活字の迷宮と、愛の栞(しおり)
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
SAGA中央図書館、地下「禁書庫」。 重厚な扉の向こうに広がっていたのは、上下左右の感覚が消失した、無限の書架だった。
空中に無数の本が浮遊し、螺旋を描いてどこまでも続いている。 床も天井もなく、ただ「情報」だけが渦巻く空間。
「……気持ち悪い場所ですね」
早乙女星が、浮遊する足場(分厚い百科事典)に着地しながら呻いた。 ここでは、物理法則よりも「意味」が優先される。 重力という概念が薄いため、身体がふわふわと浮き上がるのだ。
『警告。空間座標、特定不能。……このエリアは、常に記述が書き換えられています。地図は役に立ちません』
右腕のカインが、混乱したようにノイズを走らせる。 論理的な思考を持つ彼にとって、この「定義が定まらない世界」は天敵だ。
「地図がいらねえなら、真っ直ぐ行くだけだ」
遼司は、八千代の手を引いて前進した。 その手は、しっかりと握られている。 迷わないように。離れないように。
「ようこそ。……お待ちしていましたよ」
本棚の影から、無機質な声が響いた。 予言者ではない。 現れたのは、全身が「文字」で構成された、人型の怪物たちだった。
『絶望』『虚無』『終焉』『諦念』。 その身体には、ネガティブな単語がびっしりと刻まれている。 禁書庫の防衛システム――「概念の番人」。
「排除。……貴方達ハ、コノ世界ニ『不要』デス」
番人が腕を振るうと、空間に【削除】という文字が浮かび上がり、物理的な刃となって飛んできた。
「させません! 天秤流・断!」
星が斬り払うが、手応えがない。 刃は霧のようにすり抜け、またすぐに再生する。
「局長! 物理攻撃が効きません! こいつらは『意味』そのものです!」
「チッ、面倒な!」
遼司が霊子銃を撃つが、弾丸は【無効】という文字の壁に阻まれる。 番人たちが、不気味な声で合唱を始めた。
『阿武隈遼司ハ、無力デアル』 『南山八千代ハ、死ヌ運命デアル』 『SAGA SAGAハ、滅ビノ時ヲ迎エル』
彼らが言葉を紡ぐたび、遼司たちの身体が鉛のように重くなる。 世界の設計図に近いこの場所では、彼らの「定義」が現実を書き換えてしまうのだ。
「ぐぅ……! 身体が……動かねえ……!」
遼司が膝をつく。 星も、刀を支えにして必死に耐えている。 「定義」による強制的な弱体化。 これに抗う術はないのか。
「……いいえ。違います」
その時。 遼司の隣で、八千代が凛とした声を上げた。
「八千代……?」
「その言葉は、間違っています」
八千代は、重圧を跳ねのけるように一歩前へ出た。 彼女の胸元――魂の欠片が宿る場所――から、淡い光が溢れ出す。
「夫は、無力ではありません。……彼は、いつだって私を守ってくれる、世界一の英雄です!」
八千代が叫ぶと、光が強まり、遼司にまとわりついていた【無力】の文字を焼き尽くした。
「それに、私は死にません! ……まだ、夫と約束した『明日』があるからです!」
光はさらに広がり、番人たちを飲み込む。 八千代が放つのは、「事実」ではない。 理屈を超えた、強烈な**「願望」**の光だ。
システムが「終わる」と定義しても、人の心が「続く」と信じれば、その想いが新たな真実になる。 それが、魂の欠片を持つ彼女だけの権能。
『……エラー。定義ト矛盾スル事象ヲ検知。……修正不能……』
番人たちの身体を構成する文字が、バラバラに崩れ落ちていく。 【絶望】が【希望】に、【終焉】が【未来】に書き換わっていく。
「すげえ……。これが、八千代の力か」
遼司は、軽くなった身体を起こした。 目の前で輝く妻の姿は、神々しく、そしてどこか儚い。 命を燃やして、道を照らしている。
「……行きますよ、局長。道は私が作ります」
八千代が振り返り、手を差し伸べた。 その笑顔は、かつて教壇に立っていた頃のように頼もしかった。
「……ああ。頼りにしてるぜ、先生」
遼司はその手を取り、立ち上がった。 カインが、感心したように呟く。
『……学習しました。「愛」とは、論理を凌駕する最強のバグである、と』
八千代の光を「栞」にして、三人は迷宮の奥へと進む。 文字の怪物はもう現れない。 光が届く場所には、嘘偽りのない「真実」だけが道となって続いていた。
やがて。 無限に続くと思われた書架が途切れ、開けた空間に出た。
そこには、一冊の巨大な本が鎮座していた。 表紙には何も書かれていない、真っ黒な本。 そして、その傍らに、ボロボロのコートの男――予言者が立っていた。
「……来ましたか。愛のバグを抱えた、哀れな子羊たちよ」
予言者は、巨大な本に手を置いた。
「ここが終着点です。……さあ、見せてあげましょう。この世界の『結末』を」
男が本を開くと、そこから溢れ出したのは、文字ではなく「映像」だった。 アトランティア市が崩壊し、人々が消え、全てが静寂な「無」へと帰る映像。 それが、この世界に定められた運命だと言うのか。
「……嫌な映画だな。結末を変えに来たぜ、監督さんよ」
遼司は霊子銃を構え、予言者を睨みつけた。 ここからが、本当の正念場。 運命を記した本と、未来を信じる意志。 どちらが勝つか、最後の問答が始まる。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




