おぞましくも素晴らしき凸凹おじさんコンビ
確かに、ファダンからオーランまでは約二十愛里※の道のりがある。
けれどガーティンローからみればずっと近いのだから、“ついでに”寄っていくには、妥当なところだろうとベッカも思った。
後から思い直して、行っておけば良かったかと後悔するより、実際に足を伸ばしてしまった方がいい。ガーネラ侯には近日帰還と昨日たよりを送ったばかり、ブランが言うように、ちょっとくらい延びたって構わないだろう。
調査内容が濃くなる可能性もある。……あんまり、期待はしていないけれど。
市門近くの駅馬業者のところへ向かう。
「オーランなら、あそこの旦那が乗せていってくれるよ」
短距離の帰路につく人が、駅馬業者の事務所であいのり希望者を募るのは、よくあることだ。
「運がいいね! 乗せていってもらおう、ブラン君」
自分で御さなくていいのは、楽だ。
「はい」
空の木箱をたくさん積んだ荷馬車に、ベッカとブランは乗り込んだ。
「そいじゃ、行きましょう。狭苦しくって、ごめんなさいね」
オーランの履きもの商というおじさんが、御者台から上品に言ってよこす。
からから、荷馬車はファダン市門をくぐりかける。
「おーい、待っとくれー」
後ろから声がかかる。
ブランが木箱の横から首を伸ばすと、中年男性が二人、手を振りながら走ってくるのが見えた。
「あっ、あの人たちも、乗りたいんじゃないのかな!?」
ベッカの声に、履きもの商は馬の歩みを止めさせた。
「やあ、助かった。どうもすみません、ぎりぎりのところを」
「ムーナの村まで、お願いできますかい」
全力疾走で追いかけてきたにしては、さほど息も荒げず、おじさん二人は穏やかに言う。
鶏のとさかみたいな頭をした背の高いおじさんと、ずんぐり小柄なぎょろ目のおじさん。
どちらも東部ブリージ系のようだったが、武装旅装はしていない。身なりはイリーの農民風、話し方もはっきりていねいなイリー語だ。
履きもの商は何も疑わず、了承した。
「お急ぎのところを、ごめんなすって。若旦那」
「狭くなっちまってすまんね、坊ちゃん」
ベッカとブランにかける挨拶にも、そつがない。
「いえいえ、僕らも急いでいませんので」
にこやかぷよんと答えつつ、ベッカは内心で二世・三世の人かな、と推察した。
大流入の起こるずっとずっと前にやってきた人たちの子孫で、完全にイリー人として生まれ育ったのだろう。
からから、からから……。
前座席のベッカとブラン、後ろ座席のおじさん二人は木箱の間に押し込まれる形で、どんどん先へ運ばれて行った。
午後の半ば、車のまわる音以外、誰も何も言わない。
「……きもち、悪い……」
いきなりぼそりと横から言われて、ベッカはひゃっと驚いた。ぷよん!
見れば、右脇のブランが真っ青な顔をしている。
「ええっ、何! どうしたの!?」
「くるまに……よいました……」
「ふぁーッッッ!?」
小さい頃から馬車……屋根付き高級車に乗り慣れていたベッカは、のりもの酔いの経験はない。けれど乗馬が基本のブランは、後ろ向きに揺られて気分を悪くしていた。
「な、何で? おとついは大丈夫だったのにっ。どうしよう、げー寸前なくらいに緊迫かいッ!?」
たぶん木箱だ、とブランはゆらゆら思った。長ーい足をちぢこめるようにして、同じ姿勢のままじっとしていなくてはならない。しかも顔の横にも箱が高く積まれて、片方の視界をふさいでいる……!
「困ったなー、まだ半分くらいしか来ていないはず……。ああ、そうだ! 乾燥はっかをおあがりッ」
ぷよぷよと体をよじらせて、ベッカは外套下に提げていた革鞄を取り出す。
超高級るいび豚革製のふたをぱしっと開けて、はっかの小包をごそごそ探し始めた。
痛み止めとして携帯している人は多いが、ベッカは口中清涼の目的で持ち歩いている。特に、キノピーノ書店に行く前はいつも多めに噛んで、やたらすうすうなのである。ゾフィさんに会った時、食後のにおいなんて漂わせたくないのだ。
「……お兄ちゃん。こっちのが効くぜ」
すっ、と目の前に布包みが差し出された。
「えっ」
顔を上げると、とさか頭のおじさんが、ごたごた積まれた木箱の後ろから、長ーい腕をのばしていた。
「くるま酔いだろ? しょうがの切れっぱしだ。噛めば一発で治るよ」
「あ、ありがとうございますッ」
少しおろおろしつつ、ベッカは包みの中の黒ずんだ根っこを太い指でつまみ、ブランの顔の前に持ってゆく。
受けとったしょうがをがりっと噛んで、……ブランはまるい小さな瞳を、じわあと潤ませた。
「からぁあああああ」
この世のものとも思えぬ、壮絶にみじめな表情だ! ああ無情、おお非情!
「辛いから効くんだよ。ちっと我慢しな、坊ちゃん」
涙と鼻水のたれかけた顔をびくりと上げて、ブランは正面にのぞくおじさん二人を見た。
白眼部分までぎょろりとむいたまるい双眸! でろりと裏返しかけたくちびるが怪異的!
とさかおじさんの方は、細ーい切れ長目をらんらんと光らせている!
……近くで見ると、なんておぞましいおじさん達なんだ! 少年の感覚は、酔いを忘れた。
「ぐふふ……」
にやあり、とさかおじさんの口角が上がる。
「効いたな……」
「ぬふふ……。さすが、用意の良い俺たちだ……」
ずんぐりおじさんも、うんうんとうなづいた。
「大人になると感じなくなる人も多いがな、くるま酔いは辛いよなあ。しょうがは気付けにもなるから、出かける時に持ってくとええぞ。むふふ」
「のりもの使う前の晩に、香湯にすれば辛くないぞ。お母ちゃんに淹れてもらいな、ぐふふ」
外見からは想像もつかない、優しい口調でおじさん達は話す。
「本当に、ありがとうございました……」
ぷよぷよとたるみつつ、ベッカも二人に感謝した。
「ムーナですよう」
御者台から上品な声がかかって、荷馬車の進みが緩くなる。
完全に止まるのを待たず、大小おじさんはささっと立ち上がり、するりするりと飛び下りてしまった。やたら素早い身のこなしである。
「ありがとさーん」
「気をつけてなー」
手を振られ、ふり返す。
でこぼこおじさん達は、谷あいの集落入口へと消えて、あっという間に見えなくなった。
じきにファダン領も、おわりになる。
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※一愛里(アイレーにおける一里)は、そちらの世界の約2000メートル。(注・ササタベーナ)




