オーラン港・名物ぶどう巻き
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筒状に丸め巻かれた“ぶどう巻き”を手に、ベッカとブランは屋台主人がすすめてくれた、脇の長床几にかける。
「……ベッカさん。俺、ぶどうの葉っぱ食べるの初めてです」
「僕だってそうだよ」
しっとりした葉っぱは、あっさり塩味だった。中に巻いてある、やわらかいたこの酢あえ、および蒸し鶏の濃厚なうまみが映える。
予想に反して、青臭さはまったくなかった。
「むっちゃくちゃうまいです。うす味なのに」
「葉っぱも、全然がしがししていないね……! もっと筋張っているのかと思ったよ」
二人を最後に、客がひけたらしい。屋台店主が上品に話を振ってきた。
「オーランは、他のイリー諸国と比べて少々気候が温暖です。街の裏手の日当たりが良いところで、ぶどうを栽培しているのです」
ブランは目を丸くした。ぶどうなんて、干した実しか見たことがない。もちろん、生のぶどうを食べたこともない。
「あったかい北の方でしか、とれないんじゃなかったんですか?」
「ええ。さすがに穀倉地帯なみとはいきませんから、美味しい実はなかなか成りません。けれど滋養のある葉っぱが茂るので、それを塩漬けにしているのです。この中に桃の実を包んだお漬物も、出回っていますよ」
「へえー……」
微気候、というやつの恩恵なのである。
ベッカは屋台のあるじに、織り布商について聞いてみたが、上品に首をひねられた。屋台を出すのが昼過ぎからなので、見たことがないと言う。
「露店の皆さんなら、今朝いらしてましたよ」
横の長床几にかけて、小さな子に食べさせていた奥さんが、上品に話に入ってきた。
「時々見ます。皆さん朝方にいらっしゃいますね。飾りや編み籠なんかの、お細工ものを売ってる方が多いかしら。今日はお昼前に雨がぱらついたものだから、どこも早じまいしちゃったみたいですよ」
露天商がいるのは、漁がひけた頃から昼過ぎの時間帯らしい。毎日必ず誰かが来るというわけでもなく、来る日の間隔も決まっていないらしい。数日に一度来るか来ないか、というまさに日和見商売のようだ。
「会えるまで待つ、というのもちょっと無理があるかな……。とりあえず明日、運をかけてまた来てみよう」
ゆっくり市街に向けて歩き始めながら、ベッカは言った。
ブランはうなづいてから、シエ湾の方へ視線をむける。
「あの小さな岬のむこうが、もう東部なんですよね?」
手前に見える岬の端には、ぽちんとずんぐりした黒い塔が建っていた。後ろにうすく長く、大きな岬が遠く横たわっている。
「いいや、違うよ。後ろに見えるのはシエ半島といって、シエ湾の東側を囲っている部分だよ」
「え? じゃあ……」
「そう、あそこもまだ、テルポシエ領なんだ。東部世界は、ここからじゃ見えないよ」
「……。そうなんだ、まだまだ遠いんだなあ」
少し残念そうな言い方である。
この子は本当に東方が見たいんだな、とベッカは思った。
「そうだね。はるか彼方、ってやつだね」
わからないではない。ベッカだって少年時代、自分の周りの世界が狭っこく感じられて仕方なかった時期がある。そこを突破しようと、躍起になっていた。……本当に、表面しか見ていなかったなと思う。目に見えるだけが世界の奥行きなのだと、信じて疑わなかったなんて。
「海の道は、陸の道とはつごうが違うよ」
ふいと後ろから声をかけられて、ベッカとブランは同時に振り返った。
ブランより少し下、十三・四歳くらいの年頃の少年が、すずしい笑顔を向けている。ブランほどにでかくはないが、やたら引き締まった身体を毛織の仕事着に包み、かさばる木箱を抱えていた。日にやけた金髪と肌が、いかにも“海の子”である。
「風に助けてもらって、風の速さで進むんだ。馬のように疲れることもない、ぐうっと遠くに行けるんだよ」
「……君は、そうやって海の道を行けるんだ?」
邪気のない少年の言い方は、素朴だけれど何だかちょっと面白かった。興味をひかれて、ベッカはたずねてみる。
「例えば、半日でどのくらい遠くまで行けるものなの?」
「うーん……」
少年は、笑みを顔に貼り付けたまま、小首をかしげる。
たぶん、こういう聞き方をされたのが初めてだったのだろう。
「シエ湾の真ん中までは、四半刻。半刻あれば、シエ半島の先っちょまで行けるから、……」
えっ、と今度はベッカが驚く。
「わからないねえ。一体どこまで行けちゃうかなあ! 今度試した時に、ようく時間をはかっておくね」
へへへ、と少しはにかんだように笑って、少年はくるっと行ってしまった。
ブランとベッカはぽかんとしたまま、空っぽの波止場に取り残される。
「……漁師さんの子かな」
「漁船って、速いんだなあ」




