ぷよひょろ、奈落の底へ突き落される
ぷよーん! ひょろーん!
豊かなるおにくと若き筋肉が、相次いでどさどさと着地したのは、何だかふかついた地面だった。
それが弾んだおかげで、どこの骨も折れてはいないようだが、ベッカは衝撃で目の前がちかちかする。
「何しやがんだ、あんちくしょーうっ」
ブランはいきり立って毒づいた。暗い穴から見上げれば、ずうっと高いところに丸く開いた穴が明るい。
そこに、例の緑の男の姿がある。
「聞きなさい、イリーの子ら」
厳かに言う男の声が、降ってきた。
「お前たちは、我々ブリガンティアの民のしもべ、精霊たちの食べものとなる」
「……はぁ?」
男はふいと消えてしまった。周りにいる男たちに話しかけているらしい。
「こうしてたびたび外人のたましいをくれてやれば、精霊たちはやがて力を取り戻す。そうして再び強くなった精霊たちを、新しき真の精霊使いであるこの私が、使役する日がやって来る……」
おおおおお、穴底までざわめきが聞こえてきた。
「ブリガンティアの息子が、復活するのだ……」
ずずずず……木のふたが閉じられる。
「あーっ、あああ、ちょっと待って、閉めないで助けてーッ」
「そいつは、にせ者だーっ! 最後の精霊使いの女の人は、もうここにいないんだからーッ」
恐慌をきたしたブランの怒鳴り声が、届いたらしい。閉じかけた木ぶたの隙間、ちょっとだけ男の顔がのぞく。
「よく知っているな? イリーの子。けれどお前の言うことは、まるで逆だ。精霊使いを名乗っていた女こそが、にせものだったのだよ……。そうだな、皆」
また、周囲の者たちに向けて言ったらしい。
「村の長たる精霊使いの座に、女がおさまると言うのがもともとおかしい。よわく愚かなる女に率いられた集団など、滅びまっしぐらと言うものよ。だからこそ、海賊なんぞに負けてしまったのだ。いま正当なる精霊使いの私が戻ってきたからには、全ては変わり、正しき方向へと進む。……」
ずるるるっ……。ふたは閉められた。
「あーっっ、ちょっとーっっ」
「開けろーッ、出せーッッ」
闇……。
「……!」
光とともに全ての音も消えた。ブランは泣き叫びたい衝動にかられる……。
ぷよん!
その左腕に、大きなあたたかいものが触れてきた。
「大丈夫だよ、ブラン君。目を閉じてごらん」
冷静きわまりないベッカの声。ブランは従った。
「僕らの知ってる闇と同じだよ。大丈夫だ」
自分の動悸が聞こえる。
ブランは左腕をゆっくり押して、ベッカに“しがみついた”。
震えているのはばれていると思う、……けれどこの人に隠して、何になるんだろう?
どのくらいそうしていたのか、わからない。
ようやく呼吸と動悸がいつもの調子に戻りかけて、ふうとブランは目を開いた。
……だんだん、わかってくる。目が慣れて、おぼろげながらベッカのぷよぷよ輪郭が浮かび上がってきた。ブランはゆっくり、腕を離した。
「……あそこの上の方に、窓がある」
顔を上げる、ほんとに光のもとがあった。
「窓って言うか、穴じゃないですか」
「そうだね……。出口もないもんかな? あの人たちは、磯牢なんて言っていたけど」
動かずに顔と視線だけ回して、二人は周囲を観察した。
足の下はやはりふかふか、潮くさい匂いがするのは、乾いた海藻らしい。
「何でこんなものがこんなにたくさん、積まれてるんだろう?」
「落っことした囚われ人が、即死しないようにかね……」
落とされた穴の底、八歩平方ほどの空間は、ふるい井戸底のようだ。しかし井戸底にしては広い。こんな海のそばに、井戸を掘る者の気も知れないが……。
ごつごつとした土壁部分、ブランの頭よりもずっと高いところに穴があった。そこから弱々しく、外光が入ってきているのだ。
そのわずかな光が、徐々に二人の目に、冷酷な事実を明かしてゆく。
「ベッカさん……」
壁ぎわ、いくつもの白骨がぼろきれに紛れて横たわっていた。髪や乾いた肉がこびりついているのもある。四つのしゃれこうべが、暗さの中に嗚咽を耐えて、沈黙しているように見える。
「……灯りが欲しいね。このぐるぐる縄を解かないと」
変わらず冷静に、ベッカは言った。
彼のるいび豚鞄には火打ち石が入っている、しかし縄を解かねば火はつけられない。と言っても火がないと、どうにも結び目は解けない……。
「困ったなあ。さっきのぴかぴかした精霊が、ひとついてくれたら良かったのに……」
その時である。
ぴこん! と、何かがブランの外套頭巾から飛び出した。
「うわッッ?」
「えええっ」
まさに、そのぴかぴか球体精霊である!
「何でーッ、ついてきたのッ!?」
ふいふい、ゆっくり二人の周りを浮きただよう……あかるいっ!
「いや、どうにも……ありがたいねッ、よく見えるね!」
ブランがベッカの背中、ぎっちり結ばれた手首の縄を歯でぎちぎち引っ張り、解くのに成功した。
「ようしッ」
ぬぬーん・ぷよん! と身をよじって、ベッカは腕と胸に巻かれていた縄から抜ける!
「うぬうッ、痛かったっ。これは絶対、あとがついちゃったぞ! 何というひどいことをするんだっ」
ベッカはかくしから小刀を取り出し、どうにかこうにかブランの拘束もぶっちぎった。
「ああ、良かった……。どうもありがとう、何で助けてくれたんだろうね?」
ずっと近くに浮いている、小さな光る球体に、ベッカは話しかけてみる。
それはぽよよんと漂って、ブランの腰あたりをうよついた。
「あー、もしかして」
ブランは股引かくしをごそごそやる。取り出した手のひらに、飴が一つのっていた。
ぱーくっ!
光の球はそれをのみこんだ、……口は見えなかったけど。
「あとでこっそり食べようと思って、かくしといたやつ……」
「何というみみっちいことをするんだ、ブラン君! いやそれで救われたけど!」
依然として、光の球が明るく浮いているのをいいことに、ベッカとブランは周囲をさらに詳しく調べてみる。やはり出口はどこにもない、上方の穴だけだ。
さらに、白骨死体もよく見てみる。
「あーっ! ちょっと、ベッカさん! この人っ……」
「……!」
ブランが鋭く叫ぶと同時に、ベッカは息をのんだ。
拘束された縄ごと朽ちかけたその白骨は、相当黒ずんではいるが、元は臙脂色だったらしい外套を巻き付けている……!
胸元きらりと、精霊の光を反射した何かがあった。
ブランは震える指で、ぼろ生地の下に隠れかけた、その水晶飾りをあらわにしてみる。正規騎士のしるし、紅玉髄の叙勲章。
「……ガーティンロー騎士!!」




