バーべお婆ちゃん、東の神話を語るにょん
神妙な顔の老あざらし、バーべお婆ちゃんを前に、ベッカとブランもぷよ・ひょろん、と表情を引きしめる。
「南の海は、神さま方の場所……?」
『うむん。ついでにって、大事なこと教えられたにょん。いろんなものは、その南の海から来るにょ。神たま方が、この世によいもの・必要なものをよりぬいて、それで来させるところ、と言われたにょん』
「来させる? ……どこから?」
『それはだーれも、バーべも、知らんにょ。けど、いちばん初めのひとやあざらしなんかも、そうやって神たまに来るよう言われて、来たにょんて』
ベッカもブランも、目が点になってきた。(描きやすい)
『いちばん初めの人間はにょん、あんたらのとおんなし舟に乗っかって、どんぶらことやって来たにょんて。ゼールたんみたく、かわゆかったのかもしれんにょ、ふふふ』
「お婆ちゃん、ほそ目になってるぞッ」
『おっと。ほんでー……なに話しとったかにょ……そうそう、神たまとそうやってやって来たひと、その辺がこの東のくにの始まりにょん。ずーっと昔の話にょ』
「ブラン君、ちょっと……」
赤ん坊あざらしを、もちもちと持ち上げてブラン少年の腕に移すと、ベッカは鞄の中から筆記布を取り出して開き見る。
「お婆ちゃま、神さまと言うのは“ブリガンティア”のことですか? 精霊使いの一族はその直系子孫だから、“ブリガンティアの民”と呼ばれていたと、ナノカさんに教わったのですけど」
あざらしは、もぐもぐとうなづいた。
キノピーノ書店で、あれだけ読みあさったのだから当然かもしれない。ベッカは東部文化、イリー世界のそれとは全く異なる独特の世界観に、いつしか純なる興味を抱いてもいた。だからこそ、ここまで粘った調査もできているのである。
――イリーの建国神話とは、全く異なる。けれど根本に共通点があるのは、本当に興味深いな……。
西方文明地ティルムンから追放されたところを、黒羽の女神に助けられて東進したイリー人。神々に導かれ、海上を渡ってきた東部ブリージ系……。大いなるものに支えられて、どこか別の場所からやってきた、という部分は同じだった。
「お婆ちゃま、僕らの町には色々な場所に、守護神の像がおかれているのです。東部の人たちは、そういうものを作ってブリガンティアを想うよすがにしたりは、しなかったのでしょうか?」
『うふふ。そんなんなくても、ブリガンティアの血がみんなの中に流れているんだもにょ、じぶん自身がブリガンティアのよすがだにょ』
「そ、そうですね……」
この辺も、価値観が異なる。
『それに、ほんとの本当にブリガンティアに会う必要があるのなら、精霊使いか声音つかいにたのめば、会えたらしいんにょ。……むかしは』
「えっ。会いに行ける神さまだったんだ?」
書物の中で、精霊使いと声音つかいが“祭祀”と表現されていたのはそのためなのだろう、とベッカは考えた。
人びとに代わって神々との仲を取り持つ役割を担っていたのだ。具体的には何かこう……儀式やお祭りを取り仕切っていたのだろう。ブランが言うように、本当にご対面できたわけではもちろんない、と思う。
『うむん、ブリガンティアと初めのひとは、ちゃんと残ってるにょ。わたしらには行けない、陸のふかいとこだけにょ』
「……?」
『そのへん知ってたのは、むかしの声音つかいだけ。新しい時代のばば、バーべにはわからんにょ』
「ふーん……。ところでお婆ちゃん、さっき言ってた不思議な舟を見たのは、いつ頃だったの?」
ブランに問われて、バーべは再び目を細くした。
『今からざっと、六十年も前かにょん……。バーべも、あんたくらいの年だったし……にょん』
イリー暦、130年前後……。ベッカは首をひねる。何があったっけ、その頃?
『ほいで~。わたしはそのあと、旦那たんに会うて、しばらく幸せだったにょん。けど結局、涙の破局にょん……』
「つらいことは、思い出さなくって良いんですよ。お婆ちゃま」
『ふっ……すべては過去にょん、ベッカたん。けど当時はやっぱり悲しくて、娘をおんぶして夕暮れの海を爆泳し、砂浜にむかってばかやろうと叫んでいたにょん』
「むしろかっこいいな」
『それがある時、返ってきたにょん』
「?」
『砂浜にむかって叫んだのが、そっくり真後ろから、ばっかやろうーと聞こえたにょん。びっくりして振り向いたら、沖の方しゅーいと長細い船が、横切ってったにょん。今度は消えなかった』
「それは、どこで? おうちの近くですか」
ベッカは再び、老あざらしの前に地図を寄せる。
『にょーんと……。その時はたしか、“岩々”の近く、ネメズの集落の先だったかにょ……。びっくりしたにょんよ、あの消えた舟にずいぶんよく似た形だったから。人がいっぱい、脇でこいでおったにょ』
「……でも、わけのわからない言葉ではなく。ばかやろう、と潮野方言でどなってたのですね?」
『そうそう。わたしら、その前には長細い舟に乗った海賊の話なんて、どこでも聞いたことがなかったにょ。でもその頃から、ほうぼうで人の村が襲われ荒らされることが、多くなっていったんにょ』
「ちょっと待って。じゃあ……お婆ちゃんが見た不思議な舟というのは、海賊船だったのかい?」
『んー。いま考えると、そういうことになるんかにょ? ブランたん』
――長細い浜のり船に乗った海賊の、一番ふるい目撃談ということなのか。
ベッカはささっと、筆記布の隅に年代を書きつけておく。
130年頃、謎の船・南の海にあらわる……。




