精霊使いの集落跡、裏の森
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ゼールは小舟とともに、浜に残った。
小脇に仔あざらしを抱えて手を振っている、その脇にバーべお婆ちゃんとナノカ。他のおばちゃん達は、交代で魚を獲りに行っている。
ひーひーふ~……と息荒く、ベッカは高台へ続く丘の斜面をのぼる。
その少し手前をブランが歩く。いやな気配、視線などは感じない。ただ、今朝見た“緑の首環道”の整いぐあいが、彼の頭にこびりついて離れない。ブランは胸中で、油断しないようにと自分に言い聞かせている。
――あの道は、この集落へ続いているはずなんだ。もし仮に住んでいる人がいるとすれば、俺たちのことを不審に思って当り前だぞ。
やがて、高台にぽつぽつと散在する、石積みに近づいて行く。
「……」
「他で見た集落と、あんまり変わんない感じですね」
聞いた話をまとめれば、ここの集落が襲われ略奪されたのは二十数年前だ。家の基盤くらいしか跡はない。他はすべて風雨に朽ち、消え去ってしまったのだろう。
そっけないほどに、がらんどうだった。
「だいたい、家が三十戸というところだね」
「くずれて、埋まっちゃった井戸が三つ。あの長い基盤は何だろう……馬小屋?」
「当時も東部じゃ馬はほとんど使われていなかったはずだから、他の家畜小屋じゃないの?」
中央部分に丸くあいた土地があった。相当むかし、地ならしをしたような形跡がある。広場だったのかもしれないそこに佇んで、ベッカはぐるりと周囲を見渡した。
背の低い草に、岩肌ののぞく地面。そこに時折まじる、家々の基盤。
おだやかに波うつ紺色の海が、南によく見える……。
「……ふつうの村だったんですね」
「普通の人たちが、普通に暮らしていた村だったのだろうね。精霊たちと一緒だったって部分は、……まあ僕らにとっちゃ普通でないけど、彼らには普通だった」
じいっと眺めていって、裏手の方のこんもりとした林に二人は気づく。
高台の反対側、低くなっている場所だからのぼって来る時は気づかなかった。
――こんな風さらしの場所なのに?
深く生い茂った樹々の深緑からは、妙な感じがした。
その樹々のしげみの横に、あざらし達の示した低い崖があるのだ。
「ベッカさん。何か、変なのがあります」
「?」
「森の入り口のところ……。わざと立てられたんじゃないかな。あの岩」
「行ってみようか」
樫の木が多い。ブランが見つけたのは、青みを帯びた灰色の岩、ナノカくらいの背丈である。たしかに柱のようにまっすぐ、人が立てたものに違いない。苔の生えた表面に、やはり人為的な刻み跡があった。
「何だろう……文字? こんなの、どこでも見たことがないな」
「え、東部では文字を使わなかったんじゃないんですか??」
ベッカとブランは首をひねる。文字……にしては単純である、短い線が並んでいるだけ。なにか道具の切れ味・使い具合を確かめたくて、ひたすら岩の表面を刻みました、という印象すらある。
「あそこの岩にも、同じようなのがあります」
雨にさらされてぼろついてはいるが、岩の表面にあるのは、明らかに人の手が施した何らかの表記……表現だった。数歩ほどの間隔でそういう岩がある。いくつか追ううちに二人は、樫の森のだいぶ奥まで来てしまっていた。……うす暗い、昼間なのに夕暮れたそがれ時のようである。
「小さい林だと思ったのに、やたら深いんだね……。ブラン君、そろそろ引き返そうか。もう、刻み跡の入った岩も見つからないし」
「はい」
その時である。
二人の周囲の景色が――ぎらぎらぎらッ、と輝いたようだった。
――雷鳴?
ベッカははっとして宙を見上げるが、その視線の先の空は、樫の大樹の茂りにさえぎられている。
囲まれた、とブランは感じた。
何なのか全くわからない、未知の気配がまたたく間に二人を囲んでいた!
――人間じゃあ、ないッ。
ブランは右手を長剣の柄にかけた。後じさる、ベッカのすぐ脇に――。
「ああッ?」
音もたてずに、妙なまるい物体が、姿をあらわした。
球体……としかわからない、時折白くかがやくその表面は、周囲の景色を鏡のように映している。映り込む樫の木の枝葉で、擬態を演じているのだ!
ひとつ、ふたつ、みっつ……。
大きな鶏の卵ほどもある球体は、無数である。
それがベッカとブランの目の高さあたりを、もやもや浮いて囲んでいるのだ。
「精、霊……だね。ブラン君」
「みたいですね」
二人は囁き合う。
「となると剣はきかないから……。ブラン君、そのまま……」
「はい……?」
ぷよ、ひゅいっ!!
ものすごい速さの身のこなしで、ベッカはさっと頭を下げ、光る球体の包囲網をくぐって環の外に出た!
「逃げるんだよーッッッ!!」
「ベッカさ……」
「全ーー力ーーッッッ」




