ファダン騎士団長バーリ侯~あぶ熊っぽいな~
・ ・ ・ ・ ・
翌朝。
ファダン城の騎士団本部を訪うと、すぐに団長の個室へ通された。見慣れた副長が扉を開けて、ぱっと塩辛く笑う。
「やー、初めまして。お待ちしておりましたよ」
ごつい机の向こう、むくりと立ち上がる巨漢。
――くまみたいだ!
祖父と狩に行き、“阿武熊”をじっくり観察したことのあるブランは思った。
アイレー大陸に幅広く棲息する最大級のけもの、ほんとうの空の下に闊歩すると言われているやつである!
中年固太りの身体に紺色毛織の短衣を着たバーリ侯は、革鎧も鎖鎧もつけていないというのに、むきむきもりもりにかさばっていた。
しかしその上に乗っかった角刈り頭のおじさん顔は、日にやけ引き締まっていながらも、どことなく人懐っこい。騎士団長というより、漁師のおじさんの方が通りが良い気がする。
「さあ、座ってくれたまえ」
そして高めの声が、似合わなかった。
「お時間を割いていただいて、本当に感謝しております」
座りながら、ベッカは丁寧に言った。
「いえいえ、今日はひまでしてな。海のやわらかい日は、日和見海賊も漁師に鞍替えしますから、ははは」
ひょろんとベッカの後ろに立ったまま、ブランは目をまん丸くした。
――そうなんだッ!?
「えーと、もちろん冗談だからね? 君もお座り」
団長の高い声が苦笑した。副長がすっと差し出した、腰掛に座る。
「北部分団長からの報告は、ひと通り確認しました。我らがファダン領にて、侯がこのような災厄に遭遇してしまったことを、遺憾に思います」
すぐにまじめな態度で、バーリ侯は話し出す。ベッカは乞われて、事件のあらましをもう一度簡潔に語った。
「……そして当初の目的だった、東部ブリージ系住民への聞き取り調査は終了しました。バーリ侯のご協力に、心から感謝いたします」
「首尾はいかがでしたかな」
ベッカは、ファダン騎士団長をまっすぐに見た。はっきりした報告をこの人に先にしてしまえば、ガーネラ侯に背を向けることになりかねない。
なのでベッカは、頭を横に振った。ぷよよんよん。
――だめです。我々、イリー側に与する精霊使いのいないことを、確信しました。
――そうですか……、やはり。
こちらも何も言わず、バーリ侯も残念そうな顔で、猪首を振る。
「ガーティンローから改めて、詳しい書面報告をお送りいたします。……ご提供いただいたファダン北部の地図を、お返ししようと思うのですが」
「ああ、それはお持ちいただいて構いません。そのつもりで差し上げたのですし」
横から、副長が言ってよこす。
「それにあの地図の情報も、すぐ古いものになってしまうでしょうからな」
ベッカは、はっとする。
バーリ侯は苦いものを噛んだように、口をゆがめた。
「……あのメイム以北の流入民の集落は、早急に整理する必要があります。分団長の報告を聞いた後に、痛感しました」
ほんの少しの沈黙が、重く漂う。
「貴侯が先ほど指摘されたように、北部穀倉地帯の奴隷業者がこの先、イリー人を供給対象とみなす可能性は無視できない。過疎化の著しい山間地域を、彼らの跋扈する温床にするのは、何としてでも避けたいところです」
ベッカは唇を引き結んだ。その丸い背中を見ているブランにも、ベッカの緊張はみてとれた。
「……より多くの人びとが、メイムの皆さんのように、善きファダンの民になることを選択してくれるよう、祈っています」
こわばった声で言ったベッカに、ファダン騎士団長は神妙にうなづいた。
――この事件の首謀者は、イリー人の山賊だった。けれど彼らが、流入民集落の治安の悪さをかくれみのにしていたせいで、あの一帯に住んでいる東部ブリージ系の人々は、立ち退きを強要されるのだ……。
定住と納税を選んで、ファダン市民になるか。あるいは、領外へと追い出されるのか。選択肢は二つしかない。
室の中にいる大人たちは、具体的なことは何も言わずにいる。
けれどブランは、自分のこの想定が合っているだろうことを、確信していた。




