1937年末 中国大陸 北京(天津)・ハルビン・太原を結ぶ三角形の地帯
ep.21への誤字報告ありがとうございます。
1937年6月。山東省北部、黄河下流域は、梅雨前線による連日の豪雨で、見渡す限りの泥の海と化していた。
そこは普段、小麦や大豆畑が広がる北支平原だが、この時期ばかりは牛車すら足を取られる「泥濘の海」と化す。
そこに、天津の町工場から出荷されたばかりの「万能トラクター化キット」を組み込んだ、真新しい四輪車(通称「土ポンポン」)を所有する張という男が住んでいた。彼の愛機は、村に一台しかなかった日本製クボタ焼玉エンジンを搭載し、普段は牽引式の乗り合いバスを引いて活躍していた。
午前3時、まだ夜が明けきらぬ暗闇の中、村長の息子が張の家の戸を叩いた。
「張さん、張さん! 助けてくれ! 父さんの牛車が、あの『馬鹿地の沼(泥濘地帯)』で完全に埋まってしまったんだ!」
「馬鹿地の沼」は村と市場を結ぶ最短ルートにある、最も危険な場所だ。張は寝間着のまま飛び起き、言った。
「増設キットの準備をしろ!」
村長は事前に、天津から購入した泥濘期専用の「鉄製外輪」と「滑り止め鎖」を準備させていたのだ。
脱穀機にフライホイールからのベルトと繋がれていた土ボンボンは、慌ただしく自走形態へと姿を変えていった。
20分後、張の家の前には、奇怪な姿の土ポンポンが唸りを上げていた。普段のゴムタイヤの上には、鉄のトゲトゲのついた外輪がボルトで固定され、さらにその上から、八輪トラック用(九四式八輪自動貨車)の太い鎖の網が何重にも被せられていた。これは、古くなった日本軍の横流し品だった。
「ガチャコン、ガチャコン、ポン……」
単気筒エンジンの野太い爆発音と共に、張の土ポンポンは時速5キロまでギアを落とし、地響きを立てながら闇の中へと消えていった。
「馬鹿地の沼」は地獄絵図だった。村長の牛車は、車輪の半分以上が泥に埋まり、必死に引こうとする二頭の牛は、もはや体力を使い果たし、荒い息を吐きながら力なく横たわっていた。このまま夜明けを待てば、牛は凍え死ぬか、窒息するだろう。
「ポン! ドン! ポン! ドン!」
闇の中から響く、大地を揺らすような爆音が近づいてくる。村長親子は顔を見合わせた。
「来たぞ!」
張の土ポンポンは、牛車が埋まっている場所の数百メートル手前で、白い蒸気を噴き上げながら停止した。張は慣れた手つきで、排気管の先から伸びるシュノーケルを一番上まで伸ばす。もしエンジンに泥水が入れば即死だ。
「よし、行くぞ!」
張はクラッチを繋ぎ、単気筒エンジンの野太い爆発音の後、その速度を時速3キロまで落とした。鉄製の外輪と鎖の爪が、泥に食い込み、泥水と土塊を後方へと勢いよく巻き上げる。まるで川を遡上する外輪船のように、土ポンポンは泥の抵抗を力技でねじ伏せていく。
小回りの聞かない土ボンボンを上手く牛車へと寄せていかねばならない。張は慎重にその道筋の上を動かしていく。
土ボンボンの「サイドロッド」が「ガチャン、ガチャン」と力強く回転するたび、車体は確実に前へ進む。牛が足を取られるような泥も、この「鉄の象」には通用しない。
牛車の埋まった真横までたどり着くと、張は土ポンポンを停止させ、備え付けてあった太い麻縄を牛車の車軸に巻き付けた。
「おい、牛をどかせ!」
張は叫ぶと、再びクラッチを繋いだ。
「ドッドッドッ、ポン!」
焼玉エンジンが唸りを上げた瞬間、麻縄がピンと張り、悲鳴を上げた牛車が泥の中からズルズルと引きずり出されてくる。まるで手品でも見たかのように、村長親子は呆然としていた。
動けなくなった牛たちを解放し、代わりに荷台に積んであった石炭を土ポンポンのフレームに載せた。そして、もう一台別の空のリアカーを牽引する。張は牛四頭分の仕事を、たった一人と一台でこなしていた。
夜が明ける頃、村へと戻る一行の姿があった。泥まみれの土ポンポンが先頭を「ガチャコン、ガチャコン」と進み、その後ろを空になった牛車とリアカーと牛たちが続く。
市場へ急ぐ商人たちが、その光景を見て足を止める。
「また、土ポンポンが(泥から)牛を引いたか……」
山東省の村々では、牛馬の需要が減り、天津から出荷される「焼玉エンジン用・万能トラクター化キット」の注文が殺到していた。天津の町工場の親父は捌ききれない注文にうれしい悲鳴をあげていた。
泥濘期に牛馬を失う恐怖から解放された農民たちは、土ボンボンを村の守り神のように崇め始めた。1937年の北支平原は、牛の鳴き声ではなく、焼玉エンジンの「ポンポン」という爆音と、「ガチャコン」というサイドロッドの音で満たされていったのである。
感想から思いついた設定です。(エンジンに関してはあれです。あれ。)
電食(異種金属接触腐食)」という致命的な弱点を内包したAFFライセンスの日本生産機のトータルコストパフォーマンスのコスト構造は「製造時の圧倒的安さ」を「運用時の膨大な人件費」で補うという、当時の日本のような「資本は乏しいが労働力(整備兵)は豊富な組織」ではそれなりに合理的なものでした。
1. ライフサイクルコスト(LCC)の構造比較
項目AFF機(九三式・九二式). 他社標準機(全アルミ製). 経済的背景
製造コスト. 100(基準). 180 ~ 220. 町工場ラインと汎用鉄材による圧倒的安値。
整備工数(人時). 250. 100. 電食対策(油引き・磨き)に膨大な人手を要する。
部品交換コスト. 30. 120. アルミ皮が腐食しても「ただの板」なので安価に交換。
廃棄・再生コスト. 10. 50. 鉄骨が生きているため、スクラップにならず再生可能。
2. 電食問題に対するアカギの「算盤」
「鉄とアルミの電食」は、確かに機体の寿命を縮めますが、アカギはそれを「経済的メリット」に変換しました。
「皮」は消耗品という割り切り:
他社機(モノコック構造)では、アルミの腐食は「機体全体の破棄」を意味します。しかしAFF機では、アルミの外板は単なる「空気抵抗を減らすための服」です。電食でボロボロになったら、そこだけ剥がして新しいアルミ板(あるいはさらに安いブリキ板や防水布)をリベット留めすれば、中身の鉄骨は無傷のまま戦線に復帰できます。AFFライセンス生産の機体によっては丸頭リベットから沈頭鋲に打ち替えました。
「人件費」による「外貨」の節約:
当時の日本にとって、アルミ(ボーキサイト)は貴重な輸入資源でしたが、整備兵(労働力)は徴兵によって「定額使い放題」でした。「高価なアルミを厚く使って長持ちさせる」より、「薄いアルミを使い、整備兵に毎日油を塗らせて使い潰す」方が、国家予算としては正解だったのです。史実の日本軍の整備兵も手のひらの掌紋がなくなるまで、ガソリンで機体の表面を理不尽なほど磨いていました。
3. 戦場での実質的なコストパフォーマンス
稼働率による回収:
電食で表面が汚くても、ハ号一型エンジンが「火を炙ればかかる」おかげで、AFF機は他社機の3倍の頻度で出撃します。1機あたりの「運んだ物資の量」で割った「有効活用コスト」では、他社機を圧倒しました。
AFFライセンス日本生産機は「時間の切り売り」
AFF機のコストパフォーマンスの正体は、「製造時間を極限まで短縮し、その代償として生じる電食(腐食)のケアを、現場の整備兵の時間で支払う」というモデルです。
製造時: 既存インフラ(鉄道・農機・町工場)を利用して、他社の半値で作る。
運用時: 電食という「物理の徴税」が発生するが、それを「油と雑巾」で防ぐ。
結果: 1930年代の日本軍に、このシステムは、サビの問題を補って余りある利益をもたらしました。
「サビるから駄目だ」という批判に対し、アカギはこう答えるでしょう。
「サビる前に次の戦場へ飛ばし、サビてしまえば皮を剥いで捨てればいい。骨(鉄骨)さえ残れば、機体は何度でも蘇る」
当時の満州において、時速10km〜15kmでダイヤグラム(運行図表)を組むことは、実質的に「軌道のないナローゲージ(軽便鉄道)」として機能させることを意味します。
石原が、「線路の敷設・撤去が自由なナロー鉄道」として焼玉車列を定義したことは、「戦術レベル」から「戦略インフラレベル」へとその価値を引き上げました。
敵の予想もしない方向に、一夜にして「1日300トン輸送可能な仮想ナロー鉄道」を出現させることができる能力は、ソ連軍の近代的な機甲師団に対しても、「補給の継続性」という一点において優位に立てます。
1. 「時速12km」
鉄道との整合性: 当時の山岳地帯や過酷な環境を走る軽便鉄道の平均速度は、停車時間を含めると時速10〜15km程度でした。「焼玉自動貨車」がこの速度でダイヤを組むことは、物流の計算上、「24時間稼働するレールなき軽便鉄道」を新設したのと同等の輸送能力をもたらします。
馬との比較: 馬は一時的に時速20km以上で走れますが、1日10時間以上の連続稼働は不可能です。時速12kmで24時間淡々と進む「焼玉車列」は、1日の進出距離(約300km)において、馬匹輸送(約30〜40km)を圧倒します。
2. 「ダイヤグラム運用」によるボトルネックの解消
衝突と渋滞の回避: 満州の未舗装路は「すれ違い」が困難です。ダイヤグラムを組むことで、特定の地点(待避所)でのみ車列がすれ違うように管理でき、泥濘地での立ち往生や衝突を防げます。
「10+2」の自己完結性: 車列を一つの「列車」と見なすことで、12両が固まって動くため、1台が泥に埋まっても前後の車両がサイドロッドのトルクで引き抜く「連結走行」的な助け合いが可能になります。
3. 既成トラック(ガソリン車)との決定的差別化
「動くインフラ」としての価値: 史実のトラックは「点から点へ、荷物を積んで速く走る」道具でしたが、アカギの焼玉車列は「物流という一定の『流れ』を維持するインフラ」です。
石原莞爾の評価: 石原がこれを「鉄道」と認識したのは、個々の車両の性能ではなく、「時間通りに、確実に、大量の物資が届く」という鉄道的な信頼性を評価したからです。
「時速10km〜15kmのダイヤグラム運用」は、単なる低速の言い訳ではなく、「満州の泥という環境下で、最も効率的に大量輸送を実現するための軍事・経済的最適解」です。
これにより、関東軍はソ連国境付近のインフラ未整備地帯を、巨大なコストをかけて鉄道を敷設することなく、「焼玉車列という仮想鉄道」で繋ぐことに成功した、という強力な整合性が完成します。
この運用であれば、1937年時点の配備数(4,660台)で、関東軍の主要な補給路をほぼ完全に「ダイヤグラム化」できている計算になります。
万能焼玉四輪「土ポンポン(天津製)」性能諸元(1937年型)
項目. 性能・仕様. 備考
ベースエンジン. 単気筒. 焼玉エンジン (2.5L ~ 4L級). クボタ、ヤンマー等の農業用を流用。
最大出力. 12 ~ 18 hp / 450 ~ 600 rpm. 低回転・巨大トルク型。
シャーシ構造. L字鋼(アングル材)ボルト留めハシゴフレーム. 鉄道・橋梁用廃材を町工場で加工。
駆動方式. 後二輪サイドロッド(連棒)駆動. デフギア、チェーンを廃した「鉄棒」直結式。
変速機. 単純な二段変速(高・低)+ 後進. 鉄道用ギヤの流用。
巡航速度. 12 ~ 15 km/h (平坦路). 人力車より速く、自転車より遅い。
泥濘期速度. 3 ~ 5 km/h (低速ギヤ). 泥の中を「歩く」速度で確実に進む。
最大積載量. 800 kg ~ 1,000 kg (1トン). 人間なら10人、大豆なら15袋程度。
最大牽引力. 2,000 kg (2トン). 泥に埋まった牛車(牛2頭分)を軽々引き出す。
車両重量. 約 1,200 kg (エンジン含む). 鋳鉄エンジンと鉄骨フレームによる重厚構造。
泥濘期装備. 「鉄製外輪ラグ」+「九四式用鎖網」. ゴムタイヤの上からボルト留めする泥爪。
渡河・浸水能力. 最大 1.0 m (吸排気煙突延長時). エンジン上部まで泥水に浸かっても稼働可能。
騒音レベル. 100 ~ 105 dB. 「ポン、ポン」と「ガチャコン」の合奏音。
燃料種類. 大豆油、菜種油、綿実油、軽油、重油. 燃料を選ばない「悪食」仕様。
【技術的特徴と「天津流」の工夫】
「サイドロッド」の汎用性:
チェーン駆動を捨て、あえて「鉄の棒 (サイドロッド)」にしたことで、衝撃に強くなりました。泥の中で鎖が切れる心配がなく、曲がっても「その辺の石で叩いて直せる」ことが農村で熱狂的に支持されました。
「ベルト・テイクオフ」機構:
車体側面のフライホイールにベルトを掛けるだけで、走行を止めて「据置動力」に戻せます。これにより、脱穀機や揚水ポンプとして24時間稼働できる「農村の発電所」となりました。
「吸排気シュノーケル」:
農民たちが独自に「トタン板」や「竹筒」を継ぎ足して煙突を高くし、1メートル近い洪水の中でもエンジンを止めずに移動する姿は、1935年以降の北支平原の日常風景となりました。




