声音使いの『海の挽歌』
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「やっぱり、ゼールはゆうべ、誰か人間の声を聞いたんだと思います。ベッカさん」
保存食の乾いたぱんを飲み下してから、ブランは言った。
「あそこにある高台、のぼってみたんです。北の方に、筋っぽく白い道が通っているのがみえました。荒れ果てて切れぎれになっちゃいるけど、まだ十分に通れるし、実際使われてる感じでした」
『“緑の首環道”だぞい、それ』
ハムアがうなづいた。
「ずいぶん細くって、イリー街道とは全然ちがってたけど。ここ、樹があんまりないからよくわかるんだ。西から東へ、ずうっと続いてました」
「ふーむ!」
ベッカはおにく引き締め顔で、うなづいた!
これは非常に興味深い事実! 東部大半島・深奥部間近のこの地域で、古来の通行路がいまだに維持されている……?
「存外、東部は空っぽではないのかもしれないね。……海路を行く我々には直接関係ないけれど……、それでも用心して行きましょう、皆さん!」
ベッカの真剣な言葉に、ナノカ以下あざらし四名はうなづき返す。
ぷよ、ぷよぷよぷよ、ぷよよん……。
おにくの揺れ方が皆おんなしだ、とブランは思った。
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♪ さあゆけ お前ら 出航だ
♪ おう 陸におさらばする日が 来たぜ
嵐をやり過ごした後の海は、打って変わって穏やかだった。
今は風もあんまりない、ベッカとブランは舟の左右で櫂をこぐ。
ベッカの頬のおにくが引っぱられない程度の速さで、黒い小舟はすういと進んでいた。
♪ 風と波と おてんと様が待っている
♪ そう 陸におさらばする日が 来たぜ
船尾からのゼールの歌も、すんなりと通る。
『本当に良い声やんなぁ。やっぱりどうでも、この子にゃ東の血が入っとるね。あたしらの同族だよ』
ルルナが楽しそうに言った。
「俺、あざらしじゃないよ。海は好きだけど」
『あのねえ、ゼールや。東部ブリージ系の人間というのは、もうほとんどあざらしの血が流れているのよ……』
「ええっ!」
「へっ?」
「えええっ?」
ウイスカの言葉にゼールが、次いでブランとベッカも驚いて声をあげた!
『もう気の遠くなるような昔から、わたし達あざらし女の息子たちが、各地に散って子どもを作ってるんだもの。多かれ少なかれ、海の血が入っているのよ。誰か東部の人と子どもを作ったのなら、イリー人のあいだにだって、その血は混じるわよ』
「へえーっっっ! あざらし生んだ女の人の話は、きかないけれど……?」
『あはは、そりゃそうよブラン。人間の女からは、あざらしは生まれない。あざらし女だけが、あざらし女を生むんだから……』
「でもさ、ウイスカさん。どうして歌で東の血が混じってるって、わかるの?」
『似てるのよ……、むかし、色んなところでよく聞こえていた、声音つかいや語り部の人たちの歌にね……』
『ほんとだねえ』
『なつかしいにょん』
声音つかい。精霊使いと並んで、祭祀職にあった人々だ。彼らの拠点が半島最南東の端、ダビル鼻……じゃなかった、ダフィル鼻にあったのだっけ、とベッカは思い出す。
「声音つかい、声音の魔術師と言うからには、すてきな声で歌がうまかったのでしょうか?」
『そうそう。人間の中には歌のうまい人が多いねんけど、声音の一族はもう一歩進んで、他のものに力をくれる歌をうたっていたなあ』
派手なひょう柄頭をふり振り、ルルナおばちゃんがしみじみとした口調で言った。
『悲しい時、疲れたときに、こう……。陸の方から聞こえるかすかな声がなぁ、胸ん中にきゅうっと入ってきて。大丈夫かい、と抱きしめてくれる感じがしたもんだぞい……』
おだんご頭を揺らして、ハムアおばさんも同意する。
『わたしの祖母たまが若かった頃は、声音つかいのすごいのがたくさんいて、そらもうすてきな日々だったと言ってたにょ。でも、どんどん減ってってしまって、海賊がはやり出したころには、めっきり歌声も聞こえなくなったにょ』
『バーべお婆ちゃん、海賊はべつにはやっていたわけではないのよ……』
『にょん』
「彼らの集落も、やはり海賊に滅ぼされてしまったのですよね?」
『そうらしいわね……』
歌にすぐれた人々であったなら、本職の祭祀実行には大いに有益だったのだろう。冠婚葬祭おしなべて、儀式における音楽の盛り上げは大切である。
しかし実際の戦闘となったら、歌なんて実に何の役にも立たない。……戦士の鼓舞くらいだろうか。このへん精霊を呼び出して戦ったと言う精霊使いの方が、まだ望みはあったのかもしれない。
声音つかいとそれに連なる人々は、武装した海賊の前になすすべもなく倒れ、略奪されていったのだろう……。ベッカはそんな風に推測した。
『でも、その少し後だったかしらねぇ? 一度だけ、ものすごい歌が、ダフィル鼻のあたりから響いてきたことあったじゃない。皆おぼえてないかなあ、ナノカちゃんはまだ赤ちゃんだったっけか、ねぇ……』
『あ~。あった、あった!』
『おぼえてるにょ、すさまじかったにょ……。夕暮れの海ん中で、びりびりにしびれたあと、なみだ大決壊だったにょん』
おばちゃん達は、がぜん盛り上がった。
『強烈に激烈に、良い声やってんなー。その時、まだ若い男の声やったと思うねんけど』
『そうそう。同時に、しょっぱ辛さがじつにきいてたわ……歌っていたのは、あれは挽歌だった。ブリージの古い言葉で、≪海の挽歌≫をうたっていたのよね……』
「死者を悼む歌ですか? なら悲しい歌ですね。亡くなった同郷の方たちのご供養のために、歌っていたのでしょうか」
問いかけたベッカにむかい、ウイスカは長い首を伸ばして、彼にうんうんとうなづいた。
『そうね……。でもあの歌は、ただかなしいだけではないの。いなくなってしまった大切なひとたちへの最惜しさをあらわして、そこから生きてゆくための力をもらう歌でもあるのよ……』
「海の挽歌、かぁー」
ゼールがつぶやいた。
『あの歌うたってたんは、たぶん最後の声音つかいだったんにょ。はぁ……バーべ死んでまう前に、どうにかしてもう一度あの人の歌きいて、うるうるしたいにょーん……』
「お婆ちゃん、どうか長生きしておくれよ。きっとまた、聞く機会がめぐってくるさ」
舟上のブランと視線が合う。バーべお婆ちゃんはまた、目を細くした。




