新鮮さばのあぶり焼きで東の夜は暮れる
暗くなった浜の方から、どやどやと賑やかな気配がした。
べたべたべたーん!!
あざらしのお姉さま達が、無言で突進してくる!
ブランは反射的に腰を浮かしかけたが、気を取り直して赤ん坊を抱き、立ち上がった。
「おかえりなさーい」
どどどどど!!
ナノカ、ウイスカ、ルルナはブランの前に勢揃いする。……皆、首を前に曲げて、何かを置いた。
みごとなさば三尾である。
「わあ! たくさんとれたね?」
『あんた達の分よ!』
ようやく自由になった口を開けて、ナノカが言う。
『お婆ちゃんとべべに、やわらかあなご……』
ハムアが、ずるりと長いものを引きずって、バーべの前に置く。
「皆さんは?」
夕食には、ギーオが持たせてくれたぱんを……と思っていたベッカがたずねる。
『あたし達はもう、海で食べちゃったのよ。気にしないから、火を使っておあがりよ』
ありがたーく、そうさせてもらうことにする。
ゼールが戻ってきた、木の枝にさばを刺して、焚き火でぐるぐるあぶってみる。
バーべお婆ちゃんと赤ん坊は、横でもぐもぐ、ぺちゃぺちゃ、あなごの身と肝をゆっくりたべた。
あぶりつつ、ゼールが神妙な顔つきで言いだす。
「気のせいかもしれないんだけど……。何だか、人のいた気配がするんだ」
ベッカは、枝を取り落としそうになった。
「ええっ? この辺、まだ誰か住んでいるの?」
『そんなはずはないわよ? 十年以上前から、ほとんど姿を見かけないし。……まさか、陸に上がった海賊かしらねえ』
小舟のへりで、風防ぎになっているウイスカが言った。
『えー、だったらわたしらが、すぐわかるじゃろ。ゼールは何かを、見たのかえ?』
そのすぐ脇、ぐでんと寝そべった、おだんご頭のハムアが聞く。
「松林の向こうに樹がばらついていたから、そこで焚き付け拾ってたんだよ。そしたら、何かこう……話し声が、ずうっと内陸側から、届いたような感じがしてさ」
『ここの浜は、昔の“緑の首環道”に近いんよ。そこを通って行ったならず者でも、いたかもしれんな』
反対側で風を防いでいる、ルルナが言った。
『あんた、人間にしちゃ耳良いしなぁ。だいぶ離れてても、わかるのやろ?』
「話の内容まではわかんないよ、でもごにょごにょって感じるんだ」
『気にしなくて良いのよ。夜の間も、わたし達が守ってあげるからねぇ……』
『これだけのあざらしの群れに、一人二人で向かってくるばかはいないぞい』
『それにじきに、嵐の小さいのも来るしな。安心してねんねしたらええよ』
ウイスカ、ハムア、ルルナ、ずどーんとした胴体の胸を、ぐうんと張ってそう言われると、実に頼もしかった。
三人は、焼き上がったさばにかぶりつく。
ものすごい脂である、それなのに引き締まった身はあっさりと軽いこくに満ちて、ベッカはこれまでのさば観が変わった気がする。
『どーお、ブラン! おいしい? 大丈夫?』
「さばーッッ!」
聞いてよこしたナノカに、少年はうなり答えた!
「これが、鮮度の力なのかッッ」
ベッカも思わずうなった。あごに脂がついて、ぷよぴか・つやっている!!
「うまいなー! 俺、こんなすごいさば、食べたことなーい」
「オーランでは、どうやってさば食べるんだい?」
ブランは何気なく、ゼールに聞いてみた。ガーティンローのキーン家では、あっさり塩煮が定番だ。母がよく作る。
「しょうがで甘じょっぱく煮つけたの、うちではよくでるよ」
「しょうがぁ!? ひりひり辛くなっちゃうじゃん!」
「ならないよ。香りがついて、よく合うよ。まぁこれには、要らないけどさ」
ふるふる、手の中の魚串を振りつつ言うゼールを、ブランはまじまじと見た。
しょうが……。北部穀倉地帯の温かい所でしか育たないのを、遠く輸入しているから仕方がないのだが、イリーでは薬種としての使用が専らである。食用にするのはぜいたくの域だった。
実際オーランの薬種商で、ベッカが酔い止め用にしょうがの根を買った時、ブランはその値段にぎょっとしたのである。
「すごいな、ごはんにしょうが使っちゃうのか。さっすがお金持ちの国だね」
「ガーティンローだって、そうなんじゃない?」
「君たち、なんだかお顔がぴかぴかだよ……。脂つきまくり」
言ってるベッカが、一番てかりまくりである。
大きなさば一尾は、食べごたえがあった。ブランはその上ぱんをひとかたまり食べて、満足する。
ぱつぱつぱつ、ぽたぽたた……。低い天井、舟底の外側を雨粒が叩き始める。ひゅうびゅうっ……風も吹きすさんだ。
『降ってきたわね……』
『夜も更けてきたね』
『うちらまだまだ老けてへんけど』
皆、それで寝てしまうことにする。火は砂に埋めた。
ゼールは櫂のつっかいを調整して、舟底をさらに低く下ろす。その隙間を、あざらし女たちの巨体が埋めてゆく。
『あたし達はこれでぜーんぜん平気なんだから、心配はいらないわよ』
狭苦しいが、冷気も入らず本当にあたたかい!
浜草の上、外套にくるまって、ブランはひょう柄ルルナとベッカの間にはまった。ぬくーい!
ベッカの反対側では、赤ん坊を抱いたゼールが、ナノカの間近に転がっている。こちらも、ぬくーい!
ふごここここここ。
ぷひゅう~~~。
ぽた、ぽたたた……。
あざらし女たちの低い呼吸音に守られて、三人は深く眠り込む。
嵐が吹いているのに、厚い石壁づくりの小屋の中にいるようで、悪夢すら彼らの眠りに付け入ることはできなかった。




