冥府の門と、最後のチェックアウト
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
アトランティア市の上空を、漆黒の太陽が覆い尽くしていた。 それは太陽ではない。 SAGA SAGAのシステムが、バグ(八千代)を強制的に回収・消去するために開いた、巨大な**「冥府の門」**だ。
『警告。対象データの座標を捕捉。……強制回収プロセス、開始』
空から無機質なアナウンスが響き、黒い太陽から無数の「鎖」が降り注ぐ。 鎖は建物や地面をすり抜け、一直線に阿武隈探偵事務所を目指していた。
「……来たか」
遼司は、八千代を抱き上げて立ち上がった。 彼女の身体は、もう殆ど重さを感じない。 透明なガラス細工のように、今にも砕け散りそうだ。
「局長! 鎖が来ます!」 窓際で監視していた星が叫ぶ。
「迎撃だ! 一本たりとも八千代に触れさせるな!」
遼司が叫ぶと同時に、事務所の屋根が吹き飛んだ。 黒い鎖が、蛇のようにうねりながら侵入してくる。
「天秤流・断鎖!」
星が跳躍し、日本刀で鎖を切り払う。 だが、切られた鎖は即座に再生し、さらに数を増して襲いかかる。
「しつこいな……! カイン! 最大出力だ!」
遼司は八千代を片腕で抱えながら、右腕を空に向けた。
『了解。……兄さん、彼女を絶対に離さないでください。衝撃が来ます』
カインの右腕が変形し、複数の砲門が開く。
「消えろぉぉぉッ!」
ドガガガガガガッ!!
光弾の嵐が、降り注ぐ鎖を粉砕する。 黒い破片が雨のように降り注ぐ中、遼司は八千代に囁いた。
「……怖くねえか?」
「……いいえ」
八千代は、遼司の胸に顔を埋めていた。
「貴方の腕の中なら、地獄だって怖くありません」
「……へっ。言ってくれるじゃねえか」
遼司はニカっと笑い、通信機を入れた。
「佐伯! 脱出ルートは!」
『確保しました! 第1層と現実世界を繋ぐ「非常用ログアウトゲート」……場所は、第33区画の「中央駅」地下です!』
「駅か。……旅立ちにはおあつらえ向きだな」
遼司は星に合図を送った。
「行くぞ、星! ケン太! ……八千代を駅まで護衛する!」
「はい!」「分かった!」
遼司たちは、半壊した事務所を飛び出した。 外は地獄絵図だった。 黒い太陽の影響で、街のデータが浸食され、ノイズの嵐が吹き荒れている。
「……ひどい」 八千代が、変わり果てた街を見て悲痛な声を上げる。
「見るな。前だけ見てろ」
遼司はダッジバンに八千代を乗せ、アクセルを踏み込んだ。 車は瓦礫を乗り越え、暴走する。
「追っ手が来ます! 後方、多数!」 荷台に乗ったケン太が叫ぶ。
バックミラーを見ると、黒い鎖が形を変え、無数の「追跡者」となって迫ってきていた。 犬のような、鳥のような、不定形の怪物たち。
「星! ケン太! 頼んだぞ!」
「任せてください! 私の最後のご奉公です!」 星が屋根に上がり、迎撃態勢をとる。
「僕だって! ……師匠の弟子だもん!」 ケン太もパチンコを構え、独自の「閃光弾(データ花火)」を放つ。
激しいチェイスが続く中、八千代が苦しげに胸を押さえた。
「うっ……!」
「八千代!?」
『警告。対象の魂魄データ、急速に劣化中。……現実世界の肉体が、限界を迎えています』
カインの報告に、遼司は血の気が引いた。 時間がない。 現実の八千代(初喜)の心臓が止まれば、SAGA SAGAの八千代も消滅する。 その前に、正規の手順でログアウトさせ、魂を解放しなければならない。
「……死ぬな! まだ死ぬんじゃねえ!」
遼司は叫びながら、ハンドルを切った。 中央駅が見えてくる。 だが、その入口は、既に巨大な「門番」によって塞がれていた。
それは、黒い太陽から降りてきた、漆黒の巨人。 過去に壮絶に戦った神話生物に匹敵する、絶望的な威圧感。
『通行止メ。……回収対象以外ハ、排除スル』
巨人が腕を振り上げる。
「……邪魔だぁぁぁッ!!」
遼司はブレーキを踏まなかった。 逆に、アクセルをベタ踏みする。
「カイン! 全エネルギーをフロントバンパーに集中させろ! ……強行突破だ!」
『……了解。確率0.01%の賭けですが、乗ります』
ダッジバンが光に包まれる。 遼司の情念、星の神気、カインの演算能力、そして八千代の「生きたい」という願い。 全てが一つになった、特攻の輝き。
「どけぇぇぇぇッ!!」
ズドオオオオオオン!!
ダッジバンは、巨人の足元をすり抜け、駅のシャッターをぶち破って地下へと突入した。 火花を散らしながら、車はホームへと滑り込む。
「……着いたぞ」
遼司は、息も絶え絶えに車を降りた。 そこには、静寂に包まれたプラットホームがあった。 電光掲示板には、ただ一行。
『行先:REALITY(現実)』
「……ここが、出口」
八千代は、遼司に支えられながら立った。 彼女の足はもう完全に消えており、浮遊しているような状態だ。
「さあ、行け。……あっちで、哲人たちが待ってる」
遼司は、改札口を指差した。 その先には、眩い光のトンネルが続いている。
「……はい」
八千代は頷き、そして振り返った。 星とケン太が、涙をこらえて見送っている。
「星さん。……甘いものの食べ過ぎには注意してくださいね」 「ケン太君。……立派な探偵に、なってね」
「はい……!」「うん……!」
二人が泣きじゃくる中、八千代は遼司に向き直った。
「……局長。……あなた」
「……なんだよ」
遼司は、八千代の顔を直視できなかった。 見れば、引き止めたくなってしまうから。
「……愛しています。ずっと、これまでも、これからも」
八千代は、遼司に口づけをした。 触れ合った唇の感触は、冷たく、そして儚かった。
「……俺もだ。……バカヤロウ」
遼司は、震える声で答えた。
「行ってきます。……また、すぐに」
八千代は微笑み、光の中へと歩き出した。 その背中が、光に溶けていく。
『ログアウト・プロセス、開始。……魂魄データの転送、正常に進行中』
カインの声が響く中、八千代の姿は完全に光と同化した。 そして。
ピロン。
システム音が鳴り、電光掲示板の文字が変わった。
『CHECK OUT : YACHIYO MINAMIYAMA』
彼女は行った。 現実世界という、死にゆく場所へ。 再び、この世界で巡り合うために。
「……待ってるぞ。……必ずな」
遼司は、誰もいない改札口に向かって呟いた。 その頬を一筋の涙が伝い、床に落ちて弾けた。
だが、感傷に浸る時間はなかった。 背後で、爆音が響く。 追ってきた巨人が、駅の天井を破って侵入してきたのだ。
「……星、ケン太! 涙を拭け!」
遼司は振り返り、霊子銃を構えた。 その目は、猛禽のように鋭く光っていた。
「ここからは『留守番』の時間だ! ……あいつが帰ってくる場所を、死んでも守り抜くぞ!!」
「応ッ!!」
阿武隈探偵事務所の、終わらない戦いが再び幕を開けた。 妻を送り出し、夫は戦場に残る。 再会の約束を胸に。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




