協力者
ちせちゃんを送り届けてバイトに戻ると、厨房でマスターが皿を洗い終えて拭いているところだった。
「戻りました」
「おかえり。店開けてもらっていいか?」
時計を見るともう開店まで5分を切っている。
ドアの前のプレートをCLOSEからOPENに掛け直して、看板を立てる。
今日も相変わらずジメジメとした暑さが体に刺さり、ちせちゃんが少し心配になった。
話を聞くにライフラインは全て止まっているようだ、蒸し暑い部屋の中に居るのは子供にとっては酷だろう。
今日は母親は帰ってこないと言っていた為アパートに顔を出してみようかとも考える。
法に引っかかりそうで怖いが、手遅れになりより良いだろうと顔を出すことにした。
マスターにこの事を話すと、俺の賄いついでに作るから連れておいでと言ってくれた。
バイトが終わりマスターに、じゃあ行ってきますと声をかけて店を出る。
自宅に帰らずちせちゃんの家へと向かい、インターホンを押した。
1回押しても出てこず、もう1回押しても変わらず出てくることはない。
スマホの時計を確認すると時刻は17時半、まだ寝るには早い時間だ。
もしかしたらあの2000円でご飯を買いに行っているのかもしれないと踵を返すと、ドアがガチャっと開いた。
「...お兄ちゃん?」
「ちせちゃん、ごめんねお家来たりして」
「ううん、嬉しい」
少し恥ずかしそうに頬を染め、モジモジしながらも気持ちを伝えてくれる姿にやっと子供らしさを感じた。
少し開いたドアの隙間から部屋を覗くと、掃除もされていないようでゴミが散乱しており、ちせちゃんの言う通り母親も帰っていないようだった。
「夜ご飯食べた?」
「食べてない」
「お店に食べに来る?」
「いいの?朝も食べさせてくれたのに...」
頻繁に店に行くのは悪いと子供らしからぬ遠慮を時々彼女は見せた。
しかし放っておくわけにもいかず、彼女を店へと連れていくと賄いが出来上がっており、ちせちゃんをカウンターに座らせた。
店の閉店は19時の為、まだお客さんはチラホラといる。
常連さんなんかは珍しい客人に驚き、彼女に声を掛けていたようだった。
「ちせちゃんいらっしゃい。
はい、マスター特製のお子様プレートだよ」
「お子様プレートなんていいなぁ。
ちせちゃん、おじさんにも1口頂戴よ」
「佐藤さん何言ってんだい。
お子様プレートなんて歳じゃないだろう」
「それもそうだなぁ!」
マスターと常連さんが笑っているのを見ていたちせちゃんは、初めて笑顔を見せた。
クフフ、と声を殺すように静かに笑っているのを見た時は、何だか子供の成長を見守っている親のような気分になった。
客足もそこそこに少なくなってきた頃、ちせちゃんは俺にこう話してきた。
「ねぇ、お兄ちゃんレンタル彼氏なんだよね?」
「え、あー...まぁね」
レンタル彼氏なんて葵の代役で1度きりしかしていないが、彼女の中では俺はレンタル彼氏という枠組みに入っているようだ。
じゃあさじゃあさ、と嬉しそうに言葉を紡ごうとするちせちゃんの話を待つ。
「私もお兄ちゃんのことレンタルできる?」
「え!?いや、えー...と」
返事に困っていると、話を聞きながら皿を拭いていたマスターがちせちゃんを見つめて笑った。
なぜマスターが笑っているのかわからないようで、彼女は首を傾げ次第に表情が曇っていくのがわかった。
「...できないの?」
そう呟くちせちゃんに、マスターは優しく諭すように話し始める。
「ちせちゃんは三木くんをレンタルしたいのかい?」
「したい!お兄ちゃんと居るの楽しいから!」
「そうかぁ...そうだなぁ」
一緒にいる時間が楽しいと言ってくれるのは何よりも嬉しかった。
だがこんな小さな子供がレンタル彼氏を利用するなんてことは当然出来るはずもない。
その上子供にそういったサービスを使わせるには教育に悪いようにも思う。
掛ける言葉にマスターも悩んでいるようで暫く考えていると、
「...やっぱりお金がないとできない?」
そう言って彼女は未だ不安そうに首を傾げている。
するとマスターは思い立ったように彼女にこう告げた。
「ちせちゃん、うちで働くか?」
「ちょっとマスター、何言ってるんですか」
彼女はまだ10歳で働くことはできない年齢だ。
その上母親にだって働いていることがバレれば最悪店仕舞いになる可能性にだってなる。
リスクが大きい提案に思わず顔を顰めてしまった。
「いいからいいから。
ちせちゃん、どうかな?」
「働く!
そしたらお兄ちゃんをレンタルできるんだよね?」
「おー、できるとも」
やったー!と喜ぶ彼女を他所に、俺はマスターの元へと駆け寄り耳打ちをする。
「マスターどういうことです?」
「こんな小さい子放っておくわけにもいかないだろ?
うちで働けば近くで見ておける」
「それは、そうですけど...」
マスターの言うことは尤もだが、そんなにすぐ納得出来るものでもない。
マスターのお人好し具合には呆れるところもあるが、それがマスターの良いところでもある。
彼女はずっと嬉しそうにしており、早速明日から働くことになった。
俺は彼女の手を引いて夜道を歩く。
いつもと違う道に疑問を持ったようで、どこに行くのかと問いかけられた。
俺の家だよ、と一言告げると、また嬉しそうにピョンピョン跳ねていた。
自宅に着くなり風呂の準備をする。
湯船に温かい湯を溜めて、タオルやら部屋着になりそうな服を見つけようとタンスを漁る。
彼女には少し大きすぎるだろうが、パーカーを1着取り出してタオルと一緒に洗面台へと置いた。
「ちせちゃん、お風呂入ろ」
「お風呂入っていいの?」
「いいよ。1人で入れる?」
「うん、入れる」
浴室へと連れて行き、左からシャンプー、トリートメント、ボディーソープだよと教えると、ありがとうと言って浴室の扉を閉めた。
暫くしてシャワーの音が聞こえ始め、彼女の服を洗濯機に入れて回した。
洗面所を出てベッドに腰掛け、彼女が出てくるのを待っていると葵から電話が掛かってきた。
彼女がお風呂から出てくるまで少し時間はあるしな、と電話に出ると葵は元気よく、よっ!と言う。
「何の用?」
「いやー、課題が...」
「出たよ。どこわかんねぇの?」
「流石!話が早くて助かるわ〜」
海斗様様だな!とケタケタ笑う葵に範囲を聞き出すと、到底今日中には教えられそうにもない量だった。
「お前さ、自分で調べるとかしたの?」
「したした!めっちゃした!」
本当かよ、と若干疑わしくなったところで洗面所の扉が開く音がした。
部屋に来るなり電話しているのを見て彼女は、俺に話しかけることなくジッと床に座って待っている。
申し訳なくなり葵に後日教えるから日程を調節しようと言うと、葵は今から家に行っていいかと言い始めた。
「悪いけどそれは無理」
「なんで?まだ19時過ぎたくらいじゃん」
「あー...今姪っ子預かってんだよ。だから無理」
「お前姪っ子なんかいたっけ?」
痛い所を突かれ言葉が詰まったものの、そういうことだからと一方的に電話を切った。
幼馴染ということもあり家族ぐるみの付き合いが多い。
姪っ子設定は少し厳しかったか。
スマホを枕元に置き彼女におかえり、と言うと律儀に、お風呂ありがとうございましたとお礼を言った。
彼女にベッドに座っておくよう促し、俺も適当にシャワーを浴びる。
風呂から出たタイミングで洗濯機が終わり、外に干すわけにもいかず部屋の中に干した。
部屋に戻ると彼女は何もせず、ただボーッと座って待っていたようだ。
テレビの1つでも付けておけばよかったと後悔し、お詫びという形で一緒にコンビニに行くか問いかけた。
「ちせちゃん、喉乾いてる?」
「ちょっとだけ」
「一緒にコンビニ行かない?」
「...いいの?」
彼女は必ず本当に良いかどうかを聞き返す癖があるようだ。
俺はいいよ、と言って財布とスマホをポケットに入れて外出の準備を始める。
そこで彼女があからさまにサイズの大きい服を着ていることを思い出し、外には連れて行けそうにないことに気付く。
「あー...ちせちゃんその服じゃ外出れないか」
「え、あ...」
ぶかぶかのパーカーにすっぽりと体が隠れており、腕を上げると余った袖がぶらんと垂れ下がっている。
「俺買ってくるよ。何がいい?」
「え、待って...!ちせ1人でお留守番?」
不安げに駆け寄ってくる彼女を見て、少し可哀想な気持ちが芽生えた。
今まで母親を待ち続けて1人であの家に取り残されていたことを思い出し、自分の迂闊さに若干の嫌気が差した。
「ごめん、1人嫌だよね」
彼女は静かに頷き、俺の手をギュッと握って離そうとしない。
抱っこしながら歩けば問題ないか、と彼女を持ち上げた。
目を丸くして慌てる姿が可愛くてクスッと笑いながらこのまま行こ、と言うと、さっきとは打って変わって控えめに俺の服を握っていた。
コンビニまでは徒歩5分のところにある。
ここは大学もまぁまぁ近くで意外と立地がいいのだ。
外は日が沈んだおかげで少し涼しさはあるが、湿気でジメジメした感じは変わらない。
コンビニに入って彼女の好きなジュースやお菓子、アイスを買って会計を済ませて外へ出る。
帰り道、袋からアイスを取り出して渡すと、美味しそうに食べ始めた。
家に帰ると玄関の前には葵が居座っているのが見え、ギョッと顔を顰めた。
こちらに気付いたのか、腹が立つほどの笑顔で海斗ー!と手を振っている。
「お前今日無理っつったじゃん」
「ガチの姪っ子?あんま似てねぇんだな」
「姪っ子なんてそんなもんだろ」
溜息をついて玄関の鍵を開けると、葵はいつものように上がろうとしてくる為ストップ、と制止した。
なぜ止められたのかわからないようで、阿呆みたいに首を傾げている。
そんな葵を他所に俺は抱きかかえている彼女に話しかけた。
「コイツは俺の幼馴染の葵。
勉強がわからなくて俺に泣いて縋り付いてきた哀れな奴なんだけど、
家に入れても大丈夫?
嫌なら嫌って言っていいよ」
「紹介の仕方酷すぎ...」
「事実だろ」
彼女にどうする?と聞き返すと、おずおずと俺と葵の顔を交互に見ている。
「...お兄ちゃんのお友達?」
「そう。お友達」
「...いいよ」
彼女が優しく了承してくれたおかげで葵は部屋に上がることを許された。
飲み物を用意しようとコップに氷を入れ、葵にはお茶、ちせちゃんにはさっき買ったオレンジジュースを注いで持っていく。
サンキュー、と葵はお茶を飲み、彼女もまたオレンジジュースを飲み始めた。
葵に課題を教えている間、不思議なことに彼女は葵の顔をジッと見続けていた。
葵も照れくさそうにしており、何照れてんだと茶化すと笑っていた。
課題も一段落ついたところで休憩しようと参考書を閉じると、彼女は思い立ったように葵にこう言った。
「ねぇ、葵くん」
「んー?どしたの、ちせちゃん」
「葵くん、ママの彼氏さんだよね?」
「え?ママの?」
葵は彼女に見覚えがないようで、一体誰の子なんだと考え込み始める。
俺は慌てて話題を逸らし、皆でゲームしようとテレビを付けると、葵も彼女もやる!と言ってくれたおかげで、姪っ子設定が崩れることはなかった。
彼女はゲームが初めてなようで、操作方法やルールなど教えながら楽しくゲームをしていると、あっという間に22時を回ってしまっていた。
「海斗、明日バイト?」
「おー」
「明日もちせちゃんいる?」
「明日はー...どうだったかな。
ちょっとわかんねぇ」
そっか、と一言告げるとベッドでスヤスヤと眠っている彼女を一瞥する葵。
葵は思い詰めた表情をしており、何か言いたげにソワソワしている。
それが何だか気持ち悪くて、何か言いたいことあんなら言えよと促すと、申し訳なさそうに話し始めた。
「さっきの話、なんだけど」
「あー...」
"ママの彼氏さんだよね?"
彼女の言葉がずっと気にかかっていたらしく、ゲーム中もずっと考えていたようだ。
葵は心当たりがあると白状し始めた為、隠し通すのは無理だと判断して全てを教えることにした。
代役で行った客の娘だということ、ネグレクトされている状態でバイト先のカフェで何回かご飯を食べさせていたこと、明日からは一緒にカフェで働くことになったこと。
すると葵は俺と彼女の顔を交互に見たあと、俺も協力すると言い出した。
「協力、って...何するつもりなんだよ」
「糸我さんとこの娘さんっしょ?
俺のお得意さんだし。
ほら、それとなくネグレクト辞めるように言うとかさ」
「馬鹿か。そんなんで辞めれたら苦労しねぇよ」
「とにかく!俺も何かしら協力してぇの!」
「声でけぇよ」
葵がこんなに必死で訴えてくるのは珍しい。
いつもはおちゃらけていて基本的には人生舐め腐ったようなムーブしかしないくせに、彼女のことになるとやけに熱が入っているように思う。
それがお得意さんの娘だからなのか、はたまた今日時間を共にして情が湧いたか、定かではないが俺は葵の言葉に甘えることにした。
とりあえず大学の連中に見られても姪っ子だと押し通すこと、彼女が母親に見つからないよう母親には彼女の話を極力しないことなど互いに約束事を決めていった。
「お前、絶対口滑らせんなよ。
お前が1番母親に近いんだから」
「任せろって。そういうの得意」
「嘘つけ」
そろそろ帰れと言ったが、夜遅いこともあって葵も今日は家に泊まっていくことになった。