接触
タイミング悪っ!
それはもう、口に出して叫びたかった。
どうして今なんだよ?
あと一分だけでよかったのに。
俺って運ないのかな……
よく考えたら、ここに連れてこられた時点でそんなものは尽きていると気付く。
門寺さんは、目を覚ました時は意識が朦朧としていたようだが、意識を取り戻しつつある。
まず俺の顔、そのあと自分の身体の状態、自分の胸に向かってのばされた俺の手の順に見ていく。
最後のを見た瞬間、彼女の目は完全に覚めたようで、はっと目を見開く。
そして、突然の殺気。
寝起きでよくこんな威圧感が出せるものだ。
思わず後ずさりした。
あ、足のはずしちゃった。
これに気付いたときにはまだ一歩しか後退していなかった。
そしてほぼ同時に気付いたらしい門寺さんは、足に力を入れようと眉間にしわをよせる。
「ま、待て――――――」
そんなことをしたら、もう一回奴が出てくる。
この警告は間に合いそうにない。
俺はまたもや最期を予感する。
と思ったのだが。
攻撃がこない。
どうした?
彼女を見ると、いまだ攻撃の意思はある様子だ。
身体がいうことをきかないらしい。
どうやら、奴は彼女を気絶させた上で動けなくしていたようだ。
まったく、ぬかりないというか、何というか……
まぁ、お互いに助かったから感謝はするが。
〔それはどうも〕
突然の声に驚き、俺は周りを見回す。
バカな。
ここは密室だったはずだ。
誰も入れるわけがない。
実際、人影はどこにもなかった。
いや、違う。
さっきのは発した声ではない。
俺の頭の中でした声だ。
その証拠にあれは俺自身の声だった。
ただ、考え事のような感じでもない。
もっとはっきりと聞こえた。
そもそも、あんな言葉は浮かんですらいなかったのだ。
一体どういうことだ?
〔わからないはずないだろ? 僕は君なんだから〕
分身が言う決まり文句と言っても過言でないだろう。
間違いない。
こいつは―――
〔そう。僕はもうひとりの君。君のもうひとつの人格だよ〕
こいつ……さっきから俺の考えを先読みしやがって……
〔しょうがないじゃないか。わかってしまうんだもの〕
〔もう少し答えるのを待てよ〕
〔そうそう。そういう感じで会話すればいいんじゃない?〕
完全に乗せられているな。
〔お前に聞きたいことはたくさんあるが……なんで今なんだ?〕
〔それは、なぜ僕がこのタイミングで君と接触したかということだよね?〕
〔俺の考えが読めるなら確認する必要はないだろうが〕
向こうの調子に乗せられまいとあらがってみる。
〔君に接触したというよりは、できたというべきかな? 僕は今日初めて君に接触するチャンスを得た〕
〔それは、今までやろうとしてもできなかったということか?〕
〔そういうこと。それだけ君と僕との隔たり、つまり壁が大きかったということだよ。そしてこの壁は君が危機を感じた時、崩壊する〕
〔そのときに俺たちが入れ替わるというわけか?〕
そのときに俺が被害をうけていると。
〔そう。それで今回、僕が君に接触できたのはその壁が薄くなっていたからなんだ〕
〔薄く?〕
〔うん。そもそも僕が身体を操作できるのはその壁が壊れている時だけだ。時間が経つとこの壁は修復してしまう。今まで僕の出番は週に一度で多いほうだったけど、今回は一日で二回だ〕
〔つまり、滅多に壊すものじゃない壁を短い時間で二回も壊したから、中途半端になっているということか?〕
〔理解が早くて助かるよ〕
〔お前が俺の思考を読めるように、俺だってお前の伝えようとしていることくらいはわかる。まぁ、お前ほどはっきりとはしないが〕
まさかこいつとこんな風に話す機会がやってくるとは思ってもみなかった。
今までの目に余る行動に対する文句は山ほどあったが、今回は飲み込む。
〔それで気になったんだけどさ。僕の名前を決めないかい?〕
〔確かにあったほうがいいと思っていたさ。今日の会話は面倒だったからな〕
実際、俺は今日こいつのことをなんと呼んでいただろうか。
覚えていない。
〔どうするの? 君が決めてくれるのからそれでいいよ。君は僕の生みの親でもあるわけだから〕
名前、名前なぁ……
由来があったほうが決めやすいよな。
こいつは色欲の塊だから、色欲を英語にして……
〔よし、思いついたぞ〕
〔君、嫌な決め方してたでしょ? 名前なんて一生使うものだから、そんなに安直に決めていいものじゃないよ〕
〔お前、さっき俺に任せるみたいなこと言ったじゃねぇか〕
〔君のネーミングセンスがそんなにないと思わなかったんだよ〕
〔格好いいと思うけどな。お前の名前は―――〕
〔〔ラスト〕〕
ラストは俺と言うタイミングを合わせる。
〔僕、『色欲のラスト』って聞き覚えがあるんだけど?〕
〔そんな言い方するからいけないんだろうが。俺はただ単に色欲を英語にしただけだ〕
〔なんで色欲、色欲って呼ばれなきゃいけないのさ?〕
〔名前だと思っていれば違和感ないって〕
〔僕は気になるんだよ!〕
〔いや、でもな……〕
もう他に候補を考えようとする意欲もない。
頭の中ではすでに『ラスト』で完結している。
その意図が伝わったのか、
〔あーもー。わかったよ。僕はラスト。ラストだ。どうせ少数の人間しか使わないんだし〕
〔すまんな〕
〔全くだよ。……ところでさ〕
〔ん?〕
突然、ラストの口調が真剣味を帯びる。
〔君は今忙しいんじゃなかったっけ?〕
〔……〕
ここで思い出す。
目の前の光景を。
〔本当は僕の名前を決めている場合じゃなかったと思うんだけど……〕
〔……いや待て。よく考えたら話をそらしたのはお前だぞ。それに、そもそもこの状況を作ったのはお前だからな〕
〔そんなこと言ったら、結局は僕という人格を作りだした君にも責任があるんじゃないのかい?〕
〔くっ……〕
これにはあまり言い返せない。
ラストが生まれたのには何か理由があるのだろう。
しかし、きっかけになるようなことなんてあったっけ?
〔ところで協力してくれるのか?〕
〔そりゃあ、するさ。僕らはまさに一心同体なんだから〕
〔正確には二心同体だがな。それにしても意外だな。今まで何もしてくれなかったお前が〕
実際、こいつが出てきたあとは必ず面倒なことになっていた。
もう少しだけでもマシな状況を作ってから帰られなかったのかと思う。
〔まぁ、いつもちゃんと事態の収拾をしようとは思っているんだけどね。いつも途中で戻っちゃうんだ〕
〔ん? あれってお前が意図して戻っているんじゃないのか?〕
〔とんでもない。仮に意図していたとして、僕に何のメリットがあるんだい?〕
確かに、言われてみれば……
〔いや……俺への嫌がらせとか?〕
〔言ったじゃないか。僕らは一心同体だって。僕は基本的に君の助けをしているつもりだよ。主に危機回避をね〕
〔それとは別に何か余計なことをしてませんかねぇ?〕
主に女性にちょっかいをかけたりとか。
〔なんとなく察していたじゃないか。僕は君の色欲をすべて請け負っているんだ。もしも僕がその欲を発散しなければ、君は正体のつかめないストレスに襲われていただろうね〕
〔そうなのか。本当はもう少し詳しく聞いておきたいところだが、状況が状況だからな。話の続きは全部終わった後だ。それで、俺は何をすればいいんだ?〕
〔できることなら、僕ともう一度交代してほしいんだけど?〕
再度交代ときたか。
確かにこの状況を一人で突破するのは正直困難だ。
今まではこれよりも易しい状況でも人の力を借りてやっと解決していたのだから。
そしてさっきのやり取りでなんとなく感じているのは、こいつは俺より賢い。
俺よりもうまくこの状況を切り抜けるだろう。
だが……さらに状況が悪化するという可能性も無きにしも非ずだ。
これは賭けだな。
〔……わかった〕
承諾した。
〔へぇ。正直断られると思っていたよ〕
確かに驚いたようだ。
そういう感情が少しだけ感じ取れる。
俺も本当にこの選択でよかったのかどうかはいまだにわからない。
ただ、俺がやるよりはマシだと思っただけだ。
〔それで、どうやったら交代できるんだ?〕
それがわからないとどうにもならないからな。
〔……さぁ?〕
少々の沈黙があったところから、いやな予感はしていたが的中した。
〔わからないのかよ!?〕
〔だって僕は強制的に呼び出されている側だから。むしろ君がわかっていると思っていたよ。君が僕を呼んでいるんだから〕
〔そんなことを言ってもな。もう俺の中では危機を感じることとお前を呼ぶことは直結しているみたいだから、俺の意思ではどうにもできないぞ?〕
さっきの交代するかどうかで迷ったのがばかみたいだ。
〔しょうがないな。結局君にどうにかしてもらうしかないのか〕
〔結果そうなってしまうのかよ〕
お前に任せた時の勇気と安堵感を返せ。
〔君一人にやってもらおうとは思っていないよ。それに言ったでしょ? 『できることなら』って?〕
〔つまり、できなかったときのことも考えていたと?〕
〔そういうこと。むしろこの案がメインだったわけだけど〕
〔それで、その案っていうのは?〕
俺の身を守ることが優先のこいつの出す案だ。
危険はないだろう。
物理的には。
問題はメンタルだな。
〔単純な話だよ。これから僕の出す指示に従ってもらう〕
なんか危なそうな案だった。
〔それって安全か?〕
〔僕の考える案に危険なものはないさ。ただ、今回は相手が相手だから…………〕
〔だから?〕
〔小さなミスも許されないかな?〕
すでに言い方が怖いんだが。
だが俺にできない以上、もう頼るしかない。
〔まぁ、気をつける…………頼むぞ〕
ここでやっと意識を頭の中から周囲へ向ける。
ラストとの会話量はかなりのものだったが、全く時間が経っていない。
一秒にも満たない、ってところだ。
これは俺たちの会話方式が意思の伝達だからだろう。
通常の会話は頭の中で文を組立て、それを言葉として発している。
俺たちの会話は口に出す必要がなく、頭の中で文を組み上げようとしたその時点でイメージが伝わっているのだ。
つまり文を組み立てる時間、言葉を発する時間をカットし、なおかつ聞き逃し、言い間違いによるタイムロスがなくなっているのだ。
頭の中で会話をシミュレートしているようなものだ。
片方の返答が予想できないというだけの。
いや、イメージや意思の伝達だから、もはや会話ですらないのか。
今回は分かりやすく文章として表現しているが。
短時間で大量の情報交換ができるのは便利だが、その分疲労するのが難点だな。
〔じゃあ、始めるよ〕
〔ああ〕
俺は短く返事をし、集中力を高めていく。
例えるなら爆弾解除だな。
やったことないけど。
命がかかっているという意味では間違っていないだろう。