見習いの焦燥と、錆びた時計塔
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
「よし、掃除完了! 次は買い出し行ってきます!」
朝一番の阿武隈探偵事務所。 ケン太が、自分の体ほどもある大きな買い物袋を抱えて飛び出していった。 その背中は、やる気に満ち溢れすぎていて、見ていて危なっかしい。
「……元気だな、あいつ」
遼司はコーヒーを啜りながら苦笑した。 ケン太が「見習い(バイト)」として加わってから数日。事務所は賑やかになったが、同時に少しだけ騒がしくなった。
「ふふっ。張り切っているんですよ。早く局長の役に立ちたくて」
八千代が、ケン太が磨き上げた窓ガラスを満足そうに眺める。 彼女の指先には、今日もサポーターが巻かれている。 元気な少年と、衰弱していく妻。 その対比が、遼司の胸をチクリと刺す。
その時、事務所の電話が鳴った。
「はい、阿武隈探偵事務所です。……ええ。第10区画の『古時計塔』ですか?」
八千代がメモを取る。 依頼内容は、「時計塔の鐘が鳴らなくなった」というもの。 地味な依頼だが、街のシンボルである時計塔の不調は、住人(NPC)たちの不安を煽っているらしい。
「よし。ケン太が戻ったら行くか」
遼司が腰を上げようとすると、八千代が受話器を押さえて言った。
「あ、局長。……ケン太君なら、さっき『ついでに見てきます!』って、無線で連絡がありました」
「……はぁ? 買い出しのついでにか?」
「はい。『僕一人でも解決できるところを見せたい』って」
「馬鹿野郎! 素人が勝手な真似を!」
遼司は帽子を掴んで立ち上がった。 第10区画の時計塔。あそこは古いエリアだ。 最近の「世界の劣化」の影響を受けやすい場所でもある。
「星! 行くぞ! あの馬鹿弟子を連れ戻す!」
「御意! 買い食い(ドーナツ)の途中でしたが、緊急出動ですね!」
***
第10区画、古時計塔。 赤レンガ造りの塔は、蔦に覆われ、不気味な静けさを湛えていた。 文字盤の針は「10時10分」で止まったまま、ピクリとも動かない。
「……ここが、時計塔か」
ケン太は、買い物袋を入り口に隠し、懐中電灯を片手に塔の中へと足を踏み入れた。
(大丈夫。僕だってやれるんだ。……いつまでも子供扱いされたくない!)
彼は焦っていた。 親友のショウがいなくなり、世界が壊れかけていることを、子供ながらに肌で感じていた。 だからこそ、早く強くなりたかった。 遼司や八千代の役に立つ、「守れる男」になりたかった。
「……なんだ、これ」
塔の内部は、巨大な歯車が複雑に噛み合う機械室になっていた。 だが、その歯車には、ベトベトした「灰色のカビ」のようなものが付着し、回転を阻害していた。
『侵入者……。排除……』
カビが盛り上がり、人の形をとる。 それは、システムのエラーデータが集まってできた**「停滞の亡霊」**だった。
「わっ……!?」
ケン太はパチンコを構えたが、手が震えてうまく狙えない。 亡霊が、泥のような腕を伸ばしてくる。
「くそっ! 当たれ!」
バシッ! 石が命中するが、亡霊の身体をすり抜けてしまう。 物理攻撃が効かないタイプだ。
「うわああああ!」
ケン太は後ずさり、錆びた手すりに足を引っ掛けて転倒した。 亡霊が覆いかぶさってくる。 時間が、スローモーションのように感じられた。
(……ごめんなさい、師匠。……お姉さん)
ケン太が目を閉じた、その時。
ドゴォォォォン!!
壁が爆砕され、黒い影が飛び込んできた。
「……ったく。手のかかるガキだぜ!」
「師匠!?」
阿武隈遼司だ。 彼は粉塵の中から現れ、右腕を亡霊に向けた。
「カイン! 『強制再起動』だ!」
『了解。ショックウェーブ、放ちます』
遼司の右腕から、青白い衝撃波が放たれる。 亡霊は悲鳴を上げ、ノイズとなって霧散した。 さらに、歯車にこびりついていたカビも、衝撃波によって剥がれ落ちていく。
ギギギ……ガシャン。
止まっていた歯車が、重々しい音を立てて回り始めた。 時計塔が、息を吹き返す。
「……た、助かった……」
ケン太がへたり込むと、遼司が歩み寄ってきた。 そして、無言で拳骨を落とした。
ゴチン!
「いったぁぁぁ!」
「痛えか? なら生きてる証拠だ」
遼司は、ケン太の胸ぐらを掴んで立たせた。
「いいか、ボウズ。……功を焦るな」
遼司の目は、いつになく真剣だった。
「お前が早く大人になりたいのは分かる。……だがな、時間をショートカットしようとする奴は、ろくな死に方しねえぞ」
それは、かつて「生き急いで」病に倒れた、遼司自身の後悔からの言葉だった。 そして、「永遠」を売る刻屋や、世界を「早送り」で終わらせようとする予言者への怒りでもあった。
「一歩ずつだ。……泥臭くても、遠回りでもいい。今日できることを、確実にやれ」
遼司は、ケン太の背中についた埃を払った。
「お前には、まだたっぷりと時間があるんだ。……俺たちとは違ってな」
その言葉の裏にある意味を、ケン太はまだ理解できなかったかもしれない。 だが、師匠の「重み」だけは、痛いほど伝わってきた。
「……はい。ごめんなさい」
ケン太が頭を下げると、星が窓から飛び込んできた。
「局長! 周辺の敵性反応、クリアです! ……おや、説教は終わりましたか?」
「ああ。帰るぞ」
遼司は、動き出した歯車を見上げた。 カチリ、カチリと、時を刻む音が響く。 それは、世界の寿命を削る音かもしれない。 だが同時に、今この瞬間を生きている証でもある。
「……ケン太。荷物持て」
「え?」
「買い出しの荷物だよ。……今日の晩飯は、お前が皮剥き担当だ」
「……うん! 任せて!」
ケン太は涙を拭い、隠しておいた買い物袋を抱えた。 その足取りは、来る時よりも少しだけ重く、けれどもしっかりと地面を踏みしめていた。
夕暮れの街に、時計塔の鐘が鳴り響く。 ゴーン、ゴーン。 その音は、探偵事務所で待つ八千代にも届いただろうか。
遼司は、空を見上げて小さく息を吐いた。 まだ、時間は残されている。 この弟子を一人前にするくらいの間は、世界を持たせてみせる。
(……頼むぜ、神様。もう少しだけ、猶予をくれよ)
三人の影が、長く伸びて重なった。 それは、不格好だが温かい、新しい「家族」の形だった。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




