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縁は異なもの



涼やかな風が頬を撫でて、その気持ちよさに目が覚めた。


「よく寝た……」


寝転がっていた身体をゆっくり起こすと、目の前にはピンクや白の小さな花畑が見渡す限りに広がっていて、それはまるで天国であった。

いや、ここは確実に天国なのだ。

だって、俺は死んでいるのだから。

享年78歳。

一年前に身体を壊して病院で寝たきりになっていた。子供たちには多大なる迷惑をかけたと思うが、最期は愛おしい孫たちに看取られながら、子供たちの涙に包まれるように、静かに息を引き取った。

本当に良い人生だった。心の底からそう思う。だから、ここは天国なのだ。

しかも有り得ないことに現役バリバリでサラリーマンをしていた時の一番元気な姿をしている。


「アハハハハッ!!」


嬉しくなって飛び跳ねてみたり花畑を全力疾走してみたりしたが、身体に支障は全く無い。

一通り暴れまわってまた寝転んでいると、ふと、俺は3年前に亡くなった妻のことを思い出した。

そうだ、アイツに会いたい。

ぽっくりと逝きやがったアイツに一言文句でも言ってやろうか。そう思った。


「あー、でももう来世に行ってっか」

「こちらに居られますよ」

「うわぁ!!!!!」


リラックスをしていたところに、少女がニュッと現れた。


「驚かしてしまい申し訳ございません。しかし、奥様から旦那様がこちらに来られたとご連絡ありましたので、お呼びにまいりました」


10歳くらいに見えるのに、大人の言葉を達者に使う姿が不気味で、背筋に冷たい汗が一筋流れた。


「アイツ、まだここに居るのか?生まれ変わったりしてたんじゃ……」

「いえ、奥様は貴方に言いたいことがあるらしく、こちらで3年を過ごしていたんです」


俺の為に……?

心臓を掴まれたみたいに苦しくなった。

あぁ、早くアイツに会いたい……!


「おい!アイツはどこにいる?会わせろ!」

「奥様はあちらに居られます」

「え?」


少女は俺の後ろを指さした。

ゆっくりと振り向くと、さっきまで花畑が広がっていたはずの所に大きく無機質な建物がそびえ立っている。


「えぇ……」


呆気に取られていると、少女が「さぁこちらです」と歩き出す。その姿を見失わない様に必死についていく。


エレベーターに乗り、少女はえれべーたーでは見たことがない1012階のボタンを押した。数分後、「チンッ」という音と共にドアが開いて降りると、赤い扉が出迎えてくれた。


「奥様はこちらにいらっしゃいます」


扉の目の前に立ち、深呼吸をする。


「開けていいんだよな?」

「お好きなタイミングにどうぞ」


少女は笑顔で応える。それに大きく頷いて、ノックを3回鳴らす。


ゴッ

ゴッ

ゴッ


意外と重い音がした。

中からの返事を待つ。


「どうぞ」


それは若いころによく聞いた妻の声だった。

ゆっくりと時間をかけて扉を開ける。体感時間は5分くらいに思えた。


「久しぶりね」


その声を合図に、俺はこれまた5分くらいかけて妻の顔を見る。

そこには、俺と同じように晩年ではなく、初めて会った時と変わらない姿の若い妻が立っていた。何故か赤いワンピースを着ている。その姿が思い出の中の彼女の姿と重ならず、少し息を飲んだ。


「……久しぶり」


俺がそう言うと、妻はクククッと肩を震わすと、そのまま大きな声で笑いだした。


「なに緊張してんのよ」

「そりゃするだろう。3年ぶりに会うんだから」

「だからって……貴方らしくない」

「俺らしいってなんだよ。お前だって何めかし込んでんだよ」

「こんなドレスを着てみたかったのよ」

「似合ってないんだよ」

「はぁ?」


顔を見たら言い合いが始まってしまうのは、昔のころの癖である。

俺と妻は、勤めていた会社の先輩と後輩で、俺は彼女の教育係だった。

先輩と言っても年齢は2つしか変わらない。だが、俺は彼女に仕事のノウハウを叩き込んで一人前にしようと奮起していた。初めてできる直属の後輩で、しかも美人であったため、燃えていたのである。

しかし彼女に仕事を教えると、教えられたことと+αのことまで身に着けていき、その吸収力は並大抵のものではなかった。

褒めて伸ばし、間違っていることは感情的にならずに丁寧に教える。俺の指導力の素晴らしさを周りは感心し、俺も自分で上手くできていると思っていた。

教育係最終日、俺と彼女は初めて飲みに行った。俺は下戸だったが、彼女はザルだった。

すぐに酔っぱらった俺は、図に乗った。


「お前は周りが思ってるよりできてないんだよ」

「そうなんですか」

「そうだよ。俺がいないと無理なんだよ」

「そんなことは無いかと……」

「いーや!そうだね!俺におんぶに抱っこの赤ちゃんだ」


そう言って彼女の方を見ると、いつも澄ました顔をしているのに、ムスッと頬を膨らませ、酔った俺に見下した視線を送っている。

その姿に俺は惚れてしまった。しかし、今更自分の姿勢を変えられないと最後の理性を振り絞った。


「俺は最後までお前の教育係だ!覚悟しとけよ!」

「お前って言わんでくださいっ!」


声を張り上げた。彼女は「帰ります」と言ってそのまま鞄を持って店を後にした。律儀にお金まで置いてやがる。


「クソッ」


その声は自分でも聞こえないくらい小さかったと思う。

次の日から、彼女とは会う度に小言を言い合う仲になった。


「化粧濃いぞ」

「寝癖ついてますよ」

「ちょっと太ったんじゃないか」

「先輩の業績、抜いてやりました」

「クライアントから新人みたいなクレーム来てんぞ」

「新人の受付の子に鼻伸ばしてるのバレバレですよ」


それからどうやって付き合うことになって、どうやって結婚まで至ったのか、まるで覚えていない。

多分俺が告ったんだろうな。


「何考えてるの?」


過去のことを走馬灯のように思い出していると妻の声が耳に届いた。


「別に大したことじゃねぇよ」

「また女の子のことでしょ」

「そ……違うわ」


この姿の妻と話すと、俺は小学生みたいになる。

好きな子を前にするとぶっきらぼうになる小学生。

好意の伝え方が分からなくて、何故か怒ったような口調になってしまう。


「あのさ、本題に入っていいかしら?」

「本題?」

「私が貴方を呼んだ理由」

「あぁ……」


そうだ。妻が俺に話したいことがあるって言うから、俺は少女にここまで連れてきてもらったんだった。会えたことが嬉しすぎて忘れてしまっていた。

心の中ではこんなに素直になれるのに、言葉にすることができない事がもどかしい。


「あのね、今考えたらここまで来てもらってるのに申し訳ないなって思うし、なんて伝えたらいいのかよく分かんないんだけど……」


胸が高鳴った。

もしかしたら妻も俺と同じ気持ちなのかもしれない。

好意を、愛情を、上手く伝えられなかったのは妻も同じなのだ。


「おおう」

「貴方が来るまで、ずっと何て言うか考えてた。この言葉が合ってるのか分かんないけど、一番私の気持ち合ってると思うから言うね」

「うん」

「貴方、死ぬのが早いのよ」

「うん……うん?」

「私が死んで3年でくたばるとか早すぎるでしょ?有り得ないんだけど。何してんのよ」


赤いワンピースから伸びる色の白い透明な脚をスラリと組み、妻は見下すように腕も組む。


「いや、別に病気だし。俺の意思じゃない」

「それでもよ。78って……」

「仕方がないだろう。仕事も辞めてお前も死んで、生きる理由なんてないだろう」

「ほら。またそうやって仕事と私の所為よ。貴方、ちゃんと薬とか飲んでたの?医者の言う事とか聞いてなかったでしょ」

「薬漬けなんてものにされて堪るかよ。自力で治すのが男ってもんだろ」

「治ってないじゃない。死んでんじゃん。そうやって勝手に自分で決めるから最悪の事態になるのよ」

「なんだよ。ここに来てまで言いたいことが昔みたいな小言かよ」


昔も今も、美人だからって何でも言っていいと思っている節が妻にはある。

こんな状況、100年の恋も冷めるってもんだ。


「あとね、貴方」

「まだ言うのかよ」

「えぇ。この際だから言わせてもらうわ。靴下を脱ぎっぱなしにしないで。洗濯するのが誰か分かってんの?使ったものも出しっぱなしにする。片づける事なんて3歳児も出来るわよ。っていうか貴方本当にどんぶり勘定だったわよね?確かに働いてくれていたのは助かったけど、家計のやり繰りとか分かってんの?私とじゃなかったら破産してたわよ。それと……」

「もういいよ!」

「良くないわ!」

「じゃあ俺も言わせてもらう!」


ソファーから立ち上がり、妻の隣に座った。


「お前の料理の味付けは薄すぎるんだよ。かと思えば有り得ないくらいに濃い時もあった。今だから言わせてもらうが、お前は料理が下手なんだよ。あと、壊滅的に服のセンスがない。顔でカバーできてると思ってるかもしれないけど、ダサいんだよ」


初デートの日、彼女の私服は白のトレーナーに短パンだった。

何度もデートを重ねた相手なら何も思わないが、初デートである。真面目に考えて精一杯のお洒落をしてきたのが馬鹿みたいだった。


「着るものは私の自由でしょっ!」


昔のように頬を膨らませている。怒っている合図だ。それでも言い合いを辞めなかったのは、これが最後だと気付いているから。


「大量に食糧買っては腐らせる。節約できてなかったのはどっちだ」

「お洒落っていうけど、貴方はモノトーンばっかりだっただけでしょ」

「お洒落したかとおもえばアイドルの追っかけとか何してんだよ」

「家にオッサンがいるから眼の保養よ」

「お前は……」

「だからお前って言わないで!」


あぁ本当に、昔に戻ったみたいだ。頬を膨らませる彼女も、売り言葉に買い言葉も全てが懐かしくて、泣くことなんてしたくないのに、涙が溢れてくる。


「生まれ変わったら一緒になってやんない」

「こっちから願い下げだよ」


この言葉は俺ら夫婦の口癖だった。

ケンカをしたら最後には妻が拗ねて、俺もそれに乗っかる。

俺はソファーに深く腰をかけてそっぽを向いた。多分、妻も同じ姿をしているだろう。反対の方向を見ながらも、俺らはずっと一緒に生きてきたのだ。


「お待たせいたしました」


突然の幼い声に眼をやると、同じ顔をした少女が二人、目の前に現れた。

ここに連れてきてくれた少女である。


「転生する場所が決まりました」

「奥様はこちらへ」

「旦那様はこちらです」


二人がそう言うと、さっきまでの殺風景だった部屋は消え、寝転がっていた花畑に立っていた。


「んーーー!やっぱり外は気持ちが良いわね」


怒っていた妻は大きく伸びをして深呼吸をしている。この気持ちの早変わりが一番苦手であった。これも伝えてやろうか。


「さっきまでキレてたくせに」

「なによぉ。場所が変われば心も穏やかになるの」


俺らの会話を少女は微笑ましく見ている。


「なんだよ」

「ちょっと!小さい子に乱暴な言葉遣いは止めてよね」

「いえいえ、良いんです。願い事が叶って良かったなと思っただけですから」


願い事?


「お二人はここに来た時、ある願い事をしてるんです。それが叶ったら転生が来るのです」


ピンと来てない俺に気が付いたのか、少女は教えてくれた。


「確かに叶ってるわ。貴方ともう一度ケンカがしたい。これが私の願い事」

「なんだそれ……」

「貴方のことが手に取るように分かった晩年の穏やかな日々も愛おしかった。でもそれって、言い合いをしていたあの日常があったからこそなのよね。だから、やっぱり楽しかったのよ」


妻は満足そうに答えた。


「貴方の願い事は?」

「俺は……」


俺の一番の願い事は、妻の顔を見ることだった。

話せなくても触れられなくても、ただ一目会いたかった。でも、妻が「ケンカをしたい」と願ってくれたから、それ以上のことが起きた。


「俺も同じ感じだよ」

「えぇ~?」


最後の最後まで、やはり素直にはなれない。きっとそれで良いのだと思う。これが俺ら夫婦の愛の形なのだ。


「では、そろそろ」


花畑は2つのルートに分かれた。目の前の白い花道が妻で、立っている後ろの黄色い花道が俺だ。


「じゃあ」

「じゃあね」


俺らは振り向かずに歩いていく。

黙々と歩いて、「転生のドア」と呼ばれる扉の前に立った。


「こちらを開けたら、次の人生が待っています」

「あのさ、転生してアイツにもう一度会う確率ってどれくらいなの?」

「さぁ?私はここから先のことは何も知らないのです」

「そうか」


ドアノブに手をかける。


「でも!」


少女の声に振り向く。


「でも、二人の想いが同じくらいに強かったら、また会えるかもしれない」


少女は「たぶん」と付け加えた。


「その時は、素直になれたらいいですね」


何でもお見通しだとでも言うように、ニヤリと少女は笑う。


「会えたらな」


笑みを浮かべながらそう言い、俺は手をかけたドアノブを回した。

扉を開けると眩しい光に包まれて意識が遠のいていく。薄れ行く意識の中、やはり思い出すのは妻の顔だった。




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