書き足された余白と、小さな見習い探偵
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
「……局長。そんなにジロジロ見ないでください。穴が空きます」
阿武隈探偵事務所の朝食時。 八千代が、トーストを齧りながら苦笑した。 遼司は、新聞を読むふりをしながら、チラチラと八千代の顔色を伺っていたのだ。
「……減るもんじゃねえだろ。健康チェックだ」
「カインさんのスキャンならともかく、局長の目視ではただの熱視線ですよ」
八千代は呆れたように、けれど嬉しそうにコーヒーを注いだ。 禁書庫での決戦から数日。彼女の体調は安定している。 だが、それは「終わりの先送り」に過ぎないことを、二人は痛いほど理解していた。
カランコロン。
その時、ドアベルが勢いよく鳴り響いた。
「おじさん! ……あ、いや、探偵さん!」
入ってきたのは、野球帽を被った少年――以前「タイムカプセル」を探してと依頼をくれた少年、ケン太だった。 彼はランドセルを背負ったまま、息を切らして立っている。
「どうした、ボウズ。また何か失くしたか?」
遼司が尋ねると、ケン太は真っ直ぐな目で遼司を見つめ、大声で言った。
「ううん! ……僕を、弟子にしてください!」
「……はぁ?」
遼司は飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。
「弟子だぁ? 探偵ごっこなら他所でやりな。ここは遊び場じゃねえぞ」
「遊びじゃないよ! 僕、見たんだ! ……あの黒い雨の日、おじさんたちが空に向かって飛んでいくのを!」
ケン太は興奮気味に身を乗り出した。
「僕も、誰かを守れるようになりたいんだ! ショウ君がいなくなった時みたいに、ただ泣いてるだけじゃ嫌なんだ!」
その言葉に、遼司は口をつぐんだ。 少年の瞳に宿る光は、かつての哲人や、あるいは自分自身が持っていた「憧れ」に似ていたからだ。
「……ダメだ。探偵なんてのはな、泥水をすするような因果な商売だ。ガキに務まるもんじゃねえ」
遼司が背を向けると、ケン太はシュンと項垂れた。 だが、そこで助け舟を出したのは八千代だった。
「いいじゃないですか、局長。……見習いさんなら、猫の手より役に立ちますよ?」
「八千代……」
「それに……」八千代は少しだけ声を潜めた。「未来ある若者に、何かを『残す』のも、大人の大切な仕事だと思います」
その言葉には、彼女自身の「残り時間」を意識した響きが含まれていた。 自分が消えた後、この事務所に新しい風を残したい。そんな想いが。
「……チッ。勝手にしろ」
遼司が頭を掻くと、ケン太の顔がパッと輝いた。
「やった! ありがとう、お姉さん!」
「ふふっ。お姉さんだなんて。……掃除と洗濯から覚えてもらいますからね?」
***
その日の午後。 佐伯から奇妙な報告が入った。
『局長、第6区画で「メルヘンなバイオハザード」が発生しています』
「……なんだそりゃ」
『百聞は一見にしかず、です。直ちに向かってください』
遼司たちが第6区画の公園に到着すると、そこは異様な光景になっていた。 地面から巨大なキャンディが生え、空からはクッキーやマシュマロが雪のように降り注いでいる。 さらに、公園の遊具がひとりでに動き出し、楽しげな音楽を奏でていた。
「わあ……! 夢の国みたい!」 星が目を輝かせて、落ちてきたクッキーを空中でキャッチして食べる。 「んんっ! 美味です!」
「……おいおい。平和ボケもここまで来ると重症だな」
遼司が呆れていると、右腕のカインが分析結果を告げた。
『解析。……原因は、兄さん。貴方です』
「俺?」
『はい。先日、貴方が世界の設計図に「つづく」と書き殴ったせいで、システムが「楽しい続き」を模索して、過剰な演出機能を暴走させています。……いわば、世界からの「過剰サービス」です』
「……マジかよ。余計な気を利かせやがって」
その時。 「うわあぁぁぁん! 離してぇ!」
子供の泣き声が聞こえた。 見ると、巨大化したジンジャーブレッドマン(クッキーの人形)が、遊び相手を求めて子供を捕まえ、無理やりシーソーに乗せようとしている。 悪気はないのだろうが、質量差がありすぎて危険だ。
「いけねえ! ……行くぞ、星! ケン太、お前はここで待ってろ!」
遼司が飛び出そうとすると、ケン太もパチンコ(スリングショット)を構えて走り出した。
「僕もやる! 子供を助けるんだ!」
「おい、待て!」
ケン太はジンジャーブレッドマンの足元に回り込み、パチンコを発射した。 バシッ! 石が巨人の膝裏に命中する。
「グルッ?」 巨人がバランスを崩し、掴んでいた子供の手を離した。
「今だ! 逃げて!」 ケン太が子供を誘導する。
「……へっ。中々いい度胸だ」
遼司はニヤリと笑い、右腕を展開した。
「カイン! おやつの時間だ! ……粉々に砕いて、子供たちに配るぞ!」
『了解。破砕モード(クラッシュ・タイプ)起動』
遼司が跳躍し、巨人の胸元に拳を叩き込む。 ドゴォォォン!! ジンジャーブレッドマンは粉砕され、一口サイズの美味しいクッキーとなって降り注いだ。
「わーい! お菓子だー!」 子供たちが歓声を上げて集まってくる。
「……ふぅ。世話の焼ける世界だぜ」
遼司が着地すると、ケン太が目を輝かせて駆け寄ってきた。
「すげえ! さすが師匠!」
「師匠じゃねえ。……だがまあ、ナイスアシストだったぞ」
遼司がポンと頭を撫でると、ケン太は照れくさそうに鼻をこすった。
***
事務所への帰り道。 夕焼けの中、ケン太は「明日も来ます!」と言って元気に帰っていった。
「……ふん。調子のいいガキだ」
遼司は憎まれ口を叩きながらも、その表情は柔らかかった。
「良かったですね、局長。可愛いお弟子さんができて」 八千代が微笑む。
「弟子じゃねえよ。……『バイト』だ」
「はいはい。……でも、あの子がいれば、この事務所ももっと賑やかになりますね」
八千代は、遠ざかるケン太の背中を見つめ、静かに呟いた。
「……私がいなくなっても、大丈夫なように」
その言葉に、遼司は立ち止まった。
「八千代」
遼司は、八千代の手を強く握った。
「……誰も、お前の代わりにはなれねえよ」
遼司は真剣な眼差しで言った。
「ケン太はケン太だ。……お前の席は、ずっとここにある。誰にも譲らねえ」
「……局長」
八千代の瞳が潤む。 彼女は、握られた手を、もう片方の手で包み込んだ。
「……はい。しがみついてでも、座り続けます」
二人は微笑み合い、歩き出した。 書き足された世界の「余白」には、まだ何が描かれるか分からない。 だが、そこには確かに、新しい「希望」の芽が吹き始めていた。
「……さて。帰ってクッキーでも食うか」 「星さんが全部拾ってきちゃいましたからね」
平和な夕暮れ。 砂時計の残量は減っていくけれど、その一粒一粒は、宝石のように輝いていた。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




