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ワンコインの女  作者: 臥亜


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第二章 借金男

その男の部屋は、ほとんど空だった。


六畳のワンルーム。

畳は色あせ、壁紙は黄ばんでいる。


家具はちゃぶ台と布団だけ。


そして床には、競馬新聞が山のように積まれていた。


真田は玄関で靴を脱ぎながら言った。


「すごい量ですね」


部屋の主――佐伯は苦笑した。


「全部外れ馬券の歴史ですよ」


三十五歳。


やせ細った体。


目の下には濃いクマがある。


典型的な、ギャンブルに人生を吸われた顔だった。


真田はボイスレコーダーを置く。


「確認ですが、佐伯さんは以前かなりのギャンブル依存だった」


「かなり、どころじゃないですよ」


佐伯は笑った。


「借金四百万」


真田は思わず眉を上げた。


「消費者金融?」


「三社」


「返せるんですか」


「返してますよ」


佐伯は平然と言った。


「今は」


真田はメモを取る手を止めた。


「今は?」


「やめたんです」


「ギャンブルを?」


「全部」


真田は部屋を見渡した。


競馬新聞はある。


だが新しいものはない。


埃がかぶっている。


「いつから?」


佐伯は少し考えた。


「三か月前」


「きっかけは?」


佐伯は答えた。


「女」


真田はペンを止めた。


「ワンコインの女ですか」


佐伯は小さく笑った。


「知ってるんですね」


「噂だけ」


佐伯はちゃぶ台の上の灰皿を指で回した。


「俺、そのときもう終わってたんですよ」


「終わってた?」


「金もない」


「仕事もクビ寸前」


「彼女も逃げた」


少し間が空く。


「だから」


佐伯は続けた。


「どうでもよかった」


「それで女に会った?」


「向こうから来た」


真田は顔を上げた。


「どこで」


「パチンコ屋の外」


夜だったという。


佐伯は最後の一万円を失い、店の外で煙草を吸っていた。


そのとき。


女が声をかけてきた。


『五百円』


最初は意味がわからなかった。


女は続けた。


『一回だけ』


佐伯は言った。


「最初、詐欺だと思いましたよ」


「でも五百円だ」


「失うものもない」


真田は聞く。


「どこで?」


「ラブホテル」


「それで?」


佐伯は少し黙った。


そして言う。


「普通でした」


「普通?」


「普通の女」


「普通のセックス」


真田はメモを取る。


「そのあと何かあった?」


佐伯は首を振った。


「何も」


「金を払って」


「終わり」


「それだけ?」


「それだけ」


真田は眉をひそめた。


「じゃあ、なぜギャンブルをやめたんです」


佐伯は少し笑った。


そして言った。


「帰り道で思ったんですよ」


「何を」


佐伯は真田を見る。


「俺、五百円で女買う人生なんだなって」


部屋が静かになる。


外で車が通る音。


佐伯は続ける。


「その瞬間、急に冷めた」


「何に?」


「全部」


「ギャンブルも」


「人生も」


「自分も」


真田は黙って聞いていた。


「次の日」


佐伯は言う。


「パチンコ屋の前通ったんです」


「それで?」


「入らなかった」


「なぜ?」


佐伯は笑った。


「恥ずかしくて」


真田はメモ帳を閉じた。


話としては、あり得る。


人が何かをきっかけに変わることはある。


だが。


それでも。


一つ引っかかることがあった。


「佐伯さん」


「はい」


「その女、何か言ってました?」


佐伯はすぐ答えた。


「言ってました」


「何を」


佐伯は少し考えた。


「終わったあと」


静かに言う。


『後悔する?』


真田は顔を上げた。


「あなたは何て?」


佐伯は肩をすくめた。


「するわけないでしょ」


「五百円だし」


「そう言いました」


真田はメモを取りながら聞く。


「女は何て?」


佐伯は笑った。


「変なこと言ってました」


「何て?」


佐伯は思い出すように言った。


『そっか』


『じゃあ大丈夫』


真田はペンを止めた。


「大丈夫?」


「そう」


「何が?」


佐伯は首を振る。


「わかりません」


「でも」


少し間を置く。


「そのあと人生変わりました」


真田は黙った。


そしてもう一つ聞いた。


「佐伯さん」


「はい」


「その女、また会いました?」


佐伯は即答した。


「いいえ」


「なぜ?」


佐伯は笑った。


「ルールだから」


「ルール?」


「言われました」


佐伯は指を一本立てる。


「一回だけ」


部屋が静かになる。


真田はボイスレコーダーを止めた。


都市伝説としては、出来すぎている。


だが。


この話にはまだ続きがあった。


真田が帰ろうとしたとき。


佐伯が言った。


「あ、そうだ」


「何です?」


佐伯は思い出したように言った。


「その女のあとに会った奴」


「知り合いがいるんですよ」


真田は振り返る。


「人生変わりました?」


佐伯は首を振った。


「変わるどころじゃない」


「どうなったんです」


佐伯は静かに言った。


「消えました」


真田の手が止まる。


「行方不明です」


部屋の中で


競馬新聞が風で少しめくれた。

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