表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/109

恋に死にかけるガーティンロー騎士

 

 ごくり……。


 浮き出たのどぼとけを上下させてから、正規騎士ロクリン・ナ・ケルドは低く話し出す。



「……フリガン侯が考えるように。私はあなたと、同じ目的を持っていました」


「旅のことは、エメイさんが話して下さいましたよ。けれど一人で探索に出てから、侯に何が起こったのですか?」


「女に、心を殺されてしまいました」



 かすれ声で男は言う。



「もう少し先へ行ったところで出会った女と親しくなり、めとりました。けれど妻は、私と一緒に暮らし続けることはできないと言い、娘を連れて出て行ってしまったのです」



 ベッカは神妙な面持ちでうなづく、ぷよん。ここまでなら、どこの国でも時たま聞く話だ。帰って来てより・・の戻ることだって多い。



「奥さまとは、それまで同居なさってたのですか? ご実家の所在は、わかりますか」



 ロクリンは力なく、ふるふると頭を振る。



「……彼女と出会った岩城いわつきの片隅に天幕を張って、私はそこに居たんです。妻は……ナノカは、そこにいる時もあれば、ほとんどいなかったりもした。自分のうちは海の中と言い、よく魚を持って帰ったんです。私は、その辺りで漁師か海女あまでもしているところの娘としか、思っていませんでした。しかし、……」



 空になった杯を脇に置き、ロクリンは両手で顔を覆った。



「ナノカの腹がみるみる膨らんで、双子が生まれたのです」



 嗚咽をこらえるような、かすれ声である。すがりつくようなおびえた瞳で、両手指の隙間から、ロクリンはベッカを見た。



「フリガン侯……。私は、女性のからだの事情には詳しくない。けれど、出会ってたったの四月よつきでこどもが生まれることが、ありえるでしょうか?」


「女性の妊娠期間は、九か月とされていますね」



――すでにお腹の中にこどもがいた場合は、別ですが……。



 ベッカは、ここでは口を挟まないことにした。ロクリンは辛そうに続ける。



「それでようやく、彼女が人ではないということに気づいたのです。けれど私は、それでも構わなかった。だから、もっと一緒にいて欲しいと、海に帰らないで欲しいと頼んだのです」


「ふむ、ふむ」


「そうしたら、彼女は目に見えて冷たくなってしまった……。不在の時間が長くなり、赤ん坊に乳をやりに来るだけになりました。そうして息子が乳離れをした時……さようならと……」



 がっくりうなだれて、肩を震わせ始める。



「その後は、いくら呼んでもあらわれません。海にもぐっても、声さえ聞かせてくれない……」



 ベッカはでかい手を、男の背に置いた。



「……それで、海に入って奥さまを呼ぶようになったのですね」



 うなづいた男の目頭から、ぼたりとしずくが毛布に落ちる。


 しばらく、誰も何も言わなかった。やがてもぞりと、ロクリンの右手が毛布の下から現れ、こぶしとなって目の辺りをぬぐう。



「……ひどい女ですが、私はやはりあれがいのです。いい年をしてみっともないけれど、私の心はナノカに持っていかれたまま。あれが側にいなければ、この先なにを想って生きていけばいいのか、わからない」



 ロクリンは壮年に差し掛かったところだが、ぼろぼろと漏れ出る弱音はベッカ世代に近い気がした。もはや軍属騎士には到底みえなかった、本当の恋に出会ったのが遅かったのかもしれない。……その相手が精霊だったなんて、運が悪すぎる。



「奥さまのナノカさんに、戻ってきて欲しいのですね? 娘さんを連れて」


「そうです。それだけが、私の望みです。もう、ずうっと一緒にとは言いません……子どもたちの生まれる前、魚を持ってきてくれた時のように、時々笑顔で海からあがって来てくれれば、それで十分なんです」



 ただれ膨れたまぶたの下から、ベッカを見る目は澄んでいた。



「……私の、ガーティンロー騎士としての任務は終わっています。幸運にも私の目の前に、文官騎士のあなたがいる。あなたに私の調査結果をすべて託して、私は騎士でなくなろうと思います。ただのロクリンとして、この地にナノカと在りたいと望みます」



 ブランが息をのむ音が、わずかに横から聞こえた。ベッカはぷよんと、小さくうなづく。



「……別居状態のご夫婦の和解調停は、いくどか補佐した経験があります。僕自身は独身の若僧ですが、……何とか僕からナノカさんに、働きかけてみましょう」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ