もう一人のチカラ
「えっと、これはどういうことですか……?」
俺は吊られた腕をブンブンと振る。
「あなたがもう一つの人格になっても大丈夫なようにね」
門寺さんはそう言いながらロープを柱に結んで固定する。
そのうちにこちらが引っ張り返すこともできただろうが、彼女の力ならすぐに持ち直してしまえるから無駄だろう。
「今からそんな危ないことを始めるつもりか!?」
怒りと焦燥で丁寧語をやめた。
どうせ同い年なのは分かっているんだ。
タイミングとしては適切だろう。
「ええ。大丈夫よ、一撃で交代させてあげる」
それはね、大丈夫じゃないって言うんだよ。
と言ってあげたかったが、一撃で終わらせてくれない可能性がでてしまうので飲み込む。
いったい今から何を始めるというんだ。
この状態を見る限り、拷問という単語しかでてこない。
拷問……なるほど。
「そうか、ここが隔離棟か」
よく考えたら、手錠なんてありそうなのはそこくらいだ。
しかも窓はないし、エレベーターがあるのに階段がない。
たぶん隔離するための施設は地下だ。
たとえ脱走されたとしても、一気にたくさんの人間が出るのを避けるための仕組みだろう。
「あら、知ってたのね。まぁ、ここなら人も少なくてやりやすいから」
でも人が少ないというのは、助けが呼べないということなのは理解しているのかね?
午前中もそれで痛い目というか、恥ずかしい目にあったというのに。
「で、なんでもう一つの人格が英語を話せるかどうかに関係あるんだよ」
「実は検査がもうひとつあったのよ。知能の検査がね。ついでに英語のあいさつ程度くらいは覚えさせるのが今回の私の任務」
どのくらい短時間で覚えられるかを見たいというわけか。
「でも俺、もうひとつの人格が出てきている間の記憶がないんだけど」
「それはそれでいいのよ。そういうデータが取れるし」
「記憶は、の話なんだけど」
「どういうこと?」
俺が含みのある表現をしたので、門寺さんは首をかしげる。
これは俺がもうひとつの人格についてわかっている数少ない情報のひとつだ。
「俺さ、科学の教科書の内容を一字一句漏らさず覚えてるんだ」
「……」
「俺はその日の朝、ちょっとしたトラブルがあって、もうひとつの人格の状態で登校してしまったらしい」
登校して一体何人の人間が被害を受けたのかは俺も把握できていない。
とりあえず、学校中で噂になった。
乱暴な人間としてではなく、女たらしとして。
奴は不特定多数がいるところでは、強引な面を隠してただ女性に優しい面だけを残す。
後処理が大変だったぜ、あれは。
「それで気が付いたら、いつの間にか科学の授業が終わってて、教科書の内容を覚えていたんだ」
「ちょっと待って。あなた、人格が変わっているときの記憶は残らないんじゃなかった?」
「それが俺もよくわからないところで、知識と記憶は分類が違うみたいなんだ」
つまり、勉強や語彙みたいな知識は俺と共有。
誰に何をしたみたいな記憶は俺とは別、ということだ。
「なんとも都合のいい話ね」
ちょっとだけ怒気を混ぜて嫌味を言われた。
やってしまったことを覚えていないのを根に持っているんだろう。
これに関しては申し訳ないと思っているので、何も言わない。
「それにしても、ひとつ興味深いことがわかったわね」
少々の沈黙の後、口を開いたのは門寺さんだった。
「何が?」
「だってもうひとりのあなたは、たった一回の授業時間で教科書の内容をすべて覚えていたんでしょ?」
「そういうことになるかな」
「じゃあ、早速試しましょうか」
やっぱりそうなるのか。
「どうなっても知らないからな」
一応宣言しておいた。
俺は悪くない。
この先何があっても。
「こんな状態じゃ何もできないわよ」
彼女は右手を大きく振りかぶり、姿勢を低くする。
俺は大きく揺れていたパンチングマシンを思い出す。
「始めようかしら!」
急に動きがゆっくり見え始めた。
初めてだな、最期を予感したのは。
走馬灯は見られないようだ。
彼女の拳がこちらに向かってくる。
だがそれをよける術はない。
「な~~~んてね」
彼女は俺の目の前で拳を止めていた。
「やっぱり私も心の準備をしたいから、もうちょっと待ってちょうだい」
いや、すまん。
待てない。
もうお前の声はかなり遠くで聞こえる。
視界もどんどん白くなっていく。
どうやら報告書には、俺が怪我をすることでもうひとつの人格が出てくると書いてあったみたいだが、間違いだ。
実際、さっきの話でのトラブルというのは、車にひかれそうになったことだ。
あくまで轢かれ『そうになった』のだ。
怪我など一切していない。
俺がもうひとつの人格になるための条件は、身の危険を感じること。
危険の度合いによって出てくる時間が違うみたいだが。
さっきのは俺が身の危険を感じるには充分すぎた。
死を覚悟して高速化していた思考も、とうとうここで途絶えた。
今回は門寺さんが心配だったので、意識が戻ると同時にすぐさま目を開けた。
「うわ!?」
想像以上にショッキングな映像だった。
簡単に言うと、立場逆転。
吊られているのは彼女のほうだ。
気がついたときに手錠の感覚がなかったから逃げだしているのかと思っていたが、それ以上だった。
幸いなことに衣服は脱がされたりはしていない。
もしもそんなことがあったら、俺の選択肢に自害が追加されていたところだ。
いや、監禁している時点でどうかと思うけどね。
これは彼女が俺にしたことなのでノーカンであると信じたい。
しかしよく見ると、俺のときより状態がひどいような。
吊っているのはロープでなく鎖になっているし、完全に足が中に浮いている。
しかも足枷をかけられ、床とつながっている。
もう完全に身動きが取れない状態だ。
さてここで問題になってくるのが、すぐに解放をしてあげたほうがいいのかどうか。
下手したら殺される。
下手しなくても殺されるか。
一瞬自害を考えたくらいだから、いいかもしれないけど!
これは……困ったな。
とりあえず、本人の精神状態を確認せねば。
さっきからうつむいたまま、ピクリともしない。
意識なくね?
とりあえず声をかけようとしたその瞬間、頭の中に英文が浮かんでくる。
ん?
これってまさか――――――
俺は机に置いてあった英語の教材を開く。
おそらくさっき使っていたものだろう。
「フフッ。読める……読めるぞ……」
アニメ映画の悪役っぽくなってしまったが、まさにそんな気分だ。
音声の教材もあったので聞いてみる。
やっぱりわかってしまう。
すげぇな、俺。
というかもうひとつの人格。
時計を見てみると、まだ一時間しか経ってない。
この勢いで他の言語も覚えてくれないだろうか。
いや、被害も同様にひどくなっていくけど。
……って!
いけね、忘れてた。
さっさと門寺さん助けねぇと!
どうやら意識を失っているようなので、安全な今のうちに解放する。
おそらく、もう一つの人格は前回手間がかかったから、今回は気絶させるのを選択したんだろう。
身体も無傷だからな。
まず鍵を探さねば。
俺は彼女が手錠を出してきたロッカーをあさる。
手錠はたくさん見つかった。
が、鍵は全部手錠にささったまま。
鍵単体ではみつからない。
試しに他の手錠の鍵で開けようとしてみるができない。
なんでこんなに徹底しているんだよ!?
「あ~~~、みつからねぇ!」
俺はガバッ、と立ち上がる。
すると、足元から金属音がした。
鍵か!?
と思って見てみると、針金のクリップだった。
一部分が伸ばされている。
実はこのクリップ、俺が普段服に仕込んでいるものだ。
で、手錠をかけられたとき、ひとつ握っておいた。
なにかに使えるかもしれないと思って。
そのまま俺は奴と交代したわけだが、おそらくピッキングに使ったのだろう。
奴の超人的な能力と罠抜けのスキルを駆使すれば、片手かつノールックでピッキングすることも可能だろう。
しかも彼女に気付かれないように。
しかし、普通に便利だから持ち歩いていたクリップがこんなところで役に立つとは。
もうちょっと増量しようかな。
そう思ってポケットの中に手を入れると、知らない形状のものがそこに入っていた。
それを取り出してみると……鍵だった。
なるほど。
少なくとも足にかかっている方はもうひとつの人格が取り出したものだ。
俺が持っていても何の不思議もない。
灯台もと暗し、ってやつか。
とりあえず、足を解放しようととりかかる。
かかんで鍵をさす。
カチッ、という音がして外れた。
やれやれ。
「……」
安心してやっと、目の前の光景に気付く。
細くて華奢な、白くてきれいな脚。
視線は自然と上に流れていき、膝、太もも、そして脚の付け根へと――――――
「って、いかんいかん」
俺はあわててその場から離れる。
あぶねぇ。
何も考えずに、スカートの中身見てしまうところだったぜ。
さて、次は手か。
俺に使っていたものをそのまま流用したと考えると、こっちは彼女が持っている可能性が高いな。
もうひとつの人格は鍵を使わなかったわけだし。
次にどこに持っているかという問題だが、可能性としてはやっぱりポケットだろうなぁ。
他人のポケットをあさるというのは背徳的な気がする。
監禁よりよっぽどマシか。
とりあえずスカートのポケットの位置を触ってみる。
布越しに触ってみると、何か……ある。
今度は恐る恐る手を入れる。
門寺さんの体温が伝わってくる。
あったのはタブレット端末。
それを取り出したうえでもう一度確認するが……ない。
そうなると、残っているのは胸ポケットか。
『お兄ちゃんってさ、異性に興味ないの?』
昔言われたことを思い出す。
このとき初めて気付いた。
自分には色欲が欠落していることを。
可愛いしぐさに感嘆したり、綺麗な人に見とれたりはする。
ただ、これは女性にも見られる反応。
すなわち、人類共通だ。
俺には異性に抱くはずの特別な感情がわかないのだ。
そりゃ、もともとそういうことに興味がない人だっている。
しかし、俺は体質が体質だけに俺もそうだとは言えない。
これは完全に予想なのだが、この色欲、もうひとつの人格が関係しているような気がする。
もうひとつの人格の行動を調べると、どうも女性関係のトラブルが多い。
というか、喧嘩を除けばそれしかない。
もしかしたらなのだが、色欲は完全にもうひとつの人格が持って行っているのではないのだろうか。
それならば少々は納得がいく。
というわけで今回のこの状況も全くドキドキしない。
ただ、任務を遂行するだけだ。
俺は彼女の胸ポケットに手を伸ばす。
「う……」
と、ここで門寺さんが目を覚ました。