ファダン名物いかした人参・いか酢にんじん
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切り株街道をぐんぐん南下して、夕方おそく二人はファダン市にたどり着く。
危ない場面はなかったし、ブランは遠目にも嫌な気配を感じ取らなかった。
「しかしまあ……、疲れたね」
それでもベッカは宿にて、ガーネラ侯への連絡、ごくごく簡単な報告をたよりにしたため、配送業者を呼んで託した。
バーリ侯は忙しいだろうから待たされるかもしれないが、重大事件にも遭ってしまったことだし、やはりファダン騎士団長には会っていきたいと思う。
ファダン領民に奴隷狩の魔手がおよぶ可能性を進言してから、ガーティンローへの帰途へつこうと決める。
「やれやれ……。あとは、明日の朝一番でファダン城へ行って、騎士団長に会見を申し込もう。せっかくだし、今夜はファダンのおいしいものでも食べに行こうか」
ブランは、にいっと口角を上げて笑った。期待感!
味にうるさくない少年にとって、ここまでベッカに食べさせてもらったものも、すでに全部がぜんぶ“ファダンのおいしいもの”だったけど。
宿のあるじに聞いて、地元民に人気の料理屋を教えてもらう。宮城や市庁舎に近い界隈だから、少し気取った店が連なっていた。明るい店内、食べている客も商談流れの晩餐や、接待らしい集まりが多いようだ。
「ベッカさん、何なんでしょう? これ」
卓上の献立布を指さして、ブランは首をひねる。
「“いかすにんじん”。にんじんがかっこいいって、どういう料理なんですか」
「干しいかとにんじんが、酢で和えてあるんだっけかな。前菜に頼もうか、おいしそうだし」
ファダン市名物“しらす大盛り”と、とこぶしの煮物を注文した。ちゃきちゃきした若い店員は、酒もすすめてくる。
「シエ半島産のりんご蒸留酒で、とびきりおいしいのがございますが!」
「ごめんなさい、飲めないんだ。発泡果汁はないですか?」
店内さりげなく気配を確かめつつ、ブランはベッカを見る。
「ベッカさんは、お酒のまないんですか?」
「うん、全然だめ。典型的にイリー人」
「うちの兄ちゃんたちもです。でも、ゾフィ姉ちゃんはのみます」
ぷよ・ぴくーッ!
水差しに伸ばしかけたベッカの巨大な手が、宙で静止した。
「……へえー、そうなの……」
「そうなんです」
「……何で知ってるの?」
「たまにうちでごはん食べるとき、お母さんがぶどう酒出すんです。赤が白がもも色がどうこうって、義姉ちゃんたちとしゃべりながら飲んでるから、詳しいのかも」
イリー人は基本的に、飲めない人が大半である。ブランの家庭には、例外的にいける口の女性が集まっているらしい。
「なのでお母さんは、そういうのが揃ってるお店を手配して、ゾフィ姉ちゃんのお見合い席を用意するんです」
「ふうううううん!!」
――あああ、お会いしたことないけど、ブラン君のお母さん! 僕はあなたを、心底おにくみ申し上げますッ!
「でも、ゾフィ姉ちゃんは、いっつも断ってます」
「なぜだろうねぇえええ!?」
「遠いところへ行きたくないって」
「?」
「本屋の仕事が大好きだから、お嫁に行っても通えるところでないと、って言うんです。それにそもそも、結婚してから実家で働き続けるのを認めてくれる家が、あんまりないって」
「……」
家業を修得したものが、よそへお嫁お婿に行っても、日中実家で働き続けるのは、庶民の間ではごく普通のことだった。それを認めない、ということは……。
「じゃあお母さんは、貴族の相手を紹介しているんだ?」
「そうです。ゾフィ姉ちゃん平民だけど、店はでっかいし、ふるい一族だし」
イリー市民規律上、貴族・平民間の婚姻はみとめられていない。が、富裕層の力が強いガーティンローにおいては、“例外”がまかり通っていた。
一定所得のある成人で、三代以上ガーティンローに住所を有している家の出身であれば、貴族の家へ養子として“入る”ことができる。逆もしかり、貴族子弟がその家族称号を有したまま、平民と所帯を持つことが可能なのだ。
このように法律上はわりと融通のきくガーティンロー社会ではあるけれども、体面については堅苦しい家も少なくない。
大邸宅へやって来たものが、そいじゃ今日も配達がんばってまいりますと弁当片手に実家へ行くのは、かっこうがつかないと思われるのだ。特に貴族の家に来たお嫁さんは、家の中を中心に活躍すべし、という暗黙の了解を押し付けられる。
「でも。ベッカさんちなら、そのへん大丈夫そうだし……」
少年は、何でもないように話してくる。
「ガーティンローに帰ったら、うちのお母さんに話しますか? ゾフィ姉ちゃんに紹介してくれって」
ベッカは、ばちばちとまばたきをする。
「……は?」
「ベッカさんは、ゾフィ姉ちゃんが好いんでしょう?」




