白い吐息と、国境の検問所
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
SAGA SAGA、中央駅地下。 かつて激戦が繰り広げられたホームは、瓦礫が撤去され、少し歪ではあるが静寂を取り戻していた。
「……よし。これで光の通り道は確保できたな」
遼司は、改札口の前に設置した「信号増幅器」の調整を終えて息を吐いた。 佐伯が作った即席の装置だが、現実世界からの魂魄データをスムーズに受信するための誘導灯の役割を果たす。
「局長。コーヒー、淹れましたよ」
星が、魔法瓶からカップに注いで渡してくれる。 その手つきは随分と慣れたものになっていた。
「……サンキュ。お、また腕を上げたな」
「ふふっ。八千代殿が帰ってきたら、びっくりさせてやります」
星は得意げに笑うが、その目はゲートの奥――光のトンネルをじっと見つめていた。 あそこから、いつ彼女が帰ってくるのか。 それは誰にも分からない。
「……ケン太は?」
「地上で『歓迎会』の準備です。商店街の人たちにも声をかけて、花道を作るとか」
「あいつらしいな。……派手好きめ」
遼司は苦笑いしながら、コーヒーを啜った。 温かい。 この温もりが、冷たいデータの世界で唯一の救いだ。
『報告。……現実世界(向こう側)との同期率、安定しています。ですが、送信されてくるバイタルデータは、極めて微弱です』
右腕のカインが、静かに告げる。
『蝋燭の火が、燃え尽きる直前のような……静かな揺らぎです』
「……そうか」
遼司は、改札口の向こう側に思いを馳せた。 今頃、哲人は何をしているだろうか。 泣いているか。それとも、笑って手を握っているか。
***
現実世界、病室。 深夜の静寂の中、心電図の電子音だけが規則正しく響いていた。
初喜(八千代)は、眠るように目を閉じている。 その呼吸は浅く、胸の上下もほとんど分からない。
「……初喜祖母ちゃん」
哲人は、ベッドサイドで祖母である初喜の手を握りながら、虚空に話しかけた。
「僕ね、ずっと後悔してたんだ」
哲人の声は、掠れていた。
「30年前。哲信祖父ちゃんが死んだ時、僕は何もできなかった。……ただ泣くことしかできなかった。まだ、若かった…18歳の頃…。欲に眩んだ愚かな伯父にも…何も出来ず、伯父の言いなりにしかならない気弱な実の父にもさえも抗えなかった…。まだ、あの時は力がなかった…。祖母ちゃんとはもっと話したかった。もっと、教えてほしいことがあったのに…」
哲人は、自分の手を見つめた。 あの日、無力だった少年は、今や世界的なシステムエンジニアとなり、そして世界最大のデジタル世界SAGASAGAの開発総責任者となった。
「だから作ったんだ。このSAGA SAGAを。……いつか、科学が魂の世界の存在を究明して、もう一度、哲信祖父ちゃんに会える日が来るんじゃないかって」
それは、世界中の誰にも言えなかった、開発者のエゴ。 未練がましい、子供じみた夢。
だが、その夢が今、祖母の魂を救い、祖父との再会を果たさせた。
「……祖母ちゃんが言ってたよ。哲信祖父ちゃん、『哲坊を待ってる』って…」
哲人は涙を拭い、祖母である初喜の顔を見た。
「悔しいけど、僕の負けだ。……祖母ちゃんは、やっぱり、哲信祖父ちゃんの『八千代』なんだな」
初喜の眉が、微かに動いた気がした。 彼女の魂は今、現世の縁を歩きながら、愛する夫と孫の声を聞いているのだろうか。
「……行ってらっしゃい、祖母ちゃん。……向こうに着いたら、祖父ちゃんに伝えてくれ。『僕も、いつかそっちに行くから、将棋盤を用意して待ってて』って」
哲人は、初喜の額に自分の額を合わせた。
「初喜祖母ちゃん、永い時間、不甲斐ない孫に無償の愛を与えてくれて、本当にありがとうございました。」
それは、哲人は初喜との額を合わせた後、音を立てる事もなく、静かに涙した。それは孫である哲人に沢山の愛情を与えてくれた祖母に対して旅立ちへの祝福だった。
***
SAGA SAGA。 改札口の前で座り込んでいた遼司が、ふと顔を上げた。
「……聞こえた気がしたな」
「え? 何がですか?」 星が怪訝な顔をする。
「いや。……孫からの伝言だ」
遼司は立ち上がり、帽子を被り直した。
「カイン。将棋のルール、データベースにあるか?」
『……あります。将棋、チェス、囲碁。あらゆるボードゲームの定跡を網羅していますが……なぜ今、そんなことを?』
「帰ったら覚えとけ。……いつか、手強い相手が来るかもしれねえからな」
遼司はニヤリと笑った。 その時、改札口の光が、一際強く明滅した。
『警告。……ゲートの向こう側から、高密度の魂魄エネルギーが接近中。……検問所、通過します』
「……来たか」
遼司は霊子銃をホルスターに押し込み、両手を広げた。 武器はいらない。 必要なのは、受け止めるための腕だけだ。
「総員、配置につけ! ……世界で一番大切な『荷物』が届くぞ!」
「はい!」
星が姿勢を正す。 地上のケン太にも、無線が飛ぶ。
アトランティア市の空が、夜明け前の紫色に染まり始めていた。 それは、終わりと始まりが混じり合う、一番美しい刻。
「……さあ、来い。八千代」
遼司の心臓が、早鐘を打つ。 生まれ変わった八千代の「ただいま」を聞くために。 彼は、国境の検問所で、一番の笑顔を作って待ち構えた。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




