海に呪うおじ・幸せのたら鍋
ナノカは、低く落とした声で話し続ける。
『その後お祖父さんの姿を見かけることは、もうなかったんだって。おじさんは時々、浜や岩場に出てくることがあったから、どうにか火傷で死なずに済んだと知れたのだけど』
ベッカはうなづく。本当にひどい話だ、片親と生き別れた幼児が、さらにそんな仕打ちを受けるなんて……。
『おじさんは、十二にもならないうちに村を出た。どこをどう生き歩いたのかはわからないけど、お母ちゃんはおじさんが海に出てくる時がわかったの。嵐の晩、ざぶざぶ雨風が吹きつける中を、暗い岩場や崖の先っぽに立って、海を見に来るんだって。白く光る雷光のなかで、やけど傷のある顔がやさしく笑ってるのが、見えたって』
やさしく笑っている……という部分に、ベッカは温かい希望を感じかけた。
「……おじさまも、お母さまに会いたくて、来ていたのでしょうね」
ナノカは頭を振った。
『おじさんは、お祖母ちゃんを呪いに来ていたらしいの。ずうっと笑ってる顔が、最後におっかなくゆがむ。その時おそろしい呪いのことばが海の中に投げ入れられて、お母ちゃんがぎくりとすると、おじさんは行ってしまう。何年も何年もそれが続いたのだけど……。お祖母ちゃんが亡くなってからは、お母ちゃんはとうとう気持ちが折れちゃって、気配がしても会いに行くのはやめちゃったの。どっちみち、腰もわるくしたしね』
「……」
ナノカは聞いたこととして、話しただけだ。けれど、ベッカとブランの胸のうちは締めつけられる。
……その男が嵐の中、海に向かって呪いを呟いている風景が、まざまざ思い浮かんだからだ。
「赤ちゃん、そこでうんこしたよ!」
ナノカの娘を小脇に抱えたゼールが、すたすた歩いてきた。
『あらっ、きれいにしてくれたのね! ありがとう。初の陸うんこちゃんだったのねえ』
そこまでまとっていた暗い雰囲気をぱりっとはがして、ナノカが朗らかに言った。
赤ん坊は晴れやか笑顔、子どもの周りにも笑顔が広がる。
『ところであんたたち、もうイリーの国に帰ってしまうの?』
「そうですね。精霊使いの話もだいぶたくさん聞いて、裏が取れたので。ああ、でもロクリンさんが元気に話せるくらいになるまでは、待ちますよ」
『じゃあさ、その待ってる間に行ってみない? 連れて行ってあげるわよ』
「えっ?」
『あたしたちと一緒なら、海賊船となんか鉢合わせしないわよ。水棲馬や他の怖いものからも、守ってあげよう』
「……ナノカさん?」
『行きたいんじゃない? 精霊使いの村の跡へ。深奥部の先っちょへ』
ぱあっ!
ブランが目と口と、ついでに鼻の穴も大きく開けて、笑顔になった。期待に満ちたまなざしが、ベッカに向けられる。
文官騎士は、正直ひるんだ。深奥部、って……。本当のほんとの、世界の果てじゃないか!
『人間ていうのはさぁ。百回お話を聞いても、本当にそれがあった場所をいっぺん見ないとしっくり来ない、信じられないんじゃなかったっけ』
ナノカは笑っている。
「ほんとだ、仰る通りですね」
ベッカも苦笑する。
自分は迷っている、そこがどれだけ危険なのかわかっているから。けれど迷っているのだ、行ってみたいと思う気持ちが、確かに胸のうちにあるから!
――危険があるのを十分承知した上で、行ってみる。それがたぶん、最善なんだ。
行かずにこのままガーティンローへ帰れば、後で激しく後悔するだろうことを、ベッカの心は確信していた。
「みんなで無事に帰りたいのです。安全第一でお願いできますか」
ふるふるっ! ひげをふるわせて、ナノカがうなづいた。
「やったぁ!」
ブランは両のこぶしを握りしめた。
「赤ちゃんも連れてくの?」
小脇の仔あざらしと顔を見合わせて、ゼールが聞いた。
『連れて行くわよ。こうすれば危ないこと何にもなしって、ベッカが安心するでしょう』
みんなで笑う。
ゼールは一度、磯織り集落へ帰りたいと言った。毛布だの保存食だのを、ギーオの所で補給したいのだと言う。
『それじゃあ明日の朝、磯織りの村の波止場へ迎えに行くわねー』
あざらし母子は、海へ帰っていった。
・ ・ ・ ・ ・
エメイ老人の石小屋に帰ってみると、すさまじく良い匂いのする室内は、村の男たちでぎっしりだった。少し遅めの昼食に、お婆さんがナノカのたらで鍋をこしらえたのだ。皆、持参したらしい木の椀とさじを手に、もぐもぐ頬張っている。
ロクリンも寝台に起きて、膝の上に赤ん坊をのせ、一緒におだやかに食べていた。
「お先に、いただいてます……」
頬が少し、しあわせ色に紅潮していた。さっそく治癒が始まったもようである。
お婆さんが、ベッカたちにもすぐによそってくれた。
お湯の中にでかいたらの身、みどり色の何かの薬味、以上である。食卓の上には、ぶつ切りたらの身が塩をまぶされ、まだまだごろごろ積まれている、骨まででかい。
「うまーい!」
ブランに叫ばれなくっても、それは本当においしかった。
全然なま臭くない。塩味だけで、他のだしも何もきいていないのに、それは独特のこくを伴って、ベッカのお腹にやさしくたまった!
「皆さん、どんどんいただきましょう! ナノカさんの、おさかなよー」
休みなく新たに切り身を鍋に入れながら、お婆さんは嬉しそうだった。
「うまいねえ」
「鮮度ちがうねえ」
「婆さんの下処理もええのんよ」
「ヨっちゃんが引っこ抜いて来てくれた、にらねぎもええあんばいだぁね」
「んだよ。俺ねぎしょって、食いに来たんだよ」
皆、ゆったりまったり、口を魚のやわらかい身でいっぱいにしている。
ロクリンを中心に、しあわせそうな紅潮顔がひろがっていた。
――何にもないとこじゃ、なかったんだな。ここの集落。
ブランはなんとなしにそう思って、……二杯めをもらいに、お婆さんの横へすり寄った。




