接近
〔じゃあまず、彼女を吊るしている鎖をはずしてあげようか〕
俺は指示通り、固定されていた鎖を緩める。
〔そういえば、なんで拘束が強固になっているんだよ? 報復なら同じ条件でいいんじゃないか?〕
この時点で犯罪的な意図しか感じられないんだが。
〔君と彼女じゃ、能力的に違いすぎるからね。これで足りないくらいだと思うけど?〕
確かにそれは分からなくもない。
実際にこの目で確認しているし。
〔けどお前、動けなくしていただろ?〕
そういう意味ではやりすぎと言ってもいいはずだ。
〔ああ……倍返しってやつだよ〕
こいつ今考えやがった。
つまり俺が出てこなければ、いつものように手をかけていた可能性は十分にある。
今までより悪い状況で。
〔それは…………否定できないかな?〕
〔そこは否定しろよ!〕
せめて嘘でもいいから!
俺の考えを読んでいたことについては、もう何も言う気はない。
少し待っても、返事が来ない。
この会話は一段落したという判断らしい。
俺的には納得いかないままだが。
また目の前のことに意識を戻す。
そう。
鎖を緩めている最中だった。
状況を把握したその瞬間、手が彼女の体重の分だけ引っ張られた。
最初は体勢を崩してしまったものの、小柄な少女の体重だ。
大したことはない。
すぐに持ち直して、ゆっくりと降ろしていく。
〔あ、まだ力が入らないだろうから、腰を下ろしたところで固定してあげてね〕
さすがラストと言ったところか、女性への気遣いは忘れていない。
俺にも少し分けてほしいものだ。
〔そんなことを思っている暇があったら、目の前のことに集中してよ。君が思っているより難しいんだから〕
〔心配するな。ゆっくり降ろせばいいんだろ?〕
と余裕でいたのは最初だけだった。
実際やってみるとこれが難しい。
そりゃそうだ。
上から引っ張る力だけで、身体に力が入らない人を座らせるんだから。
あまりにもうまくいかなくて、途中から門寺さんと目が合わせられなくなった。
申し訳なかったのと、怖かったから。
こんなに失敗するなら途中であきらめればよかった。
そう思ったタイミングでやっと成功した。
〔一応、なんとか成功したみたいだね〕
俺がため息をついたタイミングで、ラストが声をかけてくる。
〔本当に『なんとか』だがな。それでかなりやばい状態だ〕
元々、両手を吊るされて細いウエストが見え隠れしていたのだ。
今度は雑に座らせたせいで、太ももが露出してしまっている。
肉付きはよくないが、引き締まっていてラインが美しい。
日の光にさらされにくい部位だから、真っ白で綺麗だ。
門寺さんはそのきわどい露出を直そうとしているのか、さっきから身もだえている。
残念ながらスカートの裾はずり上がっていく一方だが。
鎖に繋がれた少女が着衣を乱し、力なくこちらを睨んでいる。
妙になまめかしいと思うのは俺だけだろうか。
〔そう思うのなら、目をそらすくらいしてあげればいいのに〕
この言葉はさっきの俺の言葉に対してか、それとも俺の考えに対してか。
両方だろうな。
〔ああ、そうか〕
俺はあわてて横を向く。
〔どうしたんだい? ボーっとして〕
不審に思ったのか聞いてくる。
〔ああ、どうやって手錠外すつもりなのか、と考えていたんだが〕
〔そりゃあ、鍵を使ってはずすしかないでしょ? 僕みたいにピッキングできるなら別の話だけど〕
ということは、また鍵を探すところから始めないといけないわけか。
〔だがどうする? 次は意識もあるし、かなり警戒されているぞ?〕
横目で見ると、今にも殺しにかかってきそうな目をしていた。
一瞬で視線を戻す。
〔いっそのこと、あきらめて本人に聞いてみれば? もしかしたら鍵は胸ポケットにはないかもしれないよ〕
〔ぜひともそうであってほしいが、はたして本当にあれとコミュニケーションをとれるのか?〕
俺はもう一度、視線をずらしてで門寺さんを見る。
なるべく目を合わさないように。
〔うん、大丈夫。たぶん、あと五歩近付いたらおとなしくなると思うよ〕
〔なんで近付いたら、むしろ安全になるんだよ?〕
こいつの考えがよくわからない。
〔とりあえず、やってみたらわかるって〕
ラストは自信ありげに俺を促す。
仕方なく、俺はしぶしぶ指示に従うことにした。
ラストの行動が俺のためだというのを信じて。
信じるほかないだけだが。
まず、はじめの第一歩。
ピクッ。
少し反応があった、か?
二歩目。
ビクッ!!
完全に反応したな。
三歩目。
威圧感が少しだけ薄れた。
表情も固まっている。
四歩目。
さらに威圧感が薄れ、表情が崩れた。
最後の五歩目。
さっきまでの気配は完全に消え失せ、態度も一変。
腕を顔の前に動かし、守りの姿勢をとる。
顔を隠しても、腕の隙間からこちらをうかがっているが、その目には涙があふれているようだった。
たった五歩でここまでとは。
〔ね、言ったとおりでしょ?〕
自慢げに語りかけてくるラスト。
〔予想をはるかに凌駕していたがな〕
こうなるとむしろショックだわ。
近付くだけでこの反応なのに、手錠を外させてもらえるかよ?
〔いやぁ、僕もこうなるとは思わなかったよ〕
〔ほめているんじゃねぇよ!〕
嫌味の通じない奴だ。
いや、おそらく分かった上でやっているな。
さらにタチが悪い。
〔一体何をしたらこうなるのか教えてほしいものだな〕
これも本来、冗談や嫌味で使うセリフだが、答えてくれるだろう。
本当は聞かないほうが精神衛生上いいのかもしれないが、そういうわけにもいかない。
かといって、今までのように被害者から聞くのは心苦しい。
犯人から聞けるのであればそれが一番いいだろう。
〔今回は何もしていないんだけどね〕
は…………?
絶句。
そして、
〔身体を麻痺させて拘束することのどこが、なにもしていないうちに入るんだーーーー!!!!?〕
あれで何もしていないとか、どの口が言っているんだよ。
口を使っていないけども。
〔別にあれは下心があったとかじゃなくて、報復していただけだから〕
俺もだんだんラストの感情が読めるようになってきた。
さっきのは半分本当ってところか。
半分嘘、ってことだが。
本当はこの部分を深く追求していくべきなんだろうが、ひとつの議題に集中するとラストは賢いから切り返すだろう。
つまり次とるべき行動は質問変更。
〔他にもだ。お前さっき『今回は』って言っただろ?〕
つまり前回、今日一回目の登場のときはどうだったんだ、という話だ。
もう思い出したくないが、確かあの時は門寺さんの服が乱れていたような。
〔まぁ、確かに前回は悪いことをしちゃったかな。本当ならそれを悪いことと捉えられないように懐柔したいんだけど、いつもその時間がないからね〕
懐柔って……
〔でも――――――〕
〔ん?〕
このとき、ラストから余裕と自信が感じられた。
顔があったなら、怪しい笑みを浮かべていたに違いない。
〔どうせ認めたところで、責任は僕だけにあるわけじゃないし。少なくとも表面上は〕
うう、痛いところを突かれた。
確かに第三者からみれば俺が悪いわけだ。
たとえ、ラストの存在を知っていたとしても、俺がラストのフリをしている可能性がある。
さらには、ラスト本人が謝罪したとしても、俺が強要しているのかもしれない。
さっきも話をしたが、結局はラストというものを生み出した俺にいくらか責任は伴うのだ。
〔なぁ、ラスト〕
俺はラストに呼び掛ける。
〔なんだい?〕
〔お前の護身のための行動はいいとして、その後の行動はどうにかならないのか?〕
それが分かれば何の問題もなくなる。
〔何度も言うようだけど、結局は君のストレスなんだ。だから、君自身がストレス発散をすればいいんじゃない?〕
俺だってそれくらいは考えたさ。
だが、
〔何をすればいいんだ?〕
ラストがすべて請け負っているわけだから、俺はそもそも『そういう』ストレスを感じないのだ。
発散できているかどうかすらわからないのだから、やりようがない。
〔まあ、一番に思いつくのは僕と同じことをする、だけど〕
〔解決になってねぇじゃねえか〕
〔だよね〕
冗談半分の回答を即刻否定すると、またラストは考え込む。
〔簡単なのは『そういう』資料や情報を集めることかな?〕
ラストが次に挙げた例はこういうものだった。
〔それって、どうやるんだよ?〕
答えると、ラストから驚きの感情が伝わってくる。
〔インターネットにそんなの腐るほどあるでしょ?〕
悪い表現だなと思いつつ、ひとつの疑問が浮かぶ。
〔お前、インターネットなんか使ったことあったか?〕
ラストは俺が家で生活しているときに出てきたことはないと思うが。
〔僕は君と脳を共有してるからね。君の記憶を探るなんて造作もないことだよ〕
〔俺のプライベートというものはお前には通用しないわけか……〕
俺はそれを聞いて少々げんなりする。
耐性はついていたが、今回ばかりはきついぜ……
〔まぁ、そのうちこれ以上のショックを受けることになるだろうさ。それで怪しいリンクがあったのを覚えていたわけだけど〕
さらっと気になることを言いつつ、ラストは話を戻す。
俺はそんなのは覚えていないんだけどな。
〔そりゃ、脳の使い方の差かな。実際、君は僕のおかげで英語が話せるようになっているわけだし〕
悔しいがそういうことだろう。
わざと腹立つ言い方をされた気もするが。
〔じゃあ、その頭で妙案を考えておいてくれ〕
丸投げしたことに対してラストが何やら文句を言っているが、無視する。
それよりも優先すべきことが目の前にあるからな。
何度も話が逸れてばかりでまったく作業が進まなかったし。
その意図をラストも感じ取って、静かになる。
〔で、どうする? さっきまでのやりとりをしている間に何か策を考えついたりしていないのか?〕
ラストは不満そうにしながらに答える。
〔とりあえず、警戒心を解いてもらわないとね。なるべく優しく話しかけること。それで鍵の場所を聞いて。細かいことは任せるよ〕
仕返しと言わんばかりに丸投げにするラスト。
その後何度も呼びかけても返事はなかった。
満足してるのだけは分かるが。
結局俺がやるのかよ。
いつもと同じじゃねぇか。
何が『君のために動く』だ。
嘘ばっかり言いやがって。
まぁ、どれだけ人間離れしたスペックでもちゃんと人間だということか。
そこは安心したな。
早速この教訓は生かせそうだ。
まぁラストの場合、万能なのに大事な時に役に立たないというのはどうかと思うが。