幕間 舞台裏で交わされる思惑
「くそ! くそ、クソ、クソォ!!」
その男は全力疾走の最中だった。
騎士学園〈リッターガルテン〉の試験会場となっていたグラウンドから、一刻も早く逃げんとしていた。なにを隠そう、サクラの試験相手に〈ダスクスコルピオ〉を召喚したのは彼なのだから。
バレてしまうと学園での彼の地位が剥奪されることはもちろん、重い処罰が下ることも間違いがなかった。
「なぜだ!? あの怪物なら確実にあの無能で不吉な女を消せると思ったのに! グラファイトで構成されたあの超硬度の殻を叩き切るだと!? どういうバケモノなのだ!?」
あの魔物は近年でも多くの死傷者を出した特級指定の存在。騎士見習いの、しかも庶民の女が倒せるような代物じゃないはずだ。
あまつさえ。
「エンチャントと属性技の二重発動だとォ……! “始祖武具” を使っているわけでもないのに、どういう奇跡なのだ! やはりあの【予言】は正しかったとでも―――」
「へえ。その予言とやら、少し聞かせてもらおうかな」
「がっ……!」
男が何かにつまずいたようにこける。否、つまずくべき足はそのひざ下から鋭利な剣で断ち切られていた。地面に転がったその体を見下ろすように、別の人影が現れる。
「くそ、なにが! いいや、その声、まさか……ジークフリート王子!?」
「うるさいな。君はただ僕の質問に答えろ。サクラにあの怪物をけしかけたのは何故だい。それに彼女に関係のある予言とはなんなのかな、学園監察官第八位アウルス=アムクゥア殿」
アウルスと呼ばれたその男は、痛みに歪んだ顔を上げると底意地の悪い嗤いを浮かべる。それはとても一国の王子への態度ではなかった。
「ふ、ははは。なに、筆記試験で最低点を取るような無能を消そうとしたまでのこと……。しかし、王子ともあろうお方が【魔王の預言】を知らないとは傑作だァ」
「黙れ。足だけでなく、舌も切り落としてやろうか? そもそも【魔王の預言】なんて、しょせんただのおとぎ話だろうに。学園の関係者ともあろう者が幼稚すぎると思うけど?」
「それがただのおとぎ話などではないとしたら?」
「なんだって……?」
倒れ伏したままのアウルス監察官に剣を向けながら、ジークフリートは考えを巡らせる。そもそも魔王とはかつて五勇者が戦った相手の呼称だが、その正体は暴走した時の権力者か強力な力を持った人間だと、彼は考えていた。
だってあまりにも常識はずれの空想すぎる。闇の眷属を従えて世界を支配しようと君臨する絶対的存在。神話に語られるべき究極の闇だなどと。
「ならば魔王は、真に魔を統べる者だったと? だとしたって、サクラとその魔王がなんの関係があるというんだ」
「その通り。第三王子殿も彼女の髪色を見たであろう。あの光すら飲み込まんばかりの純黒の髪を」
「こじつけじゃないか。黒髪は確かに古くから凶兆の印とされてはいるけれど……。彼女の力からは邪悪な気配は感じなかったよ」
「なにを根拠に……。あァ、貴方は確か “五天” の頂点と呼ばれる力―――、最初の勇者のリーダーと同じ聖なる力が宿っているのでしたねえ。魔には敏感というわけですな」
そう言われて、ジークフリートは心底嫌気のさした顔をした。普通なら勇者と同じ力なんて羨望の的でしかないだろう。しかしそれはジークフリートの人生においては、決して憧れられるような物ではなかったのだが、それはまたいつか語られるとして。
もう対話する程の興味もなくなった様子のジークフリートは剣を鞘に納めると、転がったままのアウルスから離れていった。
「ふはは、いいのですか? 私からもっと情報を訊き出さなくて。まだまだ知らぬことが多いと見えますが」
「問題ない。貴様の罪を裁いた際に貴様の罪を裁いた際に、全て覗かせてもらったからね」
「なにを―――、な、なんだっこれは!!? か、からだがァアアアアアア!?」
背後で急に絶叫を上げたアウルスには目もくれずに踵を返すジークフリート。狭い路地裏には、肉と骨が軋み潰れていく音だけが最後まで残り続けた。常人なら吐き気を催すような耳障りな音が響く中、世間で “五天の頂・聖霊騎士”としてもてはやされている王子とは思えない昏くかげった表情を浮かべて、彼は歩み続ける。
「……こんな力のどこが羨ましいんだか。それよりも魔王、ね。ますます面白くなってきたじゃないか。ねえ、サクラ」
そうして。彼の足音すら遠くなったことで、そこでなにかが起こった形跡は完全に消え去ったのだった。




