ブラン少年はひとり寝ができない
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その後も、メイムの村の東部ブリージ系住民たちに話を聞いてみたが、精霊使いに関してサアナ以上のことを知っている人はいなかった。
ただ帰り際、一番の新参者だという三十代の若い父親が、野良仕事で黒ずんだ手で子どもを抱きながら言った。
「この後、他の滞在集落をまわるんだったら、本当に気をつけたほうがいい。メイムと違って、ファダンやイリー人に嫌な感情をもってる人達の方が、ずうっと多いから……」
村長夫婦に見送られて、ベッカとブランはメイムの村を後にする。
花月の陽はまだまだ高いけれど、ベッカは本日分の調査を終了することにした。
「ファダンまで戻るんですか?」
「いや、今日はトフタに泊まろう。大きな村だったし、駅馬業者も宿もあるだろうから。明日からは北上して、他の集落を調べよう」
並んで馬を進めつつ、ブランはベッカにうなづいた。
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ベッカの予想通り、トフタの村厩舎は大きく設備も整っていた。そこの業者に貸借続行と、ごま小馬・黒馬の世話を頼む。
広場近くの宿に入った。
「単身用の室を、二つ……」
受付台のおじさんに言いかけたベッカの腕が、横からぷよ・がしいっ、と掴まれた。
「ふぁっ!? 何? ブラン君!」
「なんで室、別なんですか」
「は? 何でって……、当然でしょうが」
「ベッカさん。俺、護衛です。離れちゃまずいでしょう」
「え~~~、」
――いやッ、もう寝る時くらいは、君と離れたいんだけどなあ!?
ブランは口数はさほど多くない。しかし、こんな風に他人にひっつかれているのにベッカは慣れていないし、第一あんまり快適でもない。疲れていた。
「二人用の室ってないんですか。おいくらですか?」
子どもらしい率直さで、ブランはおじさんに向かい質問する。
「あー、あいにくと今日は、寝台二つの室がどれもふさがってましてね。大きな寝台一つのご夫婦・家族用のがひとつ残ってますが、……それじゃあちっとお狭いでしょう? お値段はまあ、こっちの方がお得にはなりますけど」
「そうですね! 狭いのは困りますねッ。なので、一人用の室をふたつ、――」
安堵して、ベッカが頼みかける。が。
「でもそこ、長椅子おいてあるでしょう?」
またしても、横からブランが割り込んだ。
「ベッカさん、俺、長椅子で十分ですから。その室とってください」
「……あのね、ブラン君? これ仕事なの、経費で落ちるんだから、宿泊のお代金とか、気にしなくって良いんだよ?」
「お願いします」
こどもこどもした顔に、ずどーんと気合の圧をみなぎらせ、くわッと見開いた目で少年は言った。
ベッカも困惑をみなぎらせ、ぷよーんと硬直した!
――な……何でぇっ!? ……まさか、一人で寝られないとか言うんじゃないだろうなぁッ!?
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ここだけの話、ブラン少年はひとり寝ができなかった。
中の兄が奥さんをもらい近所の借家に住むようになってからは、猫と寝ている。
伝手を使ってもらってきた、由緒正しく気高いねこ様だ。すべすべのうつくしい真っ白毛並み、お目々はぎーんとした翠色である。毎朝少年の頬っぺたを踏みつけて起こしてくれるから、それで朝寝坊と遅刻はしなくなった。
だからと言って、ブランは甘えん坊なのだとか、怖がりなのでは決してない。
ただ、自分の知覚の届く範囲内に、何か他の生きものの気配を置いておく必要があるのだ。中の兄、ねこ、ベッカ、この際何でもいい。
前に祖父にそのことを話したら、屋外ではそれは危険察知のために大切なのであって、そう感じることはちっとも変なのではない、と言われた。
だから今、彼は安心して寝じたくをする。
宿の食堂で夕食にたべた鶏がらだしの杣麦粥が、腹いっぱいにみち満ちて眠い。
あくびを噛みながら、長椅子真ん中に座ったままその下に手をやって、床の上の長剣を確かめた。中弓と矢筒は、横の手すりにもたせかけてある。
「お先ー。ブラン君、お湯使いなよ」
部屋の隅の手洗い場から、出てきたベッカが言った。
大都市部の高級宿でなし、もちろん風呂なんてあるわけないのだが、身体を拭き洗ってさっぱりぷよぷよしている。
「寝巻は、流しの横の棚にあったからね」
備え付けの筒っぽ寝巻が、ベッカのお腹の上でぱつぱつである。
「あ、俺、これで寝ます。何かあったら、すぐ動けるように」
ベッカは目を丸くした。麻衣・毛織・革鎧に股引って、……そのまんま?
「それに夕食前、入り口わきの大手洗い行った時に、顔とかも拭いちゃったし」
確かに、修錬校で騎士見習たちが学ぶ“野戦時の身支度作法”は、そんなもんである。有事の際は、少々見かけがばっちくなっても、騎士道精神はけがされぬ。
勉強は苦手と言ってたくせに、変なところで教えに忠実なのだろうか。
「いや……何かあったらって、何も危ないこと起きないからね? 普通にしてて、いいんだよ?」
「……」
「せめて、歯は磨きなさいって」
少年はだるそうに立ち上がると、手洗い場へ入っていった。