レグリの形見のてがらを開く
・ ・ ・ ・ ・
ギーオさん達はまだ帰らない。
とりあえず織り布を見るだけ見ておいたら、とおばさんは言い、出来上がったものの在庫管理をしている人の家へ、皆をぞろぞろ連れて行った。
樫や楡の木の散在する平地に小屋の集まり、これが東部で言う“集落”なのだそうだが、少し先に行ったところにあるその家は、他の藁ぶき石積み小屋よりずうっと大きくて、どっしりした構えである。
やせ細ったじいさんが出てきて、「ほいほい、どうぞ」と入れてくれた。
家の中に、また頑丈なつくりの扉がある。骨ばった手でがつりと錠をあげて入り、じいさんはかたかたと鎧戸を開けたらしい。
「ひゃあ……」
片側の壁一面に、天井まで届く木棚が作りつけてある。その中いっぱいに押しこまれた極彩色が、やわらかい日光に照らされて満開だった。
赤、だいだい、黄色に緑、青、藍に紫……。おおよその色味で分けられている。
「すごいですね、何てきれいなんだろう」
そのまんまの感情を、潮野方言で言ってよこしたベッカに、じいさんはくちゃくちゃっと笑った。
「色もきれいだけど、手触りもええんだよ」
整理しかけだったらしい、傍らの小卓の上に積まれた生成色の巻布を、手に取ってよこす。
「へえ、ほんとだ! ずいぶんとふかふかしているんだね」
ブランも両手にこねくり回しつつ、言う。
「海藻が入っていると言うから、もっとがしがししてると思ってたんだけどな」
「糸こんぶっつう、でっかいびらびら海藻からとった繊維に、麻と綿をまぜとんのよ。水の中で育ったもんだから、水に強いね。たくさん洗っても傷みにくいし、色落ちもなかなかしないよ」
「これは完全に、乾いているのですよね?」
「そうだよ。けんど、ちーっとだけ濡れたような、もったりした感じがするのが特徴なんだ。肌着にはむかんけど、首巻や肩掛けなんかにすると、映えんね」
じいさんは元織り布職人だという。指にがたが来て、織り作業がしんどくなったので、現職たちの作品管理をやってるのだそうだ。
「じゃあ、磯織りの種類にもお詳しいですよね? 他の地方のものでも、わかりますか」
「おう、色味でだいたいどこのかは、わかるよ」
「せひ、見ていただきたいものがあるんです」
ベッカは鞄の中を探り、手巾をひらいてレグリのてがらを取り出した。
「おや、こりゃあ」
じいさんは目を丸くする。
「ネメズの“みおな色”じゃねえの。いい仕事してんなあ」
即座にさらりと言ってのけたじいさんの横顔を、ベッカは尊敬をこめて見た。すごッ!!
じいさんは窓の近くへ寄り、手の中のてがら巻をためつすがめつ、懐かしそうに言う。
「ここからずーっと、東に行ったとこにある……あった、“ネメズの集落”つうとこの、磯織り特有の色なんだねえ」
「おじいさん、“みおな”って何なの?」
そろそろ抑揚を聞き慣れてきたブランが、そうっとまねっこ潮野方言で聞いてみた。
「お月さまの古い言い方だよ。白でなし黄色でなし、夜空でそうっと照ってる時の色だね」
「……それは僕らの国で亡くなったレグリさんという女性が、大切に持っていたものなんです。もしやご遺族の方を、ご存知ありませんか?」
「……ごめんよ。そこの集落はだいぶ前に、海賊にやられてなくなっちまった。ほとんどどこの村もそうなんだが、女子どもは家畜と連れ去られて、残ったものは皆殺し。さらに火をつけられて跡形もなかったと、通ってきた人に聞いたことがあるよ。みおな色の染め方具合も、一緒に消えちまった……」
じいさんは静かに言いながら、手の中のてがらを転がしていたが、ふと何かに気づいたようだ。
「おんや……? お兄ちゃん、これ巻きの中心に、何かがあるよ。広げてみたこと、あんのかい?」
「あー、ありません。僕の指じゃ、巻き直せそうになかったもので」
「ちっと、開けてみてええかい?」
じいさんは節くれだった指で、内側に差し込まれていたてがらの端を解いた。
くるくるくる……。
「……」
「……ベッカさん……これ」
少ししわの寄った、てがらのもう片端。その先には、豆つぶほどの小さな玉が、縫いつけられていた。それがてがらに包まれる形になっていたから、外からはまるで見えなかったのである。
そして、その横。白っぽいてがらの表面に、墨がにじんでいた……。
「正イリー語……」
もんのすっっっごい下手くそだ、ブランとゼールは思った。
「うちの妹のお習字より、読みにくいぞ? 何て書いてあるんだろう」
ベッカは目を凝らし、卓上に細長くひろげたてがらを見つめる。
ひと目でわかる、これを書いたのはレグリだ。
もともと書き言葉を持たず、文字を使う習慣のない東部ブリージ系の人々。しかし彼女は長くつらい流浪の中で、学ぶことを諦めなかったらしい。
恐らく大人になってから、ぼつぼつ自己流で真似をして書きおぼえた正イリー語……。硬筆じゃない、ようじかかんざしか、何か身の回りのものを代わりにして、ふるふる迷い震えながら残したことば! それをベッカはつぶやき読む。
「へび しまえ もどつた」
―― ……へび……が? 蛇が、島へ戻った。……なんだそりゃ??




