1933年10月 東京赤坂見附 「カッフェー・パウリスタ」赤坂店
1933年10月。溜池から霞が関へと続く赤坂見附界隈は、秋の深まりとともに濃紺の外套を羽織った通行人の姿が目立ち始めていた。
その通りの中にある「カッフェー・パウリスタ」赤坂店の外観は、白壁に木組みが映える西洋風の造りで、入り口に掲げられたお馴染みの「銀ブラ」の看板が、ここが銀座の本店と同じ香りを供することを示していた。店内に一歩足を踏み入れれば、そこは外の喧騒を遮断した、重厚なコーヒーの香気に満ちた別世界だった。
高い天井からはアール・デコ様式の照明が吊り下げられ、磨き抜かれた真鍮の調度品が淡い光を反射している。壁側には落ち着いた暗褐色の木製ボックス席が並び、その一つ一つが、国家の機密を囁き合うのに十分なプライバシーを担保していた。
アカギは、店の奥にある使い込まれた革張りのソファに深く腰を下ろし、無造作に置かれた白磁のカップを見つめていた。彼の前には、ブラジル・サントス直輸入の、砂糖もミルクも入れない漆黒のコーヒーが置かれている。
「……アカギさん、ここのコーヒーは、ブラジルの大地そのものの味がしますな」
大蔵省理財局国庫課の池田事務官が、緊張を隠すようにスプーンを動かした。アカギはそれに答える代わりに、わずかに湯気の立つカップを手に取り、無言で一口啜った。彼の表情からは、この場の政治的な緊張感も、あるいはコーヒーの味に対する感慨も、何一つ読み取ることはできない。
この場に、アカギは主義主張を持ち込むために来たのではない。ただ、日本でライセンス生産している『九一式防空戦闘機』『九二式軽爆撃機』『九二式司令部偵察機』『九二式輸送機』と、本命の『AFF type 30』のために来ていた。
「佐藤が言うには、貴方は九一式防空戦闘機や九二式軽爆撃機の生産で『軍需品の価格』に切り込んでいるとか」
大臣官房文書課の森田書記官が、手帳を開かずに切り出した。アカギはカップをソーサーに戻すと、指先に付いたわずかな水滴をナプキンで拭い、そのまま視線を外の通りへ向けた。
窓の外では、黒塗りのフォードやシボレーのハイヤーが、落ち葉を巻き上げながら永田町の方角へと走り去っていく。そのタイヤの回転数、エンジンの燃焼音。アカギにとって、このパウリスタの優雅な空間も、外を走る自動車も、そしてこれから語られる軍の利権も、すべては等しく煩わしいものだった。
「……そんな格好いいものじゃないですよ。ライセンス料を受け取ったからには、それだけの仕事をしようというだけのことです」
ビジネスですよとアカギは笑った。
アカギは、ただ卓上に広げられたアメリカのカタログ雑誌から抜き出した部品の価格と日本で調達された部品の価格を比較した『日米工業部品原価対照表』を持ち上げた。
「……始めましょうか、佐藤さん。皆さんの『算盤』が、なぜこれほどまでに狂っているのか、その具体的な数字の話を」
「……その算盤の狂いというのは、なにも軍工廠への支払額に限った話ではないのですよ、アカギさん」
池田が、コーヒーの苦みを飲み下すように言葉を継いだ。彼は周囲に視線を走らせ、ボックス席の影に声を潜める。
「おまけに、満州と日本の間で奇妙な『手品』が流行っている。……旅行ですよ。役人や軍人が日本円を持って満州へ渡り、向こうの統制価格で安く売られている物資や時計、奢侈品を『満州円』で買い込む。それを日本に持ち帰って、こちらのインフレ価格で売り抜ければ、旅行から帰ってきた時にはなぜか資産が増えている。国境というフィルターを通るだけで、金が湧いてくる仕組みだ」
池田の指先が、テーブルの上で円を描いた。
「等価であるはずの日本円と満州円が、実体経済の『物価の壁』によって歪められている。軍はこのロンダリングの公然の秘密を『開発の成果』という霧の中に隠し、浮いた金で独自の利権を肥やしている。我々がいくら為替を、予算を統制しようとしても、この霧が晴れない限り、国家の血である円は内側から腐っていくんだ」
軍需インフレを抑えるためには統制経済しかないんですと池田が続けた。
日本の金輪出再禁止による「円安・インフレ」と、満州での「物価統制・銀本位制の影響」により、実質的な購買力平価に大きな歪みが生じていた。その隙間をつくように、金と物が日本と満洲国を行き交っている事実があった。
「日本から満州へ物が動く場合もあります。これでは何のために外貨を統制しているのやら」と森田が肩をすくめた。
アカギは無造作に『日米工業部品原価対照表』のページを捲り、一つの項目を指し示した。
「……霧を晴らすのは簡単だ。比較対象がないから『手品』ができる。軍が『これは一万円の特殊鋼だ』と言えば、皆さんは判を押すしかない。だが、そこにこのシカゴのカタログを置いてみなさい」
アカギの指が、一〇セントの自動車部品の広告を叩いた。
「一ドルの鉄骨が空を飛んでいることが周知の事実になれば、国境を越えるたびに金が増える手品など通用しなくなる。私が提示するのは、思想でも主義でもない。満州でも、上海でも、そしてアメリカでも、どこの修理工の親父でも、同じ値段で部品を買える『標準価格』です。
今のアメリカではインチ規格の『AFF type 30』は機体とエンジン込みで1.5万ドルでできるでしょう」
インチキ規格じゃりませんよとアカギは軽く微笑んだ。
主計局主計官補佐・歳出第一課担当の佐藤事務官と池田が息を呑む。アカギが提示しているのは、単なるコストダウンではなかった。それは、軍の不透明な資産形成そのものを、グローバルな「物差しの暴力」で無効化するという宣告だった。
「……アカギさん。君は本気で、この『(日米工業部品)原価対照表』で陸海軍の工商や軍需産業、この帝国の歪みを正せると思っているのか」
佐藤の問いに、アカギは最後の一口のコーヒーを飲み干し、感情の欠落した瞳で答えた。
「正せるかどうかは興味ありません。ただ、不正確な数字は壊れる。……それが機械でも、国家でも同じだと言っているだけですよ。何度も言うようですが、佐藤さん。私はライセンス料分の仕事をしているだけです。それ以上のことはするつもりがないんですよ。ただあまりにも目に余ると言うだけのことです」
その後も続いた雑談では、ハ号一型エンジンを搭載した九二式軽爆撃機の稼働率は異常なほど高く、支那派遣軍と関東軍の間で取り合いになっているという。関東軍が九二式軽爆撃機ベースの九二式司令部偵察機の配備要求数が多すぎて、今のところ支那派遣軍が割りを食っているという話を森田がしていた。
何度も取り替えられた灰皿から立ち上る煙に、アカギはこう答えた。
「アメリカで『AFF Type 30』を設計中に、それを3人乗りの民間機にした図面を引いたことがあります。それをベースに、偵察機だか軽爆撃機だか……。支那派遣軍の必要とする性能諸元になるかどうかはわかりませんが、一度、その支那派遣軍の話とやらを聞いてみましょうか?」
1933年11月、秋雨に濡れる赤坂の夜。「カッフェー・パウリスタ」での密談から数週間後、アカギは参謀本部の一室で、支那派遣軍から派遣された幕僚たちと対峙していました。
彼らが突きつけた「性能要求」は、関東軍の九二式(タイプ31)シリーズへの対抗心と、大陸戦線の過酷な現実が混ざり合った、極めて独善的で切実なものでした。
支那派遣軍による性能要求(1933年11月)
「精悍な外観」と「高速性能」
要求: 「関東軍の九二式は鈍重で醜い。我々には、九一式防空戦のような鋭いカウリングと、敵の旧式機を寄せ付けない速度(350km/h以上)が必要だ」
アカギの解釈: 九一式防空戦闘機の絞り込んだカウリングで十分。
「二人乗り」と「後部防御火器」
要求: 「広大な大陸での連絡・偵察には、複座が必須。かつ、低空での『汚れ仕事(対地攻撃)』の際、敵の地上火力を制圧し、背後を守る機銃が欲しい」
アカギの解釈: 3人乗り民間機案の座席一つを機銃座に転用。
「生存性」と「翼内燃料タンク」
要求: 「胴体タンクは被弾すれば即座に火を吹く。上海の市街地や山岳地帯で墜ちるわけにはいかん。燃料はすべて翼に入れ、防弾を施せ」
アカギの解釈: 胴体タンクを廃止し、翼内の鉄骨スパーの隙間に「ゴム製湯湯婆(防弾タンク)」を詰め込む。
九三式偵察機(タイプ33)開発・生産スケジュール
アカギは、大手メーカー(中島・三菱・川崎)が「九一式」「九二式」の増産でパンクしていることを見越し、「鋳造エンジン(ハ1)の供給余力」と「地方の町工場」を繋ぐバイパス生産ラインを構築しました。
時期開発・生産・配備の推移
1934年1月末設計完了・見積提出:大蔵省主計局が即時発注を決定。
1934年2月-4月町工場での分散生産:機体骨組みを鉄道車両メーカー、主翼スパーを橋梁業者へ発注。エンジン(ハ1)は国鉄・クボタの供給余力分を確保。
1934年5月試作一号機完成:設計着手から半年。既存部品の80%流用が効を奏す。
1934年8月制式採用「九三式偵察機」:領収試験で358km/hを記録。支那派遣軍、狂喜。
1934年10月支那派遣軍への引き渡し開始:上海・北支の部隊へ、月産15〜20機のペースで順次納入。
1935年末までの生産数と配備状況
九三式は「大手メーカーのラインを一本も使わずに作られた」ことで、軍需産業のボトルネックを迂回して急速に増産されました。
1935年末時点の総生産数: 380機
配備状況:
支那派遣軍(上海・北支):280機
部隊評価:「速く、頑丈で、何より火を吹かない」カウリングを絞ったことで熱滞留の懸念はあったが、支那の気候下では致命的にならず、むしろその「精悍さ」が将兵の士気を高めた。
国内・教導部隊:100機
中島や三菱の熟練工ではなく、地方の鍛冶屋や旋盤工が作った機体が、最新鋭機を凌駕する稼働率を誇る事実に、中央の技術将校たちは沈黙した。
なぜ「1935年末」に間に合ったか
エンジン(ハ1)の特殊性: 鋳造主体のハ1は、熟練工を必要とする「削り出し」工程が少ない。農機・鉄道の生産ラインをそのまま流用できたことが、380機分の心臓を確保できた最大の要因です。
機体構造の「粗さ」: 九三式はアカギの「町工場ドクトリン」を最も純粋に体現しており、特殊な工作機械を必要としない「ボルトとプレス」の集合体であったため、地方の工業都市(新潟、広島、久留米など)の生産力を直接吸い上げることが可能でした。
支那派遣軍は「自分たちのための、特別な九三式偵察機(AFFタイプ33)」を手に入れ、1935年末には関東軍に勝るとも劣らない航空戦力を、大手メーカーのラインを一切塞がずに構築することに成功しました。
九三式偵察機(AFFタイプ33)性能諸元(1934年時)
項目. 性能数値
全長. / 全幅8.85 m / 12.80 m. 九一式より胴体を微延長し複座化。主翼面積を拡大し安定性を強化。尾翼も大型化。
全備重量. 2,720 kg. 翼内防弾タンクと後部座席により九一式より重いが、爆装時よりは軽量
エンジンハ号一型(ハ1). 800 hp / 1,800 rpm. 信頼性重視の低回転デチューン設定を維持
最高速度. 358 km/h. 九一式共通カウルを維持。表面は丸頭リベットだが、空力の最適化で達成
巡航速度. 285 km/h. 1,800rpm定常運転により、大陸での長距離哨戒においても極めて低振動
航続距離:胴体タンクを廃止し、翼内に「ゴム製湯湯婆(防弾タンク)」を分散配置
正規(偵察仕様). 640 km. 約2.3時間. 巡航速度285km/hでの計算。
爆装(250kg搭載). 520 km. 約1.8時間. 爆弾による空気抵抗と重量増による。
最大(片道限界). 780 km約2.7時間 予備燃料をすべて使い切った場合。
上昇力. 5,000mまで 7分05秒. 支那の酷暑下でも、大型オイルクーラーによりオーバーヒートなく上昇可能
固定武装. 7.7mm機銃 × 2丁機首. 九一式の6丁から減じ、偵察機としての軽量化と安定性を優先
旋回武装. 7.7mm機銃 × 1丁後部座席. 支那派遣軍が強く求めた対地掃射・自衛用
最大爆弾. 搭載量合計 350 kg. 厚翼構造と鉄道用ボルトによる剛性により、過負荷に耐える設計
主要爆装. パターンA250kg 爆弾 × 1. 胴体直下の強化マウントに懸吊。対艦・対陣地用
主要爆装. パターンB50kg 爆弾 × 2〜. 4左右主翼下の鉄骨スパー直結マウントに懸吊。対人・対車両用
急降下爆撃能力可能(制限あり). 橋梁技術による「鉄骨スパー」が引き起こし時のGを支える
投下方式. 手動レバー式. 複雑な油圧を避け、農業機械用の鋼索による機械式投下
偵察装備. 航空カメラ(手動). 後部座席に配置。民間機案の広さを活かし、大型カメラの操作が可能
冷却方式. 機首下大型オイルクーラー. 蒸気機関車の給水加熱器用銅管技術を用いた国産品
1. 「九一式共通カウリング」と冷却の整合性
アカギは支那派遣軍の「もっと絞れ」という要求を退け、九一式防空戦闘機と完全に同一の金型で作られたカウリングを押し通しました。
技術的決着: カウリング内部で排熱を完結させるのではなく、機首下に不格好だが巨大なを蒸気機関車の給水加熱器用銅管技術を用いた国産品外付け(ボルト留め)することで、支那の酷暑下での低空運用という過酷な条件をクリアしました。
経済的決着: これにより、新たなカウリングの開発費をゼロにし、日本国内での量産速度を劇的に高めました。
2. 加熱問題の真因:運用環境
九一式(防空戦)では表面化しなかった加熱問題が、なぜ九三式で懸念されたのか。それは設計の不備ではなく、「低空・高負荷」という運用の差に起因します。
高高度(九一式): 希薄で冷たい空気の中、迎撃のために上昇する。
低空(九三式): 支那の酷暑の中、250kg爆弾を抱えて地表付近を這い回る。
地表の熱い空気を吸い込み、かつ九一式よりも重い「全備重量 2,780 kg」を支えるために、低空でスロットルを開け続ける時間が長くなります。
結果として、ハ一型の「800kgの熱容量」が、冷えにくいという特性として現れます。
3. 生存性と航続距離の両立
防弾湯湯婆: 胴体燃料タンクを廃止したことで、被弾による爆発炎上のリスクを激減させました。翼内のスパー(鉄骨)の隙間に配置されたゴム製タンクは、小銃弾程度の被弾なら自己封鎖するため、支那派遣軍の将兵たちは「アカギの機体なら生きて帰れる」と絶大な信頼を寄せました。
連絡機としての優秀さ: もともと「3人乗り民間機」として構想されていたため、後部座席は他社の偵察機に比べて非常に広く、長時間の滞空でも偵察員の疲労が少ないという隠れた利点がありました。
4. 1935年末までの生産・配備状況
生産体制: 中島や三菱が手一杯の中、アカギは「鋳造エンジン(ハ1)」の供給余力と、鉄道車両メーカー(機体骨組み)、橋梁メーカー(翼桁)の生産力を直接繋ぎました。
配備数: 1935年末までに約380機が生産され、その大部分(280機)が上海・北支の支那派遣軍へ送られました。
評価: 1機あたりの調達価格が九二式の約6割という衝撃的な安さでありながら、稼働率は九二式を上回りました。大蔵省は、この「九三式」の成功を盾に、既存の軍需産業へさらなる価格破壊を迫ることになります。
5. なぜ250kgが積めるのか
通常、このクラスの単発機(2.7トン級)で250kg爆弾を積むと、急降下からの引き起こしで翼が折れる危険があります。しかし、九三式はアカギが「橋梁業者」に発注した厚肉の鉄骨スパーを翼内に通しており、構造重量は嵩むものの、物理的な「折れにくさ」は桁違いでした。
主脚の頑丈さ: 商工省が規格化した国産トラック(いすゞ・トヨタの前身)用のミリ規格タイヤと、50cmストロークの鉄道用オレオ脚が、爆弾を積んだままの荒い着陸(あるいは離陸失敗時の衝撃)を強引に吸収します。
6. 支那派遣軍での運用実態
「一撃必殺」の250kg:支那派遣軍は、トーチカや堅牢な石造りの建物を破壊するために、50kg爆弾の複数搭載よりも「250kg爆弾1発」を確実に叩き込む能力を重視しました。
後部座席からの観測:後部座席の偵察員が、投下後の着弾確認を即座に行えるため、戦果確認の精度が格段に向上しました。
7. アカギの「算盤」:投下装置の流用
農業機械の流用:爆弾を切り離す投下器の爪や制御ワイヤーには、脱穀機や製粉機の動力伝達用クラッチ・ワイヤーや鉄道の連結器解放機構の設計を転用しました。「航空専用」の精密投下器なら一セット300ドルするところを、農機の部品を「強化」して製作。支那派遣軍の若林少佐が「なぜこんなに安いのか」と疑った際、アカギは「麦を落とすのも爆弾を落とすのも、算盤の上では同じ仕事ですよ」と答えています。




