1932年12月 埼玉県 所沢陸軍飛行場・第一格納庫前
関東平野を突き抜ける乾いた空っ風が、格納庫のトタンをガタガタと鳴らしていた。
駐機場の最前列には、帝都防空の要として鳴らした「飛行第一連隊」の精鋭たちが「重単戦への転換」の為に集まっている。彼らの前には、並外れて分厚い主翼を持つ銀色の怪鳥、九一式防空戦闘機が不気味なほど静かに鎮座していた。
「話には聞いていたが、本当にでかいな。全高3.3m? もっとありそうですね。あれは」
「……おい、始まるぞ。機付(整備兵)が火を入れる」
大田伍長が喉を鳴らした瞬間、整備兵が慣性始動機を回し、クラッチを繋いだ。
「――ドッ!! ……ドッドッドッドッドッ!!」
一発の爆発が、周囲の空気を物理的な質量として押し出した。
甲式四型のイスパノ・スイザが奏でる軽快な「パンパンパン」という乾いた羽音ではない。それは、巨大な蒸気機関車が駅に滑り込んできた時のような、重厚で逃げ場のない地鳴りだった。
「……なんだありゃ!? 音が! ……音か!? 肺の中の空気を押し出してくる!」
「まだ暖機運転です! 九一ボー(防)はあんなものじゃないですよ!」
若い機付兵が、思わず耳を塞いで答えた。1,800回転の低回転でアイドリングを続ける40,000ccの心臓は、所沢の地面を巨大な太鼓の皮に変えていた。
「伍長、まるでお調子(徳利)を箸で叩いてるみたいに正確な拍子じゃないっすか? 一発一発の爆発が、こんなに揃っているなんて……」
大田伍長は、あえて耳を塞がず、身体を揺さぶる重低音を真っ向から受け止めた。
「これに比べりゃよ。紙つばめ(甲式四型)の音は、まるで風に流される雲のようだな。この九一ボー(防)の音は、今まで聞いたことがない。……お前が言うように、三味線の師匠が、上手にお調子を叩くみたいだ。今度の女房は三味線の師匠ってわけか」
格納庫の窓ガラスが、「ハ号一型」の脈動に共鳴して激しく震えている。
「紙つばめ」の繊細なワイヤーの笛の音は、もはや九一式防空戦闘機が放つ暴力的なリズムにかき消されていた。飛行第一連隊の男たちは、その場に釘付けになったまま、自分たちの「燕」としての記憶が、鋼鉄の振動によって上書きされていくのを無言で受け入れていた。
一番乗りの大田伍長が「チョークを外せ!」と叫んだ言葉は、口から出た瞬間にかき消された。
開いた風防から入りこんでくる音で、そこはもはやコックピットではなく、頭から放りこまれたドラム缶の中のようだった。足で蹴られて、木の棒で叩かれて、調子に乗った金属棒までが、時計の長針と短針と秒針の様に規則正しく動いている。
「キィィィィィィィン!」というファンの悲鳴が、金属板をヤスリで削るような鋭さで頭蓋骨を貫く。狭いカウリング内で15枚の羽根が空気を切り裂くサイレンみたいな音を立てる。
直後、3.6mのプロペラが叩き出す空気の塊が、時速100キロ近い突風となって顔面を直撃する。それは「風」ではない。一秒間に数十回、目に見えない巨大な掌で頬をビンタされ続けるような、「バッ!バッ!」と物理的な連続打撃だ。
そして腹の底から突き上げる、「ドッ、ドッ、ドッ、ドッ」という40,000ccの脈動。1,800回転という低回転で回すため強烈な打撃(低周波)が体の芯まで震えさせる。
毎秒30回転。星型複列14気筒4ストロークエンジンの一秒間に210回の爆発だった。
三味線の師匠が正確にお調子を叩くようなそれら三つの音圧は、大田伍長の肺を外側から力任せに押し潰し、内臓を持ち上げた。
大田伍長は顔をしかめ、歯を食いしばった。背骨を築き上げてくる振動が、奥歯の根元まで震わせる。
「……これが750馬力ってやつかよ!」
風防を開けたまま、彼は泥を噛むタイヤの感触と、肉体を破壊せんばかりの九一式防空戦闘機の咆哮を全身で受け止め、地響きと共に滑走路へと突き進んでいった。
少なくとも小説の部分は時系列で揃えたいんですが、調べてもこちらのブラウザにはそんな機能はないみたいですね。
性能諸元比較(1932年12月時点)
項目. 甲式四型戦闘機(ニューポール・デラージュ NiD.29). 九一式防空戦闘機(AFF Type 30)
設計年. 1918年. 1930年(アメリカ/アカギ設計)
構造. 木金混交・布張り複葉機. 全金属製・セミモノコック単葉機
全備重量. 約1.1 トン. 約2.3 トン(約2.1倍)
発動機. イスパノ・スイザ(水冷V8・300馬力). ハ一(ハ号一型)(空冷星型14気筒・750馬力)
最大速度. 235 km/h. 340 km/h
武装. 7.7mm機銃 × 2丁. 7.7mm機銃 × 6丁(のちに12.7mmへ換装可能)
プロペラ. 木製2翅(固定ピッチ). 分割プレス式ジュラルミン3.6m巨大プロペラ
脚部. 固定式(車軸むき出し). 手動引き込み脚(太いオレオ脚)




