第六章 ホテルの部屋
エレベーターの中は、妙に静かだった。
真田は壁にもたれながら、横に立つ女――ミカを見た。
近くで見ると、本当に普通の女性だった。
派手な化粧もない。
服も地味だ。
街を歩いていても、まず目に留まらないタイプだろう。
だが。
なぜか落ち着かない。
まるで。
こちらの考えていることを読まれているような感覚。
チン、と音が鳴り、ドアが開く。
二人は廊下を歩いた。
カーペットの上でヒールの音が小さく響く。
ミカは振り返らずに言った。
「記者なんだよね」
真田は驚いた。
「どうして」
ミカは肩をすくめる。
「雰囲気」
それだけ言って、部屋のドアを開けた。
薄暗いラブホテルの部屋。
ベッド。
小さなソファ。
壁には安っぽい絵が飾られている。
真田は中に入り、ドアが閉まる音を聞いた。
急に静かになる。
ミカは靴を脱ぎ、ベッドに腰を下ろした。
そして言った。
「五百円」
真田はポケットから財布を出した。
500円玉を取り出す。
ミカはそれを受け取らない。
「テーブルに置いて」
真田は言われた通り、テーブルにコインを置いた。
カラン、と小さな音がする。
ミカはそれを見た。
少しだけ、じっと。
まるで何かを確認するように。
真田は聞いた。
「これでいいんですか」
ミカは頷いた。
「うん」
「それで終わり」
真田は眉をひそめる。
「終わり?」
ミカは笑った。
「まだだけどね」
少し間があく。
真田は聞く。
「あなた、何者ですか」
ミカは答えない。
代わりに聞き返した。
「取材?」
「ええ」
「記事にするの?」
「たぶん」
ミカは少し考えた。
そして言った。
「いいよ」
「書いて」
真田は意外だった。
「困らないんですか」
「別に」
ミカはベッドの上で足を揺らす。
「信じないでしょ」
「みんな」
真田は黙った。
確かに。
500円の女。
人生が変わる。
普通なら都市伝説だ。
ミカはふと真田を見た。
「怖い?」
真田は首を振る。
「いいえ」
ミカは小さく笑う。
「嘘」
真田は言い返さなかった。
確かに少し怖い。
理由はわからない。
だが。
この女の前にいると。
妙に落ち着かない。
ミカは立ち上がった。
そして真田の前まで歩いてくる。
距離が近い。
ふわりとシャンプーの匂いがした。
ミカは言う。
「一回だけ」
その声は静かだった。
真田は頷く。
「はい」
だがミカは続けた。
「そのあと」
少し首を傾げる。
「聞くから」
真田は聞く。
「何を」
ミカは答えた。
「後悔する?」
その言葉。
真田の頭に、佐伯の話が浮かぶ。
同じ質問だ。
ミカは笑った。
「みんな同じ顔する」
「同じ?」
「驚いた顔」
真田は聞く。
「あなたは何をしてるんですか」
ミカは少し考えた。
そして言った。
「何も」
「ただ」
少し間を置く。
「選ばせてるだけ」
真田は意味がわからなかった。
「何を」
ミカは答えない。
代わりに窓の外を見た。
夜の街の灯り。
車のヘッドライト。
ミカはぽつりと言った。
「人ってね」
「分かってるんだよ」
真田は聞く。
「何を」
ミカは振り返った。
そして言った。
「自分の人生が終わってるかどうか」
部屋が静かになる。
エアコンの音だけが聞こえる。
真田は言葉を失った。
ミカは微笑んだ。
そして言う。
「だから」
少し間を置いて。
「最後に聞くだけ」
真田は聞いた。
「何を」
ミカはテーブルの500円玉を見る。
そして言った。
「後悔する?」
真田はその瞬間、気づいた。
この女は。
何かを変えている。
魔法でも。
能力でもない。
もっと単純なもの。
人生の分岐点。
ミカは静かに言った。
「じゃあ」
「始めよっか」




