。

 ここ数年保たれていた停戦状態が終わり、戦いが始まったので、自分たちの国へ帰ったのだ。それを聞いたナジムは、てっきりサヒーラ達が彼らについて行ったものと思い、皆に問い質したが、大人達は困ったような顔をして答えてくれなかった。

 死んだのだ、と何度聞かされても、ナジムには納得できなかった。

 停戦中に生まれた彼は、未だ戦禍(しかも、対人としては行き過ぎた兵器)の犠牲者を見たことが無かった。以前、街いちばんの年寄りが死んだ時には、動かなかったけれど、確かに身体はそこに在ったのだ。

 自分ひとりを仲間外れにして、サヒーラ達は連れ立って遠いところへ行ってしまったのだ。

 

 今まで下っ端の役回りで、とくに台詞も無かったナジムは、地下室で想像した通りの台詞を、思うがままに叫んだ。

 ひとりぼっちの英雄の、勇壮なはずの号令は、甲高い悲鳴となって高い空に吸い込まれていった。いつまで待っても、仲間たち軍勢があげるはずの鬨の声がきこえてこないので、彼はあきらめて、軍団長から探検家へと戻った。

 瓦礫の山を登ったり、軽そうなものをひっくり返して、見つけた物を地面に並べた。手に入れたのは、絵皿の欠片が幾つかと、敷き布の切れ端。幼い彼に手が届くのは、精々そんなところだった。

 

 探検の成果としては、甚だ芳しくないところだった。

 しゃがみこんで入手品を検分していたナジムは、立ち上がってため息をついた。朝早くに家を出て、かなり歩き回ったと思ったのに。

 陽の高さは、あまり変わっていない。皆と一緒だったら、あんなにあっという間に一日が過ぎたのに。

 いきなり「ひとりぼっち」の実感に襲われたナジムは、俯きながら瓦礫の山に背を向けた。

 すると、視界の端に、長い棒のような物が入り込んできた。首を曲げながら視線で追ったナジムは、今日いちばんの、有り得ないほどの大物に出くわした。

 それは、一挺の銃だった。

 瓦礫から、半身だけを覗かせている。発砲を直に見たことがないナジムは、恐怖心もなく近づいた。 銃口の部分を握るが、抜けない。左右に振ると、ストラップ部分を見つけた。

 腕を引っ掛けて、思い切り引っぱる。踏ん張りながら何度も繰り返すと、瓦礫を崩しながら、一気に獲物が飛び出してきた。

 勢いがつきすぎ、ナジムは後ろに倒れ込んだ。

 のしかかって来た銃を払い落とすと、トリガーの部分を何かが握っていることに気がついた。一瞬息をのんだが、漆黒のそれは、何日か前に目にした人型歩兵のものだった。

 大通りに横たわったままの一体には、大人達からきつく言われているため、近寄っていない。だから、一部分だけとはいえ、間近に目にするのは初めてだった。

 顔を寄せて、しげしげと眺めると、黒一色のように見えた手の甲に、絵を見つけた。整備兵が戦闘機のノーズアートを気取って描いたそれは、羽を広げた妖精の姿をしていた。

 ──ティンカー・ベルだ。

 今はない学校で、先生が見せてくれた絵本。海賊という集団も、その中で知った。主人公の少年の名前も忘れてしまったけれど、彼女の名前は、何故かしっかりと覚えていた。

 極端に布地が少ない衣装で、出っ張った胸のあたりとか、真っ赤な唇だとかは、絵本と違うみたいだけれど。ナジムにとって、その絵はまさしくティンカー・ベルだった。

 一目見て気に入ったナジムは、それを持ち帰ることにした。彼にとっては知る由もない事だが、その銃は歩兵の主装備であるヘヴィ・マシンガンではなく、副装備のアサルト・ライフルだった。

 人も扱えるサイズのそれは、かろうじてナジムが引きずることで持ち運びができる重さだった。そしてナジムは運命の通り、それを手にした。


 家に帰り銃を床に置き、ナジムは飽くことなく妖精を眺め続けた。

 辺りが暗くなり始めた頃、家の前でナジムの名が呼ぶ、母親の声がした。あの日、彼を地下に閉じ込めて以来の帰宅だ。

 嬉しさのあまり飛び出しかけたが、床に銃を置いたままだ。ここに置きっぱなしだと、邪魔だ、と叱られる。ナジムは銃を部屋の隅に立てかけ、慌てて外に出た。

 暗がりでも、母親の機嫌が悪いことは雰囲気で判った。家の壁が壊れている事をナジムのせいにして責めた。街の中で戦闘があったから、なんて言い訳は、口にできなかった。

 どうせ、何を言っても、「お前が悪い」だ。

 仕事先で、よほど腹に据えかねることがあったのか、彼女はナジムの腕を強く引いて家に入った。

 今までに経験が無いほどの強い調子に、ナジムは怯えた。でも、我慢すれば、きっと優しい母に戻ってくれる。

 そう項垂れたナジムの顔をあげさせ、母はいきなり頬を張った。一回、二回。縮み上がったナジムの頭に、怒声を浴びせる。

 自分の言葉で更に逆上したのか、最後の一発は、ナジムの身体を浮かせ、簡素な椅子もろとも吹き飛ばした。

 尻餅を付くような格好で倒れた時、突然の轟音が家を震わせた。

 体がもう一度浮き、目の前に火花が散った。瞬きを繰り返すと、太ももを押さえて蹲る母の姿があった。

 立ち上がって駆け寄ろうとしたが、お腹から下に力が入らない。見ると、自分の服のお腹のあたりが真っ赤になっていた。

 首だけで振り返ると、立てかけてあった銃が倒れていた。椅子が当たったようだ。もう一度、服の赤色を見る。

 あの日、大通りで見かけた水たまりの色だった。

 母を呼ぼうとしたが、声が出なかった。彼女は、太ももを押さえながら、通信機に向かって何か喚いていた。ナジムの方は、ちっとも見ていなかった。

 ナジムは、サヒーラ達の居場所が、やっと理解できた気がした。

 這いながら銃に近づき、ティンカー・ベルを撫でた。子供達を、夢の場所へ連れて行ってくれる彼女。仲間の顔を思い浮かべながら、ナジムはそっと目を閉じた。



(了)


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