鬼嫁、鬼たらをお土産に持ってくる
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ナノカは本当に、後で来た。
ゼールが吠え声に気づいたので波止場に行くと、娘と一緒に木床の上に乗っかっている。
巨大な雌あざらしは、村の男たち数名に囲まれて、ぺちゃぺちゃ喋っていた。
「うちのお母ちゃんは、まだ生きているのかな……」
『あたしらけっこう長生きよ。なんて名前なの? 次に会ったら、来るように言ったげるわ』
「俺のお母ちゃんは、こういう名なんだがね」
『ああ、そのおばちゃんなら西へ引っ越したはずよ……。でも時々こっちに遊びに来るから、その時に話しておくね』
人間とあざらし、ものすごく普通に会話が通じている。
もともと、この村に生まれた男たちの母親は皆あざらしなのだから、彼らにとってナノカは特に怪異ではないのかもしれない。なじみまくっている。
『あー、ベッカ! おさかな持ってきたのよ。皆でわけて、あいつにも食べさしてやってくれる?』
あざらし背後の木床に、ばかでかい魚が横たわっていた。
『鬼たらよ』
「……ナノカさん、あなたと同じくらい大きいですよ!? どうやって捕ったんです、こんなすごい魚!」
『どうやってって……。そりゃもちろん、脳天頭突きからの~きば喰いつきよー?』
きらん! と笑顔(?)になったナノカの口もと、ものすごい歯並びが輝いた。
『きもは抜いてあるのよ。娘がたべちゃったわ』
「ありがたーく、いただきます。ナノカさん……あの、大変申し訳ないのですけれども……」
『わかってるわ。煮るなり焼くなり、好きに火を通してお食べなさいよ』
安堵する。ベッカは、たらの蒸したのが好物のひとつだ!
巨大な鬼たらは、村の男たちが四人がかりで、わっしょいわっしょいと運んで行った。
「ロクリンさんは、ずうっと寝ています。もう少し回復したら、向こうの……その、前のご家族なんかのことを詳しく教えてもらいます。身の回りの品を形見として、僕がガーティンローへ持って帰りましょう」
『うん、そうね。……ところでベッカ、あなたの国ガーティンローって、かなり遠くよね。あたしはもちろん、行ったことないの』
「え? ええ、そうですね」
『あなたはそんな遠くから、何だってこんなところへ来たの? やっぱりロクリンみたいに、精霊使いのことを調べに来たの?』
「実はそうなんです」
精霊使いを通り越して、精霊そのものと交流しているのがおかしな現実である。ベッカはずいぶんとなじんで話してくれるこのあざらしに、少し深い話をしてみよう、と思った。ナノカはロクリンとの確執をちょっと越えて、さばけた様子である。もともとこういう、あっさり気さくな女性なのだろう。
「ロクリンさんに、もうすでにお話をされたと思うのですが……。よかったら僕にも、ご存知のことを教えて下さいませんか?」
『もちろん、いいわよ! でもね、あたし自身あんまりたくさんは知らないの。お母ちゃんやお祖母ちゃん達から聞いた話ばっかりなんだけど、いい?』
「ぜひ、お願いします!」
そこでナノカが語った話は、これまでの旅で東部ブリージ系の人々から語られたものと、ほぼ同じだった。
深奥部と呼ばれる東部大半島の南東先端部、そこにあった精霊使いの集落は二十数年前、海賊によって滅ぼされたと言うこと。
波止場に座り込んで、ベッカとブランはナノカの話を聞いている。ブランがちらっと見やると、ベッカの顔はやはり真剣だった。
――そうか。ベッカさんは人間側の話に加えて、精霊のほうからもうらを取っているんだな!
『そこの村を、あたしたちは≪ブリガンティアの民の村≫と呼んでいたの。首長の精霊使いは、≪ブリガンティアの娘≫、男だったら≪ブリガンティアの娘の息子≫って』
「ちょっと待ってください、ナノカさん……」
ものすごい素早さで、ベッカは鞄から筆記具を取り出し、その耳慣れない言葉を布ぎれに書きつける。
ブリガンティア……、つづりは気にせず、イリー発音に沿ったものを記す。どのみち東部に書き言葉はない。
「どういう意味なんでしょう? ブリガンティアというのは。そこの地名ですか?」
『いいえ、人間つくったお母さんの名前よ。だいぶちぢめてあるらしいけどね。精霊使いは、一番初めにつくられた人間の直系だから、そういう風に呼ばれるんだって』
――?? 人間を作った……、って? 神さまのことなんだろうか。女神さまかな?
「ほほう……。ナノカさんのお母さま、お祖母さま世代のあざらし女性は、その≪ブリガンティアの民≫と交流があったのですか?」
『ええ。夏至の日に、甘いお花をいっぱい海にお供えしてくれたから、それはそれは楽しみだったって。お返しに、お祖母ちゃんたちは冬至の日、たらをとって贈りものにしたそうよ。でもそれだけ、あたしたちはこのへんが本拠地だから、そこへ行くことはほとんどなかったし、それに使役される精霊ではないから』
「……? 精霊使いって、どんな精霊にでも命令できるんじゃないの?」
『違うのよ、ブラン。精霊使いが力を借りられるのは、自分と深いつながりのある精霊だけ』
ベッカにもそうだが、少年に説明するナノカの口調は実にやさしい。
「友だちとか?」
『そう。あと敵として戦って、打ち負かして、昨日の敵は今日の友……と仲良くなった場合とかよ。いずれにせよ、使役されるかどうかを決めるのは精霊自身であって、むりやり使われるってことはないの』
「ナノカさんたちは、あんまり仲良くしたいと思わなかったわけ」
『いやいや、あたしたちはそうではなくってね。あざらし女は人間と同じで、生まれて死ぬのよ。他の精霊みたいに永久に生きられないから、使役されるようなむちゃぶりはしないことになっているの』
わかったような、全然わからないような……。とりあえずあざらし女は別格の精霊、人間に近い種族なのかなと思うことにして、ベッカはうなづいた。
『あ、でもね。お母ちゃんやお祖母ちゃんたちは、お中元もらって……っていう好い感情は持っていたからね。ヴァンカの全精霊を召喚する叫びを聞いて、駆けつけたのよ』
――ヴァンカ??
女性的な名前である。ファダン辺境で賊の一味・ドーナの語ったことを、ベッカは即座に思い出した。
「ヴァンカというのは……、もしや最後の精霊使いの人ですか?」
ナノカはうなづく。
『けど、お母ちゃんたちがブリガンティアの民の村近くの海にたどり着いた時には、全部終わっていた。長細くてでっかい舟に、女の人たちが乗せられて、海賊たちに連れて行かれるところだったの。中でも、緑色に光っているヴァンカはよくわかったって。白く光るひもみたいなのに、口から手から足から、ぐるぐる巻きに縛られてたそうよ』




