海の子ひもの屋少年ゼール(きらり)
「君は……」
「この間、会いましたよね? 何かご用ですか」
実にふつう、かつ丁寧な態度で、少年は言った。
今日はなんだか、お店者のような調子である。
「ええと……。これは、君の舟なの?」
「はい、そうです」
彼は胸を張った。どう見たって、イリーの舟にはみえない、不思議な舟である。
「……あのー? 俺の舟が、どうかしましたか」
「荷揚げ、手伝うよ!」
ブランが素早く中弓を下ろし、ベッカの手に押しつけた。ひょろ長い腕を、少年の持つ木箱に差し伸べる。
「えっ? いいの? それじゃあ」
途端に、少年はひょいと舟にとび移った。
「そこに、どんどん重ねていってね」
船底に積んである木箱を持ち上げ、どんどんブランに向けてよこす。
「よしきた。……ベッカさんは、俺の弓もっててください」
「うん……」
少年ふたりがひょいひょい扱っているところを見ると、さほど重い中身ではないらしい。十個以上もある箱は、またたく間に波止場の木床に積み上げられた。
「どうもありがとう! ここ、一番めんどうくさい仕事だったんだ」
少年がにこーっと笑った時、後ろから声が聞こえてきた。
「おにいちゃーん」
ベッカの背後に向かって、少年は手を振る。
ふり返ると、からころ手押し車を前にした男性が三人、小さな女の子一人にまとわりつかれながら、やって来る。
ぱぱぱぱぱ、女の子が走り寄ってきた。
「おかえり! 一緒にいるの、だあーれ?」
「全然知らない人たちなんだけど、荷揚げを手伝ってくれたんだ」
「いい人じゃん! ありがとうッ」
手押し車のおじさん達が、追いついてきた。
「毎度ごひいきに、おはようございまーす」
「うちの坊ちゃまが、お世話になりまーす」
「ひものの、ツルメーでございまーす」
皆、笑いじわのぎゅうーと入った日やけ顔……しかし上品な物腰の紳士たちだ。たとえて言うなら……そう、花かつお!
「おはようございます、皆さん……」
ベッカが会釈すると、花かつおのおじさん達は手際よく、木箱を車に積み始めた。
「きみって、ひもの屋さんだったんだ」
ブランの問いに、少年はうなづいた。
「そうだよ。今ね、ファダンの工場から、するめもらってきたんだ」
「するめッ! にんじんと一緒になって、いかすやつッ」
「そうッ」
なぜだか少年二人は、真剣な表情になった。どちらの目元にも、しろく集中線が入っている……!
その黒べた塗り背景を、大きな手でぷよぷよ払い消しながら、ベッカが割って入った。
「ええと……あの、君はどうして、東部の人の舟を使っているの?」
「気に入ったから! 売ってもらったんだ」
ひもの屋少年はあっさり答えた。
「ここの港に時々、きれいな布を売りに来る人がいるんだけど、その舟みていたら欲しくなっちゃって。それで話したら、古いやつを売ったげるよって。それでお父さんに、買ってもらったんだ」
「だからお兄ちゃんは、そのぶん馬車うまのように、お店のお手伝いしなきゃいけないのよ!」
ふじ色のかわいい麻衣を着た女の子が、下の方からきんきん言う。
「改造するのにも、いーっぱいお金つかったから!」
「おだまりってば」
兄が、鼻の頭にしわを寄せて言った。
「僕らは、その東部の人と話したくて来ているんだ。今日は来るのかな?」
「いや、来ないよ。明月までは漁と布の仕込みが忙しいから、しばらくは来れないだろうって、こないだ会った時に言ってたから」
「……」
ベッカは、ブランと顔を見合わせた。
「商談かい? 磯織り布の買い付けなら、舟もらったよしみで、うちのお母さんがギーオさんの窓口になったんだ。うちに話しにくる? 少しなら、見本も預かってるよ」
ほげっ、とぷよひょろ両人は口を四角く開けた。
「ギーオさんって言うの? その人。どこにお住まいなの?」
「シエ半島の、ちょい先。東部に入る前、ぎりぎりテルポシエ国境のあたりに、小さな集落があるんだ」
「えっ? イリー人なのかい?」
「ううん、東部ブリージ系の人だよ。もうずうっと前から、あの布を作ってる一族なんだって」
ベッカは頭をひねった。……ギーオ氏の一族は、伝統的な東部の暮らしを守っているようだ。気づいてか気づかずか、たまたまテルポシエ領に住んでいたことで海賊の襲撃をまぬがれ、また旧王政のテルポシエ側にしてもあんまり辺境すぎて、東部ブリージ系の侵入に気づかなかった……。興味深いッ!
「ぜひ、お会いしたいものだね……!」
数か月後、もう一度ガーネラ侯に頼んでオーランへ来よう、と思った。
「来る?」
「うん、お願いできるかな? 僕はベッカ。ガーティンローから来たんだ、後ろにいるのは護衛のブラン君」
ひもの屋少年の母親に紹介してもらうつもりで、ベッカは言った。
「俺は、ゼール。宿に持ちものとか、取りに行かなくっていいね?」
「は?」
「のって、のって」
「んもう、お兄ちゃんてばそうやって、また逃げる気なんだな!」
小さな指を兄にびしっと突き付けて、女の子が決めつけた。
「……ちがうよッ、」
「だーめですよ、坊ちゃん」
「そうですよ、そのまま行かせるわけにはいきません。今、港の事務所で救命胴衣をもう二つ、もらってきますからねー」
「革袋に水も入れてきましょう、万が一の時のための用心ですよ。にぼしも少し、持ってお行きなさい」
花かつおのおじさん達は、木箱を開けたり事務所に走ったり、上品にばたばたし始めた。
「あの……?」
「そんなに遠かないんだ。今日のうちに、行って帰ってこれるよ。ギーオさんちに行こう」
「!!」
「この……この舟でッ!? まさか冗談でしょうっ、テルポシエ領の東はしっこなんて!?」
ひもの屋少年は、さわやかに笑った! ここは、白い歯がきらっと輝くところである。ちゃんと磨いているのだ、えらい!
「だからぁ。陸の道とは全然ちがうって、言ったじゃない。海の道は」




