風の便りと、デジタルな落ち葉
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
アトランティア市の空が、高く、透き通った秋の色に染まっていた。 メイン通りの並木道では、エンジニアたちが丹精込めて作り上げた「紅葉データ」が、物理演算に従ってひらひらと舞い落ちている。
「……もう、秋ですね」
阿武隈探偵事務所の窓辺で、八千代がティーカップを手に呟いた。 その視線の先では、ケン太が落ち葉を掃き集めるふりをして、カインの「送風機能」で遊んでいる。
「……そうだな。向こうの世界でも、そろそろ初霜が降りる頃か」
遼司はデスクで古い手帳を開き、現実世界の日付を計算していた。 八千代がこちらへ完全移住してから、この世界では穏やかな時間が流れたが、現実世界でも数ヶ月の月日が流れているはずだ。
「哲人君、どうしているかしら。……きっと、一人で寂しくお豆腐を食べているんじゃないかしら」
「あいつの心配か? ……あいつには天下無敵な奥さん(憂)が傍にいるからな!3人の曽孫達も超優秀(デミゴット=半神)で孝行者らしいし…。
孫と曽孫は立派なんだけどなあ…。その親の子育ては残念ながらだったから…。」
子らは八千代よりも先に旅立った事を遼司は知っている…。
「因果応報」…。例えるなら、その言葉しか浮かばない。哲人は随分、酷い目にあったらしい…。
「へっ。案外、ばあさんの分まで羽を伸ばして、美味いもん食ってるんじゃねえのか」
遼司は強がってみせたが、その指先は無意識に、右腕の通信デバイスを弄っていた。 直接的な通信は不可能だ。だが、この世界(SAGA SAGA)の根幹には、哲人のプログラムが血脈のように流れている。
『報告。……システム・ログの深層に、微弱な「更新パケット」を確認。……メッセージは暗号化されていますが、感情タグは「安寧」と「感謝」に設定されています』
カインが、空気を読んだように告げる。
「更新パケット? ……哲人の野郎、隠しファイルでも送り込んできたか」
遼司が解析画面を開くと、そこには短いテキストデータが、落ち葉のプログラムに紛れ込むように存在していた。
『じいちゃん、ばあちゃん。……庭のコスモスが綺麗に咲いたよ。……僕は、大丈夫だ』
それは、管理者権限を持つ哲人だけに許された、粋な「風の便り」だった。
「……まあ」
八千代がモニターを覗き込み、目元を潤ませた。
「コスモス……。私たちが新婚旅行で見た、あの花ね。……あの子、ちゃんと覚えていてくれたのね」
「……当たり前だ。誰の孫だと思ってる」
遼司は少し照れくさそうに、画面を閉じた。 現実世界で一人、キーボードを叩きながら祖父母を想う孫の姿が目に浮かぶ。 血の繋がりは、たとえ次元が違っても、データのパケットに乗って届くのだ。
「……あなた。今日は、あの子の好きなアップルパイを焼きましょうか」
「ああ。……匂いだけでも、あっちに届くといいんだがな」
キッチンから甘いリンゴの匂いが漂い始める。 それにつられて、掃除をサボっていたケン太と、食いしん坊の星が事務所に飛び込んできた。
「わあ! アップルパイ!? お姉さん、僕も手伝います!」 「私も、味見の担当として全力を尽くします!」
賑やかな事務所。 外では、秋の風がデジタルの枯れ葉を舞い上げている。 その風の一部は、世界の境界線を越えて、遠い現実世界の病室や書斎まで、優しい温もりを運んでいるのかもしれない。
「……さて。秋が終われば、冬が来る」
遼司は、八千代が淹れてくれたコーヒーを一口飲み、満足げに微笑んだ。
「冬が過ぎれば、また春だ。……そうやって、俺たちの物語は積み重なっていく」
一歩一歩。 一日一日。 幸せのスタンプを押し続ける、静かで贅沢な時間。
アトランティアの街角で、一葉の赤い葉が遼司の肩に止まった。 それはまるで、現実世界からの「元気でね」という返信のようだった。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




