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A.F.F.S (アカギ・フライングマシーン・ファクトリー・ストーリー)  作者: あくまでもフィクションです。石を投げないで。
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1933年2月21日 満洲国 奉天工場引き込み線特別列車内

 ep.24への誤字報告ありがとうございます。


 1933年2月21日 火曜日 午前8時30分


 奉天郊外、南満洲鉄道の巨大な修理工場の裏手にある引き込み線。停車した満鉄の豪華特別列車「泰西号」は、工場の蒸気配管と直接繋がれ、マイナス30度の外気とは無縁の快適な空間を提供していた。


 列車の数百メートル先では、黒く巨大な蒸気機関車「パシシ型」が、次の任務を待ってアイドリングしている。そのボイラーからは白い蒸気が途切れなく立ち上り、周囲の凍てついた空気を震わせながら、腹の底に響くような蒸気の唸り声を上げていた。


 「泰西号」は、工場のボイラーから供給される高圧蒸気によって、20度を越える「初夏の熱気」に満ちている。窓の外、零下30度の奉天の街が白く霞んで見えるのは、外気とのあまりの温度差で窓ガラスが常に結露し、それが縁で凍りついているからだ。


 軍用列車や資材の出入りは日常的に行われており、工場の裏手にある修理点検用の引き込み線に特別列車が数日間停車していても、周囲からは「エンジンの修理か資材待ち」にしか見えなかい。


 工場の敷地境界線は満鉄の自社警備員によって厳重に管理されている。そこでは、1933年2月21日午前0時に設立された支那派遣軍の臨時司令部が、同日実施された「熱河作戦」の指揮をとっていた。


 熱河作戦は、単なる領土拡張ではなく、「国際連盟脱退という外交的決裂を、圧倒的武力による既成事実化で乗り切る」という極めて高度な政治戦として設計されていた。


 法的には「満洲国の外(中国領土内)」で活動する部隊すべてを支那派遣軍に括りだす。これにより、熱河省は「満洲国の一部」ではなく「派遣軍の占領地」という扱いになり、満洲国・関東軍司令部の行政権が及ばない仕組みになっている。


 その第一目標は、同年3月上旬までの熱河省の完全平定。満洲国の西側に隣接する熱河省(張学良軍の拠点)を完全に制圧し、万里の長城を「満洲国の防衛境界線」として確定させること。


 最終目標は、長城越えによる「北支(華北)の非武装化にあった。マイナス40度でも稼働率の高い極寒地仕様の九二式双発軽爆撃機を活かして北京近郊まで圧迫。中国中央政府(蒋介石)に対し、北支一帯の日本軍支配を認めさせ、満洲国の存在を「沈黙」によって承認させること。


 国際連盟がジュネーブで「日本の満洲撤兵」を議論している最中に、九二式双発軽爆撃機初期生産分24機による圧倒的な航空撃滅戦(朝陽奇襲)を敢行。その後1月ごとに15機づつ増えてゆき、連盟が結論を出す前に、熱河全域から北支を軍事的に制圧し、「もはや議論しても手遅れである(既成事実化)」という状況を突きつけるためだった。


「ジュネーブで舌戦が行われている間に、我々は承徳(省都)の城壁に日の丸を掲げる。連盟が制裁を検討し始める頃には、北京の城壁の下に我々の軍旗の影が落ちている。議論より速く、支那派遣軍を移動させるのだ」


 支那派遣軍の支那派遣軍高級参謀(作戦担当)である石原莞爾大佐は、関東軍作戦参謀から「横滑り」してきた熱河作戦の理論的支柱であり、九二式双発軽爆撃機の稼働率を組み込んだ陸と空の「立体作戦」を主導してきた。



 今作線は、関東軍より支那派遣軍への指揮下編入された部隊で実施される。


 第6師団(熊本)は通遼つうりょう付近から、熱河省北東部から赤峰せきほうを経て、万里の長城「古北口こほくこう」方面へ侵攻。


 第8師団(弘前)は、本作戦の主力として義県ぎけんから、朝陽ちょうようを突破し、省都・承徳しょうとくを陥落させる。


 混成第14旅団は、綏中すいちゅうから、沿岸部を西進。山海関さんかいかんを圧迫し、北京への南側ルートを牽制。


 騎兵第4旅団は、通遼北側から、熱河省北部の砂漠地帯を突破し、多倫どろん方面への迂回。



 作戦名は「熱河作戦(熱河平定)」だが、支那派遣軍の真の狙いは「熱河を盾にした北支制圧」にある。


 その第一段階は、本日朝から開始される予定の航空撃滅線。工兵一個大隊で数日かけて整備した義県の野戦飛行場から九二式双発軽爆撃機が発進。朝陽・承徳の敵航空戦力を地上で全滅させる。我が軍の地上部隊の進撃を阻む「敵の目」を潰す。


 そして第二段階として、第8師団が九二式双発軽爆撃機の航空支援を受けながら、義県→朝陽→承徳のルートで熱河省都・承徳を落とす。


 最後の第三段階は、承徳陥落後、部隊を止めずに万里の長城を越え、古北口から一気に北京・天津へと部隊を進める。零下40度でも稼働率の変わらない九二式双発軽爆撃機を前提とした作戦だった。中国軍が再編する前に「北支(華北)」を事実上の非武装地帯あるいは統治下に置くことだ。


 サロン内は、参謀たちが絶え間なく燻らすタバコの煙で、視界がわずかに青白く霞んでいた。工場のボイラーから引かれたスチーム暖房が、湿った雪の匂いと混じり合い、そこに重厚なタバコの煙が停滞している。


 参謀たちの頭上では、換気扇の能力を超えた煙が層をなし、天井のシャンデリアの光を鈍く反射していた。


 磨き上げられたマホガニーの長机の上には、奉天駅の電信室から1分おきに届けられる義県ぎけん経由の入電が散乱し、長机の上には、満鉄の紋章(工マーク)が入った重厚な真鍮製の灰皿が数箇所に置かれていたが、すでに吸い殻で溢れかえっていた。


 石原大佐の前の灰皿には、火をつけたまま放置され、長く伸びた灰がそのまま崩れた吸い殻がいくつもあった。地図に没頭し、タバコを「味わう」のではなく、神経を研ぎ澄ますための「燃料」として消費していた。


 熱河作戦における九二式双発軽爆撃機の推移(1933年2月〜5月)


熱河作戦は急峻な山岳地帯と極寒の中での電撃戦であり、通常の航空機であれば離着陸時の脚折れやエンジンの凍結で壊滅的な損耗を出す戦場です。


 時期機数(実数)状況と運用


1933年2月(作戦開始時)24機初期生産分の先行配備機。中島飛行機の職人がミリ規格への翻訳に苦労しながら組み上げた「重厚な初期ロット」

作戦中の補充・増援+36機。関東軍が「動かない既存機(九二式重爆等)」の予算を強引に付け替え、内地から緊急輸送させた追加生産分。

作戦中の損耗(全損)-4機驚異的な低損耗。 史実の華奢な機体なら20機以上失う状況下、対空砲火での撃墜2機、操縦ミスによる墜落2機。脚折れによる廃棄はゼロ。

1933年5月(作戦終了時)56機。


 1. 史実との熱河作戦の違い


史実では、日本軍は険しい地形と極寒、そして補給の途絶により「歩兵の持久戦」を強いられましたが。日本軍は険しい地形と零下30度の極寒、そして補給の断絶により、128名の「騎兵集団」による強行軍が戦局を左右するような泥臭い持久戦でした。AFFSでは、石原莞爾による陸と空の「立体作戦」です。



 エンジン始動の成否が分けた「初戦」


史実: 既存機(九二式重爆や九一式戦の初期型)は、オイルの凍結と過冷却により、極寒の朝にはエンジン始動に数時間を要するか、最悪発火して失われました。

AFFS: 「ハ号一型(ハ1)」を搭載した九二式軽爆は、アカギ設計の「強制空冷ファン」により、零下30度でも即座に暖機を完了。中国軍が「この寒さで日本軍機は飛べない」と確信していた払暁に、平然と爆撃を開始しました。この「運用環境への耐性」が、戦術的な奇襲を常態化させました。



史実: 補給線が伸び切り、歩兵は弾薬不足と凍傷に苦しみ、進撃は牛歩でした。

AFFS : 航続距離950kmを誇る九二式双発機爆撃機が、内地から届いた月間生産分を関東軍に横流しされる形で増強。「トラック用タイヤ」と「50cmの脚ストローク」を活かし、山岳地帯の未整備な河原や斜面に強行着陸し、弾薬と防寒具を前線に直接デリバリーしました。これにより、歩兵部隊は史実の3倍の速度で長城線へ到達しました。


 「九二式司偵」による「神の視点」


史実: 中国軍の伏兵や長城背後の兵力移動を把握できず、各所で小規模な包囲戦が発生しました。

AFFS: 航続距離2,400km・最高速度352km/hという「迎撃不能」な九二式司偵が、作戦中盤(1933年中頃)から戦域に投入。北京・天津周辺の中国軍(張学良軍)の動向を完全に筒抜けにし、九二式軽爆による「指揮所へのピンポイント爆撃」を可能にしました。



2. 和平協定(塘沽協定)への影響と修正


 支那派遣軍の政治的プレゼンス


史実では関東軍が独走しましたが、AFFSでは「名目上切り離された」支那派遣軍が九二式シリーズを運用し、圧倒的な戦果を挙げます。

影響: 塘沽タンクーでの交渉において、日本側代表は「これは関東軍(満州)の問題ではなく、支那派遣軍による治安維持である」と強弁。九二式司偵(352 km/h)北京上空を低空飛行する中、中国側(何応欽)は「対抗手段なし」と判断せざるを得なくなります。


 協定内容の「非公式な拡大」


史実: 軍事的な非武装地帯の設定に留まりました。

本シナリオ: 九二式司偵の「2,400kmの足」を背景に、非武装地帯の哨戒権を日本側が独占。


 関東軍の「保有機ゼロ」からの大反撃


関東軍の焦燥: 熱河作戦中、生産ラインの全てを「支那派遣軍(名目上の別部隊)」に持っていかれた関東軍本体は、熱河作戦作戦終了後に保有機ゼロという状況に置かれます。支那派遣軍の部隊も帰って来ません。

要求の過激化: 「満州防衛の責任者でありながら、最も優秀な機体を一機も持っていないのは国防上の欠陥である」と陸軍省を糾弾。この「保有機ゼロ」という飢餓感が、1933年後期から1935年にかけての「九二式シリーズの爆発的な優先配備(全体の65%独占)」という異常な数字を正当化させます。




 蒋介石にとっての「計算違い」


「天険の要害」の無効化: 万里の長城や山岳地帯に拠って日本軍を消耗させる算段が、九二式軽爆の精密爆撃と、山岳地帯への強行補給によって崩壊しました。

戦略拠点の露出: 航続距離2,400kmを誇る九二式司偵が南京や上海の上空にまで飛来し、国民政府軍の陣地移動を完璧に把握している事実に戦慄します。

蒋介石の判断: 欧米製の機体よりも圧倒的に「稼働率」が高い日本機に対し、正面切っての対抗は不可能と判断。史実よりも早い段階で「持久戦」を唱える一方、欧米(特に米国)に対し「日本の航空機生産の裏にいるアカギ(AFF社)」を国際法違反で訴えるよう画策します。



 1. 史実以上の制圧地域と具体的領土


史実の「熱河作戦」は万里の長城付近で停滞しましたが、AFFSでは九二式双発軽爆撃機よる山岳地帯への強行補給と九二式司偵による南京までをも含めた戦略偵察により、日本軍は長城線を越え、華北の心臓部までその手を伸ばしています。


制圧下の主要都市:

承徳・山海関: 当然の如く、作戦開始数週間で完全に掌握。

通州・密雲: 北京の指呼の間に進出。

天津・塘沽タンクー: 海路と空路(九二式軽爆の威圧)により、ほぼ無血で日本軍の軍事的支配下に。

北平(北京)包囲網: 都市内部には入らないものの、周囲の要衝をすべて制圧。九二式司偵が毎日、故宮(旧紫禁城)の上空を低空で旋回し、蒋介石派の役人たちを戦慄させている。


 2. 和平協定の名前と史実との違い


この絶望的な戦況下で結ばれる協定は、史実の「塘沽タンクー協定」をベースにしながらも、その性格が大きく異なる『北平ペイピン軍事停戦協定』となります。


協定名:北平ペイピン軍事停戦協定

具体的条項の違い:

非武装地帯の劇的拡大: 史実の長城南側だけでなく、「北京・天津を含む河北省の北半分」が事実上の非武装地帯となり、国民政府軍の進入が永久に禁じられました。

支那派遣軍の常駐権: 史実の「守備隊」名目ではなく、熱河作戦の功績を背景に「邦人保護」を理由とした大規模な常駐が認められました。

航空哨戒の独占: 北支一帯(河北・山東・察哈爾省)の空域における「日本軍(九二式司偵)による公認の空中監視権」。中国側機体(米・独製)が飛行する際は、日本軍への24時間前の通告が義務付けられました。


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