1933年1月 埼玉県 所沢陸軍飛行場
極寒の所沢。ようやく数機が揃い、実用試験部隊として配備された九一式防空戦闘機が、朝日を浴びて整列していました。
隣の格納庫には、すでに部隊運用の主力として馴染んでいる九一式戦闘機が並んでいます。配備から1年以上の開きがありますが、この日、初めて両機が同じ「防空任務」の列に並びました。
「……ようやくお出ましというわけか。待たせてくれたな、アメリカ帰りの怪鳥殿」
中島製の九一式戦闘機を駆るパイロットが、防寒服の襟を立てながら、隣に並んだを九一式防空戦闘機睨みつけました。
「去年の春には配備されるって噂だったが、結局ここまでかかった。何でも、プロペラの芯材だかエンジンの重要部品だかがニュージャージーから届くのが遅れたらしいじゃないか。おまけに、届いた図面がインチ表示で、センチに直すだけで中島の技師が泣いたって話だぜ」
「中島の設計局じゃ、それを『ミリ』に書き直すだけで技師たちが連日徹夜して、計算尺を握り潰したって話も聞いた」
別のパイロットが、AFF機の厚い主翼の下に潜り込み、その異常な太さを小突きました。
「こいつを今の日本の整備兵たちが扱いきれるのか? インチのボルトをミリのレンチで回して、ねじ切るのがオチじゃないか?」
別のパイロットも、九一式防空戦闘機の厚い主翼を小突きました。
「おい、見てみろよ。この1年の間に、俺たちの九一式(戦闘機)はすでに改良が進んで、現場の職人の手で翼の剛性も上がってる。今さらこんな『不格好な鉄塊』が来たところで、所沢の空に居場所があるのか? これじゃまるでお蔵入り寸前の古臭い戦車だ」
そこへ、九一式防空戦闘機の慣熟訓練を担当する加藤大尉が歩み寄ってきました。
「古臭いだと? 逆だ。こいつは『未来から来すぎた』せいで、日本の工場の時計を止めていただけだ」
加藤は、九一式防空戦闘機の特徴的なカウリングと、ようやく国産化の目処が立ち始めた巨大な金属プロペラを指差しました。
「確かに、この1年、中島の現場は混乱の極みだった。アメリカから届いた『100分の1ミリ』の精度で管理された部品を、日本の古い旋盤でどう受け入れるか。その『規格の衝突』を乗り越えるのに、これだけの時間が必要だったんだ。……だがな、見てみろ。ようやく組み上がったこいつのコックピットは、お前たちの機体とは次元が違う」
加藤は大尉は、九一式防空戦闘機の密閉式キャノピーをスライドさせました。
「お前たちが去年の冬、高度4000で顔を真っ青にして操縦桿を凍えさせていた時、こいつはアメリカの防空理論に基づいた、風を通さない硝子の部屋を用意して待っていた。配備は遅れたが、その分、こいつがもたらす『近代戦のインフラ』は、お前たちの技量頼みの空戦を過去のものにするぞ」
中島製の九一式戦闘機が放つ、熟成された「職人の美学」。
AFF製の九一式防空戦闘機が放つ、ようやく日本に根付き始めた「工業の暴力」
1933年初頭、所沢の空でようやく二機種の「九一式」が揃った瞬間。それは日本の航空史が、遅ればせながらも決定的に「量産と規格」の時代へと足を踏み入れた瞬間だった。




