ぷよひょろ、野望渦巻く駐在騎士にびびる
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翌朝は強風がぶんぶん吹いて、時折小雨が降りしきる。
「こりゃあ、だめだね……! 小舟どころか漁船だって、出航できそうにないな」
鎧戸のがたがた鳴る音で、ずいぶん早く目覚めてしまったベッカとブランは、外套の頭巾をかぶって港まで行ってみたけれど、やっぱり昨日同様空っぽである。織り布売りはいなかった。
「でも、そもそも毎日は来ないと言っていたし……。昨日来たなら、今日は来ないのかな。あした晴れたら、来るのかも?」
「うーん」
ベッカは首をひねる。ファダンでの本調査は済んでいるのだし、本来なら帰途についてしかるべき時だった。ただ、ありえそうになかったルーハのうわさ話が、ここにきて気になってもいる。
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「はー、そうですか。もし本当に、直接東部から小舟で乗りつけているのだとしたら、流入していない現地在住の東部民、というわけですなあ」
二人はオーランの混成イリー軍本部に駐在している、ガーティンロー騎士のシトロ侯をたずねた。
にわか作りの兵舎と厩舎とが、オーラン市のすぐ東側にしつらえられており、各国から派遣された小隊が入れ替わりを繰り返しつつ、駐屯しているのである。
ここは今、対エノ軍の最前線基地なのだ。
軍属のシトロ侯は、予期しない文官の訪いにかなり驚いた様子だったが、まじめに話を聞いてくれた。
隊長室といっても、やはり掘立づくりなのは否めない。壁が風に揺られて、がたがた鳴いている。
「仮に、ですよ。もしその人たちが本当に東部から、海路で直接あきないに来ていることが知れたら、どうなります?」
「その時こそ軍部のどなたかが、東部へ現地調査に派遣される可能性もあるでしょうね。……と言っても、精霊使いの集落は壊滅したようですし、実際に行く意味と言うのはないのでしょうが」
「ありますよ、フリガン侯」
きらん、とシトロ侯は目を輝かせた。
「えっ?」
「テルポシエ領の、ずっと東方なのですから。きゃつ等……エノどもの背後を取るには、なかなかよろしい拠点になりえましょうな」
ぷよん……!
ベッカも、後ろで聞いていたブランも、はっとする。
「……お二方。これはなかなか、おもしろい話です。私の言葉をまじえて、ガーネラ侯によくご報告ください。そうしてあまり、その辺の皆さんにはお話されない方がよいですな」
「はい……」
「ご帰還は、……今日のこの風では、馬も疲れます。明日がよいですな! では貴侯のあとをついで、私が港へ時々、人をやらせます。……うーん、騎士の恰好では、向こうは警戒するやも……。よし、家内を斥候にやりましょう」
奥さん連れで駐在しているらしい。
シトロ侯の笑顔にややおそれをなして、ベッカは混成イリー軍本部をあとにした。
「なんかちょっと、……やな人でした」
典型的に気に入らないたぐいの大人に接して、気分の悪いブランは、ベッカに言った。
「……たぶんあの人、織り布売りをつかまえて、自分のお手柄にしようと思っているんだ」
「たとえ捕まえたにしても、あんな遠いところに拠点つくるなんて、とんでもない労力がかかるよ。いくらなんでも、ガーネラ侯が許可しないと思うけどね」
オーラン宮から、海岸沿いの崖にそって続く遊歩道をあるきつつ、ベッカは答える。
小さな岬の先に黒い塔が見えた。相変わらず風がある、散歩している人はいない。
ひょろい見かけに反して、筋肉その他の重いブランは特に風にも動じないが、加えてベッカの背後にいるとほぼ無風地帯なのであった。崖の近くを歩いていても危なくない二人なので、安心して欲しい。
――それより……。
大きく波うつ海原を見やりながら、ベッカは思う。
――ガーティンローが……あるいはイリー都市国家群のどこかが、今の東部世界にひとつでも軍事拠点を置けば。それは間違いなく、三百年前の植民以来の“東進”とみなされる。そんなことをして、エノ軍や北部穀倉地帯、……ティルムンが黙っているだろうか。何より東部ブリージ系の人びとが、許すだろうか?
キヤルカとルーハの笑顔が、脳裏に浮かぶ。
とんでもないことを引き起こすきっかけを作ってしまったのだろうか、と少し心がふるえた。




