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あざらし女を説得するぷよひょろ

 

 何て話だろう、とベッカは思う。


 詳しくは聞けないが、恐らく秘密の任務をこなす“外局”所属のロクリンは、妻帯者でありながら誘惑にまけてナノカと一緒になった。自分の正体を知られて彼女に去られ、そのせいで心身ともに弱っている……。



――呪いとか精霊とか関係なしに、自業自得なんじゃないかッ。


「あの~、ナノカさん。ちょっと別の部分の、話なんですけど……」



 くらくらする頭を無理やりぷよんとふり立て、ベッカは問う。



『なあに』


「こういうことっていうのは、あなた以外のあざらし女性にも、起こっているんですよね? 人間男性と仲良くなって、子どもが生まれた後に別れてしまうという……。そのせいで、ここの近くの集落は呪われた村、とされているんですが」


『そこはあたしも、ずうっと考えてきたのよ! ベッカ・ナ・フリガン』



 大きくうなづきながら、ナノカは言った。



『ええっと。ちょっと、おまえ……むこうで遊んでおいで』



 何やら脇の赤ん坊を気づかっている。



「ゼール君、頼むよッ。ごきげん取り名人」


「ようし! ♪ ゆきよのぷうか だいじにされる……」



 少年は歌いながら赤ん坊に近づいて行った。とたん仔あざらしはゼールの足元にぺちぺちとまとわりつく。その辺に転がっていた、とげのないうに殻をひろって、海の子はお手玉のように放る。赤ん坊の鼻先に、ぽん……。かるく弾き返す仔あざらし……。



『あたしのお母ちゃんも、おばあちゃんも、どうしてだか皆そうだったのよ。子どもが生まれてすぐの時期に、恋のこわれる何かが起こる。それでいっぺんに気持ちがさめて、男の子の乳離れができた時に、男の元を去るしかなくなるの』


「村のおじいさんから話は聞きましたけど……。必ず男の子と女の子が双子で生まれて、それで男の子は旦那さんのいる陸にのこすんですよね? お嬢さんだけ連れて行くのは、やはりあざらしだからですか」


『そう。と言うか、女だけが精霊として生まれるの。姿は変えられるから、その気になればちょっと長めに、人間でいることもできるんだけど』



 ベッカはうなづいた。



――そうか、やっぱりロクリンさんとは人間・・の姿で会っていたのだ……だよねぇ……。



『あたしは、お母ちゃんやおばあちゃんの話を聞いて、悲しいなと思ってたのよ。だから自分が大きくなって、誰かひとを想うときは、恋をこわさないようにしようと決めていた。海とおかとを行き来しながら、ながく永くそのひとと一緒にいようと、思っていたのよ……』



 海獣はうつむいた。大きな黒い、まるい瞳をしばたたく。


 みるみるうちに、そこにしずくが膨らんで、ぼとんと落ちた。



『どうして、なんだろう……。前みたいにあのひとを、想えなくなっちゃったのは……。子どもを産んで、母親になったから?』



 ベッカより一瞬早く、ブランが動いた。


 ひょろ長い腕の先、左手に持ったしろい手巾で、あざらしの目元を押さえてやっていた。



「泣かないで。ね」



 こども的な調子だった。



「女のひとが泣くの見るの、つらいんだ」



 あいてる右手で、あざらしの頭をなでる。


 ナノカはびっくりしたように、目の前のひょろい少年を見た。


 平静な態度を装っているけれど、ベッカも内心でおどろいていた。女性の涙を手巾でふいて……ってそれ、まさに騎士道だよブラン君?



『……やさしい子ね。あっちの子も良い子。……あたしのもう一人の子も、あんたたちみたいな良い子になって欲しいなあ』



 低くやさしく、ブランの手の下でナノカはつぶやいた。



「見に来られない? ずうっと一緒に暮らさなくてもいいって、ロクリンさん言ってたよ。時々会えるだけで十分だって」


『……』


「ナノカさんが、ちょいちょい海から上がって会ってさえくれれば、あの人元気になれるんだ。赤ちゃんもかわいいよ、女の子と一緒に遊べるよ。ナノカさんだって、このまんまロクリンさんに死なれちゃったら、もっと悲しくなっちゃうんじゃないかい」


『うおーん』



 海獣は弱々しく吼える。しかしブランはひるまなかった。



「俺、兄ちゃんとけんかした義姉ちゃんが、家出してから帰って来た時、すごく嬉しかったんだ。どうして出てったのかとか、あとから誰も聞かなかった。ひたすら嬉しかったんだ、ロクリンさんもひたすら嬉しがると思うよ」


「……あのう、ナノカさん」



 ベッカも少し、前に進み出る。



「恋が壊れた、前みたいに想えなくなったと仰いましたが。前に戻る必要は、まったくないんです……」



 ブランのひょろ長い腕に頭を抱かれて、ナノカは動かない。


 ベッカはゼールにまとわりついて遊んでいる、小さなけものを見た。



「あなたも初めは、あんな小さな赤ちゃんだったわけで。それが女の子になり、大人になって、お母さまになられた。生きてる限り我々は変わるのだから、その都度のありようのあなたで、そしてその都度の想い方で、たいせつな人を想えばいいんじゃないのかな……」


『でもでもでも、ロクリンは……あいつは、ふるさとへ帰るって』



 そこなのかな、とベッカは思った。ロクリンがガーティンローの正妻のもとへ帰って、二度と東部にやって来ないことを不安に思ってもいる。再び裏切られるよりは、自分のそばで死んでくれた方がましだと、どこかで思っているのかもしれない。


 つまり目の前の女は、意識してるか無意識なのだか……わからないがとにかく、男に未練だらっだらなのだ!


 ここは事務的に攻めろ、文官騎士のお役所権威を総発動!



「その辺は、たまたま僕が来たことで、必要なくなりました」



 ぷよ・きりっと市職員の顔になって、ベッカは告げた。



「ロクリンさんは騎士であること、ガーティンローと言うふるさと、全部を捨て去ってあなたを選ぶと言っています。色々な手続きは僕が代わりに片付けますので、ロクリンさん自身は帰らなくても問題ありません。上司やご家族には、……亡くなった、とでも言いましょう」


『だめよ、ベッカ! うそなんかついちゃ。舌が腐っちゃうのよ!』



 はっとして、うろたえた調子であざらしが言う。



「それは精霊どうし、あるいは人と精霊の間での話じゃないかな」



 ぷよん、まるい肩をすくめてベッカは微笑する。


 精霊相手に嘘をつくと舌が腐る、そう伝える民話はキノピーノ書店でいくつか読んだ。



「けれど人間どうしは、誰かが良かれと思ってついた嘘の上に、平和に暮らせることが多いんですよ」


『……』


「とりあえず、ナノカさん。ちょっとだけ、……ちょっとでいいんです。ロクリンさんに、姿を見せてあげませんか?」



 ふ~~~……、 あざらしは鼻から大きく、息をついた。その湿気をあびて、ぬくっ、とブランは目を閉じる。



『わかったわよ、もう!ロクリンのためじゃないわ、あんたたちに免じてよ? ちょっとだけよ!』



「ありがとう!」



 ブランはぎゅう、とあざらしの頭を抱きしめる。



「ようしっ、それじゃ早速行きましょう。ゼールくーん! 舟だしてー!」


「えー、もう?」



 少年ゼールは、小脇に白っぽい仔あざらしを抱えて、岩棚のむこう端から歩いてきた。







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