精霊使いの女はいかに海賊に敗けたのか
女を前に、ベッカはぷよんと、小さく身震いをした。
「……僕らを捕らえて、北へ売り飛ばすつもりなのかい?」
女は肩をすくめて、何も言わなかった。
昼間に店の中で見た時、ベッカは女が自分よりずっと若いと思っていた。けれど今、暗闇の中に手燭の灯りで浮かび上がるその顔はどす黒く老けて、疲労をありありと滲ませている。
「何で、そんな悪い奴らの手伝いなんかするの。君だって北で辛かったから、逃げて来たんでしょう? 他の人に、同じことをするなんて」
「……わかってるよ。良くないって。でもね、……あたし悲しいことに、女だから」
過酷な生を越えて、女の心は荒みきっているに違いないのに、その声は妙に澄んでいる。
「男の人や、強いものの言うこと聞いて、その通りにするしかないって、よく知ってるの。逃げ出してきたのも、他の男の人たちに引っ張られて来たってだけだし……」
「そんなことはないよ。女の人は、かしこくって強いんだ。自分のすることを、自分ひとりで決められるんだよ」
青い編み衣に包まれた、至上のくびれの記憶を思い出して自分を奮い立たせつつ、ベッカは熱心にささやいた。
「ちがうよ、お兄ちゃん。女は、あたしたちは、どうにもならないんだよ。いちばん強い精霊使いも、男には勝てなかったんだし」
――えっ!?
前のめりになりかけたベッカを見すえつつ、女はさほど深刻でもない様子で続けた。
「あのね。……あたしのお母ちゃん、漁師の子だったの。近所だった精霊使いの村に、たまたま貝を売りに行った時、そこが海賊に襲われた。つかまって、その場であたしを孕まされて、船ん中積まれたの。男の人とか小さい子どもが皆殺された時に、精霊使いの女が帰って来た。その人は、ぶわっと精霊呼んで戦ったんだけど、結局海賊たちに負けちゃった。その人も、海賊の頭にうちのお母ちゃんと同じことされて、それで船に積まれたの」
ベッカは声が出せなかった。
「だからね。やっぱり女は、男に勝てない。男の言うこと、聞くしかない」
そこでベッカの背後から、かすかなうめき声が聞こえた。
「ううう……おかあさん……。こじし、ちゃん……」
「あ、弟ちゃんが起きた」
手燭を床に置き、女はふいと立った。二人のことを、兄弟だと思っているのだろうか。
「みず……」
かちゃかちゃ、と箱の上で何かを動かして、女は杯に水をついだらしい。
ブランの頭を少しだけ持ち上げて、唇に水を含ませた。
「たくさんはやれないよ。良い子だから、静かにしているんだよ」
「……心の底から、これでいいと思っているわけじゃないんだろう? 助けてくれないか。お返しは必ず、する」
ブランの頭を抱えたまま、女はちらりとベッカを見る。
「君、名前は何と言うの」
「ドーナ」
女がどんな人生を過ごしてきたのか、ベッカには何となく把握できた。
「……お母さんのこと、嫌いかい」
「きらいだね。丘の向こうへ行っても、まだ嫌いだね」
「でも君は君であって、お母さんとは別の人だ。その名前と一緒に、これまで嫌だったことを全部捨てちゃって、イリー人になってあかるく暮らさない?」
「……」
「そのやり方を、僕は知っている。君を手伝ってくれる女の人たち、君と同じ辛かった半生を乗り越えた女の人たちも、知っている。何なら、新しい名前を一緒に考えてもいいよ」
女は静かに、ブランの頭を寝台におろした。
「いいんだよ。あたしはこのまま、ドーナで。このまま食べて寝て、時々彼氏たちのどれかと仲良くして、それだけでいい」
「デイアス、というのはどうかな!」
決してあきらめない、ベッカはささやき続けた。
「君はそういう人になれる。なるんだ、デイアスに」
「……お兄ちゃんは、良い人だね」
ブランの上にかがみ込んだまま、女は寂しげに笑ったようだった。右手がすうと伸びてきて、ベッカの巨大な手のひらにとまる。
「やさしい話をしてくれる人になんて、めったに会わない。ありがとう、……でもあたしの名は、ドーナ」
「きみ、……」
すうっと立ち上がって、出て行ってしまった。……手燭を忘れていった。
ベッカは目を見開き、歯を食いしばって、ブランのそばににじり寄る。




