1931年5月上旬 東京 陸軍航空本部
「……馬鹿げている。こんなものが、戦闘機といえるか?」
技術課のベテラン技師が、吐き捨てるようにペンを投げ出した。彼の前には、中島飛行機が心血を注いだNC(Nakajima C)型の、繊細で美しい骨組みの図面がある。
前年の1930年に試作機が完成し、数々の不具合(構造の脆弱性や振動問題)を、血の滲むような「軽量化と補強の妥協点」探しで克服し、ようやく制式採用直前の最終局面に入ろうとしていた矢先のことだった。
その隣に並べられた「AFFタイプ30」の設計図は、これまでの彼の航空常識とは真逆の戦闘機、いや航空機が存在していた。
仮契約が決まり、米国から送られてきた「タイプ30」の設計図を見た結果がこれだ。面白半分だった空気は吹き飛んでいた。
大恐慌後の投げ売りされている建設用資材で作ったのかと疑うその機体は、凹凸が噛み合う「櫛形継手」の主翼の主桁には、直径20mm以上の高強度SAE規格ボルトが、機関銃の弾痕のように叩き込まれていた。
着陸時に、この2.3トンの機体の衝撃を油の圧力で相殺する大型オレオのストロークも50cmを超えている。これを引き上げ式にする機構は至極、単純なものだった。
離陸後のパイロットが、引き込み式の脚を引き上げるために20~30回回す手動式チェーン駆動。
埃や油切れにも強くチェーンの外れない内装変速(ハブの中にギアがあるタイプ)で、英国の自転車会社スターメーアーチャー社の「三段変速式ハブ」の遊星ギアの歯車比をそのまま拡大したもの。それをコネチカットの自動精米機メーカーに、「新型精米機の試作用強化ギアだ」と言って渡した図面で、彼らが使い慣れたニッケル鋼で厚みを1.5倍にした一式5ドルのものだという。
一式2ドルの自転車用「三段変速式ギア」をスターメーアーチャーに「航空機の脚の駆動用」で注文すると、「航空省の型式証明(Type Certificate)」取得費用を上乗せし、莫大な「保険料(PL法的なリスク)」を価格に転嫁する。
ニッケルクロム鋼の削り出し特注依頼料金は、約45ドル~60ドルするだろうとポンチ絵に記されていた。
そして、降りた脚を固定する重力落下ロック。
ここには、鉄道車両用の連結器に近い巨大な鋼鉄製の爪が配置されていた。多少の乱暴な着陸でも、脚が折れる前に爪が滑走路の衝撃を受け止めるだろう。この脚なら、整地されていない前線の原っぱに爆弾を抱えたまま叩きつけられるように降りても、折れることはないだろう。
そこには市販のトラック用の12ドルのタイヤが付けられていた。この機体の主翼の厚さでなければ、トラック用のタイヤなんて収まるはずもなかった。
「ですが、課長。……認めざるを得ません」
一人の若手技師が、その細い指先で計算尺を叩いた。その顔は、今まで考えたこともない航空機の概念に接して青ざめていた。
「何度計算してもその数字に矛盾はありません。そして、その結果が……」
若手技師は、自身の計算結果を絞り出すように読み上げた。
「NC型が高度5,000メートルに到達するまでに9分近くかかるというのに、この『タイプ30』は、その約7割強の時間で、それも粗悪な燃料で駆け上がると言っている。……上昇力という一点においては手も足も出ません」
部屋に重苦しい沈黙が落ちた。
駐在武官の報告や、『Scientific American』『Aviation』の記事を読み、彼らが「アメリカの三流機」と鼻で笑っていた頃、それは遠い海の向こうのゴシップに過ぎなかった。しかし、今目の前にあるのは、偽りのない物理の数値だ。
少し遅れて『航空時代』および『国防』でも取り上げられたが、海外の笑い話という記事だった。
本来、NC型も帝都防衛の防空任務を担うはずだったが、いつの間にか格闘戦を重視する設計になっていた。
「それに、この『火力』だ」
別の技師が、主翼断面図を指差した。
「我々が2丁の機銃を載せるためにどれほど苦労したか。……だが、この翼を見てくれ。まるで鉄道の鉄橋だ。これなら6丁どころか、将来、20mm? とかいう機関砲を載せてもビクともしないだろう。我々のNC型でそれをやれば、何の為に空冷エンジンを載せたのかわからなくなる。
7.7mm×6丁とその弾薬だけでも異常な重さだ。今見ても信じられない。……上昇力と、そして一撃で敵を粉砕する火力。防空任務に必要な性能諸元がこれだとしたら、この機体は我々の理想を……最悪の形で実現してしまっている」
「……巴戦をさせれば、NC型の圧勝だ」
課長が、最後の手すりを掴むように呟いた。しかし、その声に力はない。
「そうです。旋回すれば勝てる。……ですが、爆撃機相手に旋回する必要がありますか? その圧倒的な上昇力で、敵の爆撃機にただ一撃だけを加える。……その時、我々のNC型に、何ができるというのですか?」
技術者たちは、沈黙の中で互いの顔を見合わせた。
彼らが絶句したのは、A.F.Fの設計思想が「異端」だったからではない。自分たちが美学の名の下に目を逸らしていた防空任務に必要な「重武装・高上昇・高稼働」という本質を、最も醜悪で、かつ最も効率的な「鉄の塊」として突きつけられたからだった。
「……井上(航空本部長)閣下には、なんと報告する」
「『戦闘機としては三流、だが爆撃機を相手取るなら一流』……そう書くしかないでしょう」
1931年5月初旬。葉桜が揺れる新緑の頃、格闘戦に寄って設計されたNC型の正式採用に暗雲が立ち込めていた。
日本陸軍 同時採用二機種 性能諸元比較(1931年)
項目 九一式戦闘機 (中島NC). 九一式防空戦闘機 (Type 30). 技術者たちが絶句した理由
設計思想. 軽快な旋回性能(燕の美学). 重武装・高上昇(鉄塊の合理性). 巴戦を捨て、高度と火力のみを追求
全備重量. 1,500 kg. 2,300 kg. 九一式より800kgも重い
エンジン. 中島「寿」等 (450hp). AFF 1930 (750hp). 低回転(1,800rpm)で九一式の1.7倍の出力
排気量. 約 18,000 cc. 約 39,880 cc (40L). 日本のベアリングの弱点を「遅さ」で回避
翼根の厚み. 約 10~12 cm. 50~60 cm. 後の20mm砲搭載を見越した剛性
航続距離. 約700km(約2時間:80オクタン). 約580 km(約2時間10分:60オクタン):約650 km(約2時間25分:80オクタン). 九一式防空戦闘機は、胴体内タンクに燃料250kg(350L)
最高速度. 300 km/h(73オクタン). 340 km/h(60オクタン):355km/h(80オクタン). 抵抗の塊(丸頭鋲)をトルクでねじ伏せる
上昇力. 5,000mまで 約9分(73オクタン). 6分30秒(60オクタン):5分40秒(80オクタン)
武装. 7.7mm機銃 × 2丁. 7.7mm機銃 × 6丁. 瞬間火力3倍。爆撃機を「粉砕」
燃料対応. 航空ガソリン専用(73オクタン). 60オクタン(最低保証). 松根油混じりでも全力運転可能
リベット. 丸頭リベット. 全面「丸頭リベット」. 町工場でも量産可能
脚構造. 固定式 (鋼管). 手動引き込み式 (極太オレオ). 3.6m巨大プロペラ(分割構造)を回す




