ナノカのやりきれない昔話
「……」
ベッカは今、ものすごい速さでナノカの話を書きつけている。
緑色に光るってどういうことだろう、とブランは思う。それに、白く光るひもって言うのは……?
『お祖母ちゃんたちは、それ見て腹たったからね、皆して船に体当たりをかましたのよ! ご近所さんをいじめる奴なんか、海に叩き落としてのるり付け合わせにして食っちまえ、というわけよ。けれど、がんがんぶち当たっても、おかしなことに船はびくりともしない。皆がへとへとになった後、舟は南の方へ去ってしまったの……。それっきり、よ。精霊使いの村の跡は、あたしも海側通ったことあるけど、誰かが住んでいる様子は全然ないわね』
「本当に、変な話ですね? たくさんの精霊を使役できる、強いはずの精霊使いがただの海賊に負けてしまうなんて。それにナノカさん級の体当たりをいくつも受けて、無事な船なんてあるのだろうか」
そびえ立つ灰色の巨体、ナノカは立派な牝牛くらい、いやそれ以上の目方がありそうだった。
『お祖母ちゃんたちは、それから海でああいう海賊の長細い船を見ると、いつも悔しまぎれに体当たりをしていたんだけど。やっぱり不思議と、きかないことが多かったって』
「ナノカさんは? この辺で、海賊の船を見たことはありますか」
『全然ないわ! さっき言った、深奥部むこうの方で、たまに遠くに見かけたことはある。でもあいつら、この湾のあたりには絶対に寄りつかないから』
磯織り集落のおばさんと、同じこと言うんだなぁとブランは思う。
「どうしてだと思う? この村が呪われてるって話を聞いて、怖がってるから?」
『さあねえー、それはあたしにもわかんないわね! 精霊使いを倒したくらいの奴らが、呪いやおばけを怖がって寄りつかないっていうのも、変な話だけど』
自分がその呪いの主役であることはあっさり流して、ナノカは首をひねった。
ブランはベッカをちょっと見る、……察しの良い上司はうなづく。いいよ聞いてごらん?
「ナノカさん。ここの集落で育って、出て行った男の人のことは、知ってる?」
『んー、まちまちかなぁ……。さっき話した皆みたいに、お母ちゃんの名前言ってもらえればわかる、ってくらい。どうして?』
「エノ、ってやつがいたこと、知ってるかい」
『そういう名前持った子は、知らない。いや、エノってその名前は知ってるわよ? 賊の親玉の一人でしょ、仲間を集めて膨らまして、テルポシエのっとっちゃった奴。そいつの仲間を、エノ軍って呼ぶのよね?』
「そう……。そのエノが、ここの集落出身だって言う人に、会ったことがあるんだけど」
『ちょっとー、待ってよブラン。それいつの話? エノっておじさんでしょう。あたし、あんた達とそんなに年変わんないのよ。そんな前のことはわかんないわ』
「そっかぁ」
――やっぱり?
ベッカは何となく、ナノカが自分と同年代くらいだろうと見当をつけていた。あたったらしい。
「ナノカさん。そのエノは、188年……今から七年前のテルポシエ陥落戦後、すぐに死んでいます。現在はエノの息子が軍の首領を引き継いでいるのですが、そいつは精霊使いなんですよ」
『……は?』
この辺までは、ロクリンにも聞いていなかったのだろうか。
「あなたのお母さまの目撃談などをあわせ考えると、連れて行かれた最後の精霊使い……ええと、“ヴァンカ”という人ですね。この人とエノとの間に生まれた子が、今の首領・メインだと思われるのです」
『うえええっっ!?』
本気で驚いたナノカの声は大迫力である。二人はぷよひょろん、と揺れた。
『何それ、全ッ然知らなかった! あとで海に帰ったら、お母ちゃんたちに話してみるわ。何か引っかかってくることを知ってるあざらしが、いるかもしれない』
「ぜひ、そうしてください。お母さま、お元気なんですね」
『うん、あたしたちは皆ぽつぽつ寄りそって暮らしてるからね。お母ちゃんはちょっと腰を痛めちゃってさ、陸まではもうなかなか来られないの』
腰痛……実に人間らしい流れである。話しているのはあざらしだが。
『……陸にいたきょうだいがね。つまりあたしのおじさんだわ、その人を心配して、時々遠くまで様子を見に行ったりしていたもんだから、疲れちゃったのよ……』
ベッカは微笑んだ。あざらし女たちは、話に聞いていたほどに無情な女達ではないようだ。
「生き別れになったご兄弟に、会いに行かれたんですね」
『ちがうの。ひどい話よ……。お母ちゃんとおじさんの父親、……あたしのお祖父さんか。その人はお祖母ちゃんが出てった後、おかしくなっちゃったのよ。灯りを持って夜の浜辺を探し回ってた時に、とうとう沖合にいたお祖母ちゃんとお母ちゃんを見つけた。その時、お祖母ちゃんを呼び寄せようとして――』
ナノカは一瞬ことばを切った。
ふいと頭を回し、少し離れた所で苔岩の上をごろごろ転がり、ゼールと遊んでいる仔あざらしの方を見てから、ベッカに顔を向けた。
『一緒に連れてた男の子の、顔を焼いちゃったの』
「……!」
『たぶんそれ、その長い部分で溶けてるのを、額あたりに流したんだと思う』
ベッカが脇に置いた吊り燭台をあごで示して、ナノカは言う。その中で燃えている、蜜蝋燭のことを言っているのだ。
『小さな男の子だったおじさんは泣きわめいて、お祖母ちゃんとお母ちゃんは吼えた。すぐに村の人たちが駆けつけて、二人は連れてかれちゃった……』
ブランは口を引き結んだ。




