ぷよひょろ、隣国ファダンに向けて発つ
・ ・ ・ ・ ・
たす、たす、たす、たすッ……。
小気味よい蹄鉄の音が、やや湿り気を帯びた地表に吸いこまれていくようだった。
夜半に少し降ったらしい。朝の空気をひやりと押しやる風はつめたく、ベッカはしっかり着込んできて正解だった、と思う。
夏に向かう季節、明けきった空は透明に青く明るかった。
ななめ左先を進む黒馬の上のブランの、まっすぐな栗金髪がちらちら光っている。
いつもの質素な灰色外套の上、今は矢筒を提げて、背にかけた弓が揺れていた。
握のあたり中心に黒光りのしている、ずいぶん使い込んだようなごつい中弓である。
視界は広く、街道脇の林の樹々は密度が低い。
道を行き交う人の姿はほとんどない、どこかの村へ配達に向かうらしい驢馬荷車を、ぽつぽつ追い越すばかりである。
安全と見てとったのか、ブランはふと振り向いて、ベッカに話しかけてきた。
「ベッカさん……」
「何? お手洗い行きたくなったら、遠慮なく言うんだよ」
育ちのよいお坊ちゃんの表現である。街道にお手洗いはない。したくなったら、林をふみ分けて行くだけだ。
「いえ、聞きたいことがあって」
「?」
首をかしげるベッカ、ずいぶん小さい白地黒ごま柄の馬に乗っかる彼は、今日その丸い体躯を黒い外套に包んでいる。
実はこれは、いつもの臙脂外套の裏返しだ。通りがかりの無頼漢に因縁をつけられたり、山賊追いはぎの注意をひくのを避けるため、個人旅行者はよくこうして、明るい表地を隠す。
ガーティンロー文官騎士のしるしである明度の低い赤色は、頭巾の裏側にちらつく程度。胸の叙勲章も、ちゃんと裏側に隠れている。
「昨日、キヤルカさんたちが言っていた事件のこと、教えてください」
「ああ、……どこまで聞いたの?」
「キヤルカさんの同僚の女の人が死んで、ベッカさんが解決したってだけ。でも、殺人事件というからには、そのひと殺されてしまったんでしょう? それと、こういうの調べるのって巡回騎士の仕事なのに。何で市職員のベッカさんが、出てったんですか?」
攻撃的に問い詰める調子ではないが、やたらしゃっきりと質問してくる。馬上では冴える子なのだろうか。
「んー……、他の人たちには、あんまり言わないで欲しいんだけど」
「言いません」
しゃべる合間に、少年はちゃんと前後左右と、周囲を広く見渡してもいる。
「あのね、ご遺体が見つかった時、身元が全くわからなかったんだよ。三十代前後の若い女性としか知れなくて、巡回騎士達が行方不明届の出ている人の名簿を頼んできた。その照会を僕が手伝ったんだけど、相当しうる人はいなかったんだ」
「……? 市民籍のない、不法滞在の東部ブリージ系女性だったから?」
「結論知ってるから、ブラン君はそう言える。けど当初は、誰もかれもお手上げだった。
……≪非常事態時における恐慌回避の心得≫の授業は、受けたね?」
「はい! 留年したから、しっかり三回受けました!」
そういうことを、自信たっぷりに言ってはいけない。
「……よろしい、じゃあ心得どおりに落ち着いて聞いて。西区の用水路まぎわで見つかった女性の遺体には、頭がなかった。亜麻生地の夜衣一枚着たきりで、身元のわかりそうなものは何も持っていなかったんだ」
「……」
「あまり時間を置かずに、西門の外にある農地のため池に、頭が浮いた。でもそれはまっ黒々に焼かれていて、ほとんど骸骨状態だった。入念に油をつけて、燃やされたんだね」
引きむすんだ唇を曲げて、少年は黙っている。
善良を色にしたような初夏のうすい青空、吹き抜ける涼風だって純でしかない。それなのにベッカの話す内容だけが、どす黒く残虐だった……。