恋に死にかけるガーティンロー騎士
ごくり……。
浮き出たのどぼとけを上下させてから、正規騎士ロクリン・ナ・ケルドは低く話し出す。
「……フリガン侯が考えるように。私はあなたと、同じ目的を持っていました」
「旅のことは、エメイさんが話して下さいましたよ。けれど一人で探索に出てから、侯に何が起こったのですか?」
「女に、心を殺されてしまいました」
かすれ声で男は言う。
「もう少し先へ行ったところで出会った女と親しくなり、娶りました。けれど妻は、私と一緒に暮らし続けることはできないと言い、娘を連れて出て行ってしまったのです」
ベッカは神妙な面持ちでうなづく、ぷよん。ここまでなら、どこの国でも時たま聞く話だ。帰って来てよりの戻ることだって多い。
「奥さまとは、それまで同居なさってたのですか? ご実家の所在は、わかりますか」
ロクリンは力なく、ふるふると頭を振る。
「……彼女と出会った岩城の片隅に天幕を張って、私はそこに居たんです。妻は……ナノカは、そこにいる時もあれば、ほとんどいなかったりもした。自分のうちは海の中と言い、よく魚を持って帰ったんです。私は、その辺りで漁師か海女でもしているところの娘としか、思っていませんでした。しかし、……」
空になった杯を脇に置き、ロクリンは両手で顔を覆った。
「ナノカの腹がみるみる膨らんで、双子が生まれたのです」
嗚咽をこらえるような、かすれ声である。すがりつくようなおびえた瞳で、両手指の隙間から、ロクリンはベッカを見た。
「フリガン侯……。私は、女性のからだの事情には詳しくない。けれど、出会ってたったの四月でこどもが生まれることが、ありえるでしょうか?」
「女性の妊娠期間は、九か月とされていますね」
――すでにお腹の中にこどもがいた場合は、別ですが……。
ベッカは、ここでは口を挟まないことにした。ロクリンは辛そうに続ける。
「それでようやく、彼女が人ではないということに気づいたのです。けれど私は、それでも構わなかった。だから、もっと一緒にいて欲しいと、海に帰らないで欲しいと頼んだのです」
「ふむ、ふむ」
「そうしたら、彼女は目に見えて冷たくなってしまった……。不在の時間が長くなり、赤ん坊に乳をやりに来るだけになりました。そうして息子が乳離れをした時……さようならと……」
がっくりうなだれて、肩を震わせ始める。
「その後は、いくら呼んでもあらわれません。海にもぐっても、声さえ聞かせてくれない……」
ベッカはでかい手を、男の背に置いた。
「……それで、海に入って奥さまを呼ぶようになったのですね」
うなづいた男の目頭から、ぼたりとしずくが毛布に落ちる。
しばらく、誰も何も言わなかった。やがてもぞりと、ロクリンの右手が毛布の下から現れ、こぶしとなって目の辺りをぬぐう。
「……ひどい女ですが、私はやはりあれが好いのです。いい年をしてみっともないけれど、私の心はナノカに持っていかれたまま。あれが側にいなければ、この先なにを想って生きていけばいいのか、わからない」
ロクリンは壮年に差し掛かったところだが、ぼろぼろと漏れ出る弱音はベッカ世代に近い気がした。もはや軍属騎士には到底みえなかった、本当の恋に出会ったのが遅かったのかもしれない。……その相手が精霊だったなんて、運が悪すぎる。
「奥さまのナノカさんに、戻ってきて欲しいのですね? 娘さんを連れて」
「そうです。それだけが、私の望みです。もう、ずうっと一緒にとは言いません……子どもたちの生まれる前、魚を持ってきてくれた時のように、時々笑顔で海からあがって来てくれれば、それで十分なんです」
ただれ膨れたまぶたの下から、ベッカを見る目は澄んでいた。
「……私の、ガーティンロー騎士としての任務は終わっています。幸運にも私の目の前に、文官騎士のあなたがいる。あなたに私の調査結果をすべて託して、私は騎士でなくなろうと思います。ただのロクリンとして、この地にナノカと在りたいと望みます」
ブランが息をのむ音が、わずかに横から聞こえた。ベッカはぷよんと、小さくうなづく。
「……別居状態のご夫婦の和解調停は、いくどか補佐した経験があります。僕自身は独身の若僧ですが、……何とか僕からナノカさんに、働きかけてみましょう」




