バーべお婆ちゃんと焚火の夕べ
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追い風はベッカたちをずいぶん東に運んでくれたが、ついでに小さな嵐も連れてきた。
後方に時化の気配を感じたあざらし達とゼールは、さっさと停泊地を決める。
「あの辺の、浜草が茂ってくぼんだ辺りが良いかな。皆は浜に上がるの? それとも海の中にいるの」
『ふふん。こういう時のための、水陸両用の体なのよ。ちゃんとあんた達と一緒にいるわよ、ゼールや』
ゼールは浜に小舟を乗り上げると、それをひっくり返すと言う。
「ええっ!?」
「そいで、担いでいこう。三人なら余裕だよ」
ベッカとブランはびっくりしたが、本当に黒い小舟は軽かった!
海の上ではあんなにどっしり頼りになるのに、ゼールとベッカ、ブランの肩にわっしょいと担げるのである。そのさまが楽しそうに見えたらしい、ナノカたちもくっついてきて、まるい頭でわっしょいとかついだ。
小舟を逆さにしたまま、ゼールは砂地に櫂をさしあてがって、これを半開の天幕にしてしまった。
『人間は、体が冷えやすいから大変よねぇ……』
『あたしらは、降らないうちにおさかなとって来ようよ』
ナノカとおばちゃん達は海へ引き返し、ブランが周辺へ水を探しに出た。
小舟天幕の中に、しわしわバーべお婆ちゃんと赤ん坊が残り、ベッカとゼールは小さく火を起こす。
ベッカは老あざらしを気づかった。
「火がお嫌いなんでしたっけ? ごめんなさい、こんな近くで焚いちゃって」
『ええにょんよ』
長いひげを動かして、お婆ちゃんはもぐもぐ笑った。
『わたしら火は扱わないけど、ぬくいのが嫌いなのでなし。火燃しはええにょん、わたしにゃお父たまのにおいだにょん』
ベッカはうなづいた。この老あざらしも、父親は人間なのだから、ごく幼い頃に一緒に暮らした時の思い出があるのだろう。
「ベッカさん。俺、暮れないうちにもうちょっと、焚き付け拾ってくるよ」
ゼールが言う。足元にまとわりついていた赤ん坊を抱き上げ、ひたいにぶちゅうとやってから、ベッカによこした。
「両手いっぱい拾うから、連れてけないよ。るすばんだよ」
ずしーんと両腕に重い仔あざらし、こんなのどうやってゼールは小脇に抱えてたのだろう、と今更ながらベッカはいぶかしむ。ブランもそうだが、最近の子って皆、ほそくても頑強なのだろうか。
赤ん坊はベッカとバーべお婆ちゃんのあいだに挟まれて、じーっと火を見ている。
そうっと寄りかけたところを、ベッカのでかい手が押さえた。
「さわってはだめだよ。アチチでやけどするからね……」
赤ん坊は納得いかないらしい、やっぱりにじり寄ろうとする。ベッカはもう一度、抱え上げた。重ッ。
『わたしらも、知ってたにょん。頭のなかでは』
お婆ちゃんがもぐもぐ言う。
『いっぺん触れたら、もうやけどに焼かれてそれでしまい、と言うこと。それでも、あんまりきれいであたたかそうで、……それで触れずにはおれんかったにょん』
「……旦那さまも、炎だったのですね」
『あんた、ほんとに話わかるにょー。年寄りの直入り昔話に合わせられるなんて、実はみかけより年いってるんかにょ?』
「いえ、仕事がらなもので……」
『どういうおしごとにょん? まあとにかく、わたしらあざらし女は、皆そうゆう思いで火をみる。ほれー、磯織り集落のものは、わたしらよけに、火をもち歩くにょん?』
「ええ」
『あれも、別に苦手とか怖いとかでなし。火を見せられて、昔なつかしの気持ちをぎゅうんと切なく思い出させられるから、ついつい海にむかって後ずさりぷい、してしまうにょん』
「そうだったんですね……!」
『にょ……けど、ナノカのお祖母たまと、母たんだけは、にょ……。焼かれてもうた息子のことがあったから、どうにも火を見ることはできん、つらいと言うてたにょん』
ベッカはうなづいた。
ナノカの母は、今回きていない。腰が痛いので旅はできないのだという。
がさがさ、と浜草を踏む足音がして、ブランがひょいと小舟天幕に入ってきた。
「ただいま……あれっ、ベッカさんが赤ちゃん抱いてる」
そのまんま、おやこと言われてもあんまり違和感ないぞ、とブランは思った。
「そこちょっと行ったとこに、小さい泉がありました」
たぷん、と革袋をかかげてみせる。
「良かったね、わかそう」
ゼールが置いていった小さな鉄鍋に袋の中身を注いでから、ブランは焚火の上にのせた。見た目きれいそうな清水でも、なま水は避けた方がよろしい。
ちりちりり……鍋底のした、炎が小さくはぜる。その小さな星々がはっきりわかるほどに、夕闇が濃くなってきていた。
お話を聞くには絶好の、焚火の宵というやつだ。……




