表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/109

ぷよひょろ、最初の共通点

 


「ブラン君……?」



 ベッカは、そうっと呼びかけた。



「……おいしかった、です……」



 幸せそうに上がった口角、片方の横っちょに、白くぽちんと泡乳がくっついている。



「ええと、僕はちょっとお手洗いへ失礼しますね……。はっか湯のお代わりが欲しい人は? いない?」



 ぷよ・すすす、と音もなく立って行ったベッカの姿を横目で見送ってから、ルーハは向かいのブランを見て、自分の唇はしに指をあてた。



「甘いのがついてるよ」


「え」



 反射的にブランの手が触れたのは、反対側の口端だった。



「いや、こっち」



 キヤルカの手が伸びて、ブランの口元にふれる。


 その触れ方があんまり母と同じだったものだから、ブランの心は身構えなかった。



「すいません……」


「ブラン君。いつから、ベッカさんについているの?」



 やさしい調子のイリー語で、キヤルカが問う。



「けさからです」


「どう思う?」


「どうって、……」



 でぶっちょ文官、以外の言葉が見あたらなかった。



「おとつい、初めて会ったばっかりで……。あんまり、全然、よく知らないんです」


「でしょうね。あなた、ぽやっとしてるから、そんな感じだろうと思った……」


「ブラン君。ベッカさんはね、むっちゃくっちゃすんごい人なのよ!」



 さっき甘味完璧盛りをほめた時同様、自信満々のどや顔でルーハが言い切った。



「見かけは、あんなふんわりしたお兄さんだけど! 頭の中はきれっきれで、色んなことを細かいところまで憶えてるの。そういうばらばらを繋ぎ合わせるのがうまいから、難しい問題をやわらかーく解決しちゃうのよ」


「わたし達、東部ブリージ系の住民のあいだでは、一年前の殺人事件を解決したことで有名な人なんだけど……あなたは知っている?」



 ブランはふるふるっと、頭を横に振った。



「あのね……、わたしの同僚のレグリさんて人が、その……死んでしまった時。色々と不審な点がたくさんあったから、巡回騎士たちが手を焼いていたの。そこを調べ回って、明らかにしてくれたのがベッカさんだったの」


「あたしたちと会ったのも、その調査のために店に来た時。でも下手人がわかって後始末が済んでからも、ずっと相談にのってくれた」


「実はね、それまでわたしとルーハは戸籍のない不法滞在で、いたのも場末の宿だったんだけど。あの人がていねいに手伝ってくれたから、外来市民枠で籍を作ることができた」


「税金は取られちゃうけどさ!」


「何言ってんの、ルーハ。それだって、ベッカさんがあんたとわたしを養子縁組して、扶養控除全開にしてくれたから、だいぶん楽な額になってるんじゃないの。ガーティンローの市に守ってもらってる身なんだから、払うもん払って当り前よ」



 ルーハはてへっと笑った。



「ブラン君、あなたもそのうち自分で見てわかるだろうけど。ベッカさんていうのは本当に、わたし達にとっての神さまみたいな人なのよ」


「ぶっちぎりの、いい男ってやつよ!」



 みたび、どや顔で言い放つルーハを前に、しかしブランは内心で首を傾げていた。そうか~??



「ほんとにねえ、もうちょい年がいってたら、間違いなく口説いて旦那にしてたんだけど。あんまり若くて育ちが良すぎるよ……。ブラン君、ベッカさんがどうしてお手洗いに行ったかわかる?」


「は……?」



 出すべきものを、出す時が来たから行ったのでは?



「あのねー、羽振りがよくって人間のできてるひとは、こうやってそろそろ帰ろうかなぁと言うところで、ひとり静かにお手洗いへ行くもんなのよ。そのついでに、そうっと皆のぶんのお勘定すましちゃって、ごちそうしてもらった人がお代の額を知らないまま、するっと帰れるように準備するのよ」



 ひくーい声でルーハにささやかれ、ブランが視線を回すと、……出入口まぎわの勘定台の前で、店のおじさんにうなづいたベッカが、ぷよ・くるうり……とふり向いて、こちらへ帰ってくるところであった。



・ ・ ・ ・ ・



 乾物商の店の前で女ふたりと別れ、ベッカとブランは再び市庁舎のある方面へ、路を歩く。



「明日の朝は、七ツ頃に市門前で待ち合わせよう。ファダンまでは半日というところだけど、午後も調査だから、今夜はしっかり早寝するんだよ。書類や費用なんかは全部僕担当だから、ブラン君はなるべく身軽に来なさい。常用してるお薬とかある?」


「ないです。あの、俺、標準装備でいいんですか」



 ベッカは、はっとした。そうだった、文官の自分と違ってブランは一応護衛なのだ。



「ああ、そう……そうだね。得物えものは何を使っているの、長剣?」


「はい。中弓も」


「そう、……それじゃ屋外の戦闘実習に行く感じで、用意して」



 本当の戦闘になんて絶対なっちゃいけないのだが、まさか丸腰で連れて行くわけにもいくまいと思い、ベッカは言った。



「今日は最後に、駅馬業者に寄って、明日の予約を入れて行こう」


「えっ、駅馬つかうんですかッ?」



 おどろいたブランの声が、きぃーんと高くなった。



「俺、自分の馬もってますよ?」


「そうなの? どうしても慣れてるやつでないと、だめかい?」


「いえ、そうじゃないですけど……」



 ベッカは気に留めない風で、うんうんとうなづいた。



「ほら、旅の行程がまだはっきりとはしないでしょ? 馬で行けるところだけとは限らないし、何日もよその厩舎にめておくのも、馬がかわいそうだしね……。それに、自分で世話をしなくていいのは楽なんだ。だから経費をばっちり使って、駅馬で行くんだよ」



 確かに合理的ではある。しかし自家用馬……貴族の大人全員が、めいめいの馬を所有しているのが一般的なガーティンロー生まれの少年にとっては、少々不思議に感じられた。


 駅馬業者の事務所で予約を済ませ、出る。


 赤い岩づくりのどっしり厚い市門を後ろに、ベッカはブランを見上げた。



「それじゃ、明日の朝。またここでね」


「あの、ベッカさん」



 やっぱり全然“知らない人”の文官に向かって、少年はきまり悪さを感じつつ、……それでも言うことにした。



「今日は、ごちそうさまでした」



 さすがに、甘味まで経費で落とすとは思えなかった。


 見上げてくるベッカの丸い顔が、ぱかっと笑う。



「ああいうの、好きかい」


「はい。すっっっごいうまかったです」


「よかったね。僕もなんだ」



 いまだ打ち解けない仲、知らないどうしの二人である。しかし、共通点をひとつ得たことに何となく安堵して、……それで別れた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ