第三章 消えた男
佐伯の部屋を出たとき、夜の空気は思ったより冷たかった。
真田はコートのポケットに手を入れながら歩く。
頭の中では、さっきの言葉が繰り返されていた。
消えました。
ただの噂ならここで終わる。
だが、もし本当に行方不明者がいるなら話は別だ。
記者として放っておくわけにはいかない。
真田はスマートフォンを取り出し、メモを確認した。
佐伯が言っていた名前。
高木修一。
年齢、三十七歳。
失踪したのは二か月前。
最後に会ったのが――
ワンコインの女。
真田はため息をついた。
都市伝説が失踪事件と結びつく。
記者としては、いちばん厄介なパターンだ。
根拠がない。
証拠もない。
あるのは噂だけ。
それでも真田は駅へ向かった。
高木の住所はすぐに見つかった。
市内の古いアパート。
築四十年はありそうな、灰色の建物だった。
階段を上ると、二階の廊下の奥に「203」のプレートがある。
表札はない。
郵便受けにはチラシが詰まっていた。
真田はドアの前で少し迷った。
当然、誰も出ないだろう。
失踪しているのだから。
それでも、念のためインターホンを押す。
……反応はない。
ドアノブを回してみる。
鍵はかかっていた。
真田は廊下を見回した。
隣の部屋のドアが少し開き、誰かがこちらを見ている。
中年の女性だった。
「何か?」
警戒した声。
真田は名刺を出した。
「新聞社の者です」
女性は少しだけドアを開けた。
「取材ですか?」
「ええ。この部屋の高木さんについて」
女性の表情が変わる。
「ああ……」
その一言で、真田は確信した。
やはり何かある。
「高木さん、最近見てません?」
女性は首を振った。
「もう二か月くらい」
「警察には?」
「来ましたよ」
「事件性はないって」
真田はメモを取りながら聞く。
「どんな人でした?」
女性は少し考える。
「普通の人」
「仕事は?」
「配送の仕事だったと思う」
「トラブルとか?」
女性は首を振る。
「むしろ静かな人でした」
「でも」
真田は顔を上げる。
「でも?」
女性は声を落とした。
「最後のほう、変だった」
「変?」
「なんていうか……」
言葉を探している。
「嬉しそうだった」
真田はペンを止めた。
「嬉しそう?」
「ええ」
「何かいいことがあったみたいで」
「それで?」
女性は続けた。
「ある日、言ったんですよ」
「何を」
女性は真田を見た。
「人生やり直せるかもしれないって」
真田の背中に、冷たいものが走った。
「そのあと?」
「次の日、いなくなりました」
廊下に風が吹く。
郵便受けのチラシが揺れた。
真田はもう一つ聞く。
「高木さん、女の話してました?」
女性は驚いた顔をした。
「知ってるんですか」
真田の心臓が少し強く打つ。
「どんな女です?」
女性は答えた。
「若い女」
「綺麗な人」
「夜、ここまで送ってきてた」
真田は聞く。
「何回くらい?」
女性は指を折って数える。
「一回……」
「二回」
真田の手が止まる。
「二回?」
「ええ」
「確か二回」
真田の頭の中で、何かが引っかかった。
一回だけ。
それがルールのはずだ。
真田は女性に礼を言い、階段を降りた。
外に出ると、夜風が強くなっていた。
街灯の下で、真田はメモ帳を開く。
書かれている言葉。
一回だけ。
500円。
そして
失踪。
もし。
もし本当にこの女が関係しているなら。
これは都市伝説ではない。
真田は空を見上げた。
黒い雲が流れている。
ポケットの中でスマートフォンが震えた。
会社からの電話だった。
「真田か?」
デスクの声。
「はい」
「ちょっと面白い話がある」
真田は歩きながら聞く。
「何です?」
デスクは言った。
「失踪者」
真田の足が止まる。
「また出た」
「どこで」
「駅前のラブホテル」
真田は黙った。
デスクは続ける。
「最後に一緒にいた女」
真田の手がゆっくりと握られる。
「証言がある」
「何て?」
電話の向こうで、デスクが言う。
「その女」
少し間を置いて。
「五百円って言ったらしい」
夜の街で。
真田はゆっくり息を吐いた。
都市伝説は。
どうやら。
本当に存在する。




