時を超えるラブレター、返信は「感謝」
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
現実世界、病室。 窓の外は、美しい茜色から、静かな群青色へと変わりつつあった。
「……それでね、哲信さんったら、とっても恥ずかしそうに『愛してる』って言ったのよ」
酸素マスクの下で、初喜(八千代)が少女のように笑う。 その手は、孫である哲人の手に包まれている。
「まさか。……あの無口で、不器用な寡黙な祖父ちゃんが?」
哲人は、信じられないという顔で、けれど涙を流しながら相槌を打つ。 彼の記憶の中の祖父・哲信は、寡黙で、多くを語らず無口な背中で語るような昔気質の男だった。
「ええ。……向こうの世界では、少しだけ素直になれたみたい」
初喜は、天井を見上げた。 そこには、白い石膏ボードではなく、SAGA SAGAの美しい星空が映っているようだった。
「哲人君。……貴方が作ったあの世界は、本当に素敵だったわ。……花火も、雨も、少し焦げた卵焼きの味も……全部、キラキラしていた」
「……そうか。……僕の夢は、無駄じゃなかったんだな」
哲人は眼鏡を外し、涙を拭った。 彼は、SAGA SAGAを創った際、心のどこかで思っていた。 これは現実逃避ではないか。作り物の箱庭に、何の意味があるのかと。
だが、妻である憂の言葉が、その迷いを晴らしてくれた。 彼の創った世界が、祖父母の魂を癒やし、再び「夫婦」としての時間を与えたのだ。
「……ありがとう。初喜祖母ちゃん、哲信祖父ちゃんに会ってくれて。……僕の代わりに、想いを伝えてくれて」
「ううん。……感謝しなくちゃいけないのは、私たちの方よ」
初喜は、弱々しい力で哲人の手を握り返した。
「貴方がいたから……私たちは、もう一度恋ができたの。……最高の『ラブレター』を、ありがとう」
SAGA SAGAという世界そのものが、孫から祖父母への、時を超えたラブレターだったのだ。
病室の隅で、憂(Yu)が静かにその光景を見守っていた。 彼女の瞳には、全宇宙の歴史を見通す叡智と、一人の家族としての慈愛が宿っていた。
「……お義祖母様。そろそろ、お時間です」
憂が、優しく告げる。 モニターの数値が、ゆっくりと低下を始めていた。 「死」という名の安息が、すぐそこまで来ている。
「……ええ。分かっています」
初喜は頷き、哲人を見た。
「行ってくるわね、哲人くん」
「……ああ。……気をつけて」
哲人は、引き止めなかった。 祖母が向かう先は「無」ではない。 愛する人が待つ、もう一つの「我が家」なのだから。
***
一方、SAGA SAGA。 阿武隈探偵事務所は、かつてない静寂に包まれていた。
「……静かですね」
早乙女星が、誰もいないキッチンの前で呟いた。 いつもなら、この時間は夕食の支度をする音と、八千代の鼻歌が聞こえてくるはずだ。 だが今は、冷蔵庫のモーター音だけが響いている。
「お姉さん……今頃、どうしてるかな」
ケン太が、八千代のデスクに突っ伏している。 彼の手には、八千代が書き残した「引き継ぎノート」が握りしめられていた。
「……泣くな、湿っぽい」
遼司は、窓際でタバコ(電子データ)をふかしていた。 その背中は、いつもより少し小さく見える。
『報告。……兄さんの心拍数、通常時より低下。ストレス値は上昇中。……寂しいのですか?』
右腕のカインが、空気を読まずに聞いてくる。
「……うるせえ。目に煙が入っただけだ」
遼司は強がったが、視線は何度も時計を確認していた。 八千代を見送ってから、まだ数時間しか経っていない。 現実世界との時間感覚のズレはあるかもしれないが、彼にとっては永遠のような長さだった。
「局長。……お腹、空きませんか?」
星が気を利かせて言った。
「私が、何か作りましょうか? 八千代殿のノート通りにやれば、きっと……」
「よせ。台所を爆破する気か」
遼司は苦笑して、吸い殻を消した。
「……今日は、出前でも取るか」
「出前……ですか」
「ああ。八千代が帰ってきたら、また美味いもん作ってもらうさ。……それまでは、手抜きでいい」
遼司は、デスクの上の写真立てを指で撫でた。 写楽に撮ってもらった写真。 その中の八千代は、極彩色の笑顔でこちらを見ている。
(……ゆっくり話せよ、八千代。……俺は、逃げねえから)
遼司は、自分に言い聞かせるように呟いた。 待つことは、辛い。 だが、その辛ささえも、彼女が生きて(死んで)帰ってくるための「切符」だと思えば、耐えられる。
「……よし! ピザ頼むぞ! Lサイズ3枚だ!」
遼司は努めて明るい声を出した。
「えっ! 3枚もですか!?」 「やったー! 僕、コーラ飲み放題にする!」
星とケン太が、パッと笑顔になる。 無理やり作った賑やかさかもしれない。 それでも、沈黙しているよりはマシだ。
事務所に、少しだけ活気が戻る。 その喧騒の中で、遼司は一人、窓の外の夜空を見上げていた。
あちら側(現実)の空は、どんな色をしているのだろうか。 彼女の旅路が、穏やかなものでありますように。
遼司の祈りは、星空を超えて、静かに届こうとしていた。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




