平凡な日々に訪れた転機
ある夏の昼下がり。
蝉が煩く鳴き続け、真上に昇った太陽の光がジリジリと体力を奪っていく。
大学もいよいよ明日から夏休みに入るからか、キャンパス内の生徒は皆心做しか浮き足立っているようにも見えた。
いつも一緒に授業を受けている幼馴染の葵と帰り道を共にし、途中でコンビニに入って涼みながらアイスを買って食べつつまた歩き出す。
「海斗さ、夏休み何すんの?」
「バイト」
「そろそろ彼女作ろうぜ、な?」
「馬鹿言えよ。
こっちは生活すんのにバイトは欠かせねぇの」
長いこと彼女が居ない俺を心配するのも、もう何度目か。
幼馴染が葵ではなく女の子だったらまた何か変わっていたのだろうかと考えるも、きっと今と同じような道を辿っているだろうと結論づく。
最後に彼女が出来たのはいつだったか、もう覚えていない。
どうでもいいような話をしているうちに分かれ道に来ていたようだ。
葵と別れ、溶けかけているアイスを全て口に放り込んだ。
自宅へ帰るなり、エアコンの冷房ボタンを押して16度まで一気に温度を下げると、涼しい風が全身の汗を冷やすようで気持ちが良い。
狭いワンルームのおかげか、部屋が涼しくなるのにそう時間はかからないのが救いだ。
シャワーを浴び部屋に戻ってベッドに横たわる。
スマホの中のスケジュール管理アプリを開いて明日からのバイトの時間を確認した。
「あ〜...涼しい〜...」
ベッドに横たわっていると気付けば眠りについていたようで、目が覚めると外はすっかり暗くなっていた。
やばい、と体を起こすと時刻は21時を回っている。
バイトで忙しくなる為早めに課題に手を付けておこうと計画していたのが台無しだ。
仕方ない、と重い腰を上げて夕飯を作ろうとキッチンへ向かおうとした時、スマホの着信音によってその足は止まってしまった。
再びベッドまで歩きスマホを見ると、そこには"葵"という文字が表示されている。
こんな時間に何の用だと思いながらも電話に出ると、葵は申し訳なさそうに俺の予定を聞いた。
「来週の金曜?あー、まぁ一応休みだけど」
「マジ?!助かる〜!
悪いんだけどちょっと頼みたいことあって!
いい?」
「おー。なに、課題?」
「ちょっとしたバイト!」
「はぁ〜?バイト?」
「あとで詳細送るわ!じゃ!」
「あ、おい」
葵は嬉しそうな声色でそう告げ、俺の返事を聞くことなく電話を切る。
電話の向こうではツーツーと虚しく機械音が鳴り響いているだけだ。
易々と請け負ってしまった手前断ることも出来ず、葵からの連絡を待ちながら夕飯の支度をして食べ始めた。
30分経過しても一向に連絡が来ず、食べ終わった食器を下げようと立ち上がった時、スマホはピコピコと通知音を鳴らす。
画面にはやはり"葵"の文字。
間が悪い奴だなと心の中で悪態をつきつつも、メッセージを開いてみるとそこには"レンタル彼氏"の文言が見えて目を疑った。
"お前レンタル彼氏ってどういうこと?"
"最近始めたバイトでさ〜。
どうしてもこの日抜けらんない用事があんのよ"
"んなの日にちズラしてもらえばよくね?"
"お得意さんだしそうもいかねぇの!頼んだ!"
一連のやり取りを終えて改めて日程を確認すると、"8月1日12時〜"と書かれており、待ち合わせ場所の住所や顧客名なども記載されていた。
こんなに個人情報の扱いがガバガバでいいのかと首を捻りつつも、スマホのスケジュールアプリに予定を追加で入力した。
課題やバイトで慌ただしく日々を過ごしているとあっという間に8月1日を迎えた。
それなりに良い服を着て髪もセットし、レンタル彼氏らしく身なりを整える。
待ち合わせに書かれた住所はアパートだった。
親切に部屋番号まで書かれてあり、俺は仕方なくインターホンを押す。
中からは化粧が濃く香水がキツい女性が顔を出した。
「どちら様?」
「あの、代役で来ました。
...お話聞いてませんか?」
「あー、あなたが...」
葵じゃないからか目の前の女性はあからさまにつまらなさそうな顔をしている。
少し準備するから待ってて、と再びドアを閉められる直前、部屋の中に小さな女の子が居るのが見えた。
彼女はボロボロにほつれた小さなぬいぐるみを抱き締め、俺をただジッと見つめている。
年は8歳くらいだろうか?それにしても少し小さい気もする。
髪は乱れていて手入れされている様子はない。
暫くして再び扉が開くと女の子の姿は見えなかった。
「行きましょ」
「え、あぁ、はい」
少し気がかりに思いながらも、組まれた腕を引かれたことで我に返った。
これは大学2年の夏に、小さな女の子を助けた話だ。