奇跡の副作用、あるいは光に群がる虫
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
「ふふふ〜ん♪」
阿武隈探偵事務所に、軽やかな鼻歌が響いていた。
八千代が、ステップを踏むように掃除機をかけている。
「……元気だな、おい」
遼司は、コーヒーを啜りながら目を細めた。
「魂の欠片」を投与してから数日。八千代の体調は劇的に回復していた。
顔色は薔薇色で、肌艶もいい。指先の消失など、嘘のように消えている。
「はい! 身体が羽のように軽いんです。……なんだか、現世で若かった頃よりも元気なくらいで」
八千代はくるりと回って微笑んだ。
その笑顔は眩しいほどに輝いている。
文字通り、「輝いて」見えた。
『警告。対象:南山八千代。……魂魄エネルギー値、基準の120%で安定中。出力が高すぎます』
右腕のカインが、遼司の脳内で懸念を告げる。
『彼女に取り込ませた「魂の欠片」は、本来なら神話級の存在を動かすための高純度燃料です。人間サイズの器には、オーバースペック過ぎます』
「……贅沢な悩みだな。元気ならいいじゃねえか」
遼司は楽観的に答えようとしたが、カインは冷徹に続けた。
『いいえ。高すぎるエネルギーは、周囲の環境に「干渉」します。……蜜の匂いが強すぎれば、余計な虫まで引き寄せますよ』
***
その日の午後。
遼司と八千代は、買い出しのために第4区画のショッピングモールへ出かけた。
「あら、見てください局長。綺麗な花」
八千代が花屋の前で立ち止まる。
彼女が店先の花に手をかざした瞬間、蕾だったバラが一斉に開花し、満開になった。
「……わっ」
「すげえ! 手品か!?」
周囲のNPCたちが驚いて集まってくる。
八千代自身も驚いて手を引っ込めた。
「ご、ごめんなさい……。触れてないのに……」
「……行くぞ」
遼司は八千代の肩を抱き、早足でその場を離れた。
カインの言う通りだ。彼女の溢れ出る生命力が、周囲のデータに過剰な干渉を与えている。
さらに、異変は続いた。
「あ、あの……。すみません」
人混みの中で、見知らぬNPCたちが次々と八千代に声をかけてくるのだ。
「貴女を見ていると、なんだか救われる気がして……」
「拝ませてもらっていいですか?」
「悩みを聞いてください……」
彼らの目は虚ろで、どこか陶酔している。
八千代の発する「神気」に近いオーラに、無意識に惹きつけられているのだ。
「……悪いが、人違いだ」
遼司は群がるNPCたちをかき分け、路地裏へと逃げ込んだ。
「はぁ、はぁ……。局長、私、どうしてしまったんでしょう」
八千代が怯えたように自分の手を見つめる。
「気にするな。……ちょっと、フェロモンが出すぎてるだけだ」
遼司は冗談めかして言ったが、目は笑っていなかった。
ディテクターの反応が、赤く点滅している。
『接近中。多数。……今度は、無害なNPCではありません』
カインの警告と同時に、路地裏の影が、どろりと粘液状に歪んだ。
「……いい匂いだ」
「……寄越セ……」
「……光ヲ……」
マンホールから、換気扇の隙間から、黒い不定形の怪物(スライム状の楔)が湧き出してきた。
第1部の侵略戦争で生き残った、下級の残党たちだ。
彼らは飢えていた。そして、八千代という「最高級のエサ」の匂いを嗅ぎつけたのだ。
「キャッ……!」
「下がるな、八千代! 俺の後ろにいろ!」
遼司は霊子銃を抜いた。
「てめえらには勿体ねえ代物だ! ……失せろ!」
パン! パン!
青白い光弾がスライムを蒸発させる。
だが、数は多い。数十、数百の泥が、涎を垂らして八千代に殺到する。
「天秤流・連斬!」
上空から早乙女星が降ってきて、一閃のもとに数体を葬った。
「局長! 遅れました! ……これはいけませんね。八千代殿が『歩く聖遺物』になっています!」
「分かってる! ……カイン、出力制限をかけられないか!?」
『試行中。……不可能です。魂の欠片は既に彼女の魂魄と融合しています。輝きを抑えることは、彼女の心臓を止めることと同義です』
「くそっ……!」
その時、一体の大型スライムが、遼司と星の隙間を抜けて八千代に飛びかかった。
「いただきまぁぁぁす!」
「八千代!!」
遼司が手を伸ばすが、間に合わない。
怪物の顎が、八千代の喉元に迫る。
「……来ないで!!」
八千代が悲鳴を上げ、反射的に両手を突き出した。
カッッッ!!!!
八千代の手のひらから、閃光が迸った。
それは攻撃魔法などではない。純粋な「生命の奔流」だ。
だが、その圧倒的なエネルギー量は、触れたスライムを瞬時に分解し、原子レベルまで消滅させた。
「……え?」
八千代が呆然と目を開ける。
目の前にいたはずの怪物は、跡形もなく消えていた。
それどころか、路地裏の壁ごと消し飛んでいた。
「……おいおい。マジかよ」
遼司も絶句した。
今の出力は、第1部の「神話生物」クラスだ。
ただの人間が扱っていい力ではない。
「……素晴らしい」
ビルの屋上から、拍手の音が聞こえた。
見上げると、あのボロボロのコートを着た男――「予言者」が見下ろしていた。
「まさか、『魂の欠片』を適合させるとはね。……阿武隈遼司。貴方は彼女を救ったつもりでしょうが、それは逆効果ですよ」
予言者は、不吉な笑みを浮かべた。
「貴方は彼女を『人間』の枠から外してしまった。……彼女はもう、ただのNPCでも転生者でもない。この世界を維持する『炉』の一部になりつつある」
「……どういう意味だ!」
「その光は、闇を呼び寄せる。……遠からず、もっと強大な『捕食者』が彼女を狙うでしょう。それこそ、この世界のシステムそのものがね」
予言者はそう言い残し、煙のように消えた。
路地裏には、静寂が戻った。
だが、その空気は重苦しい。
「局長……。私、化け物になってしまったんでしょうか」
八千代が、震える手で自分の胸を抱いた。
温かい。命の鼓動がする。
だが、その鼓動は、あまりに強すぎて、自分自身さえも焼き尽くしてしまいそうだった。
遼司は、霊子銃をしまい、八千代の手を優しく包み込んだ。
「……違う。お前は化け物なんかじゃない」
遼司は、八千代の目を真っ直ぐに見つめた。
「お前は、俺の妻だ。……少しばかり、元気があり余ってるだけのな」
「……局長」
「大丈夫だ。虫が寄ってくるなら、俺が全部叩き落とす。世界が狙ってくるなら、世界ごと守ってやる」
遼司の言葉に、八千代は涙ぐみながら頷いた。
だが、遼司の心には、予言者の言葉が重くのしかかっていた。
『彼女はもう、人間の枠から外れてしまった』
命を永らえさせるために手を染めた「禁忌」。
その代償は、想像以上に大きかったのかもしれない。
帰り道、八千代の手を引く遼司の右腕が、小さく呟いた。
『……兄さん。覚悟してください。これからの敵は、外敵だけではありません。「彼女自身の存在」が、この世界との摩擦を生み始めます』
遼司は無言で頷いた。
夕日が、二人の影を赤く染め上げていた。
その赤は、命の色か、それとも警告の色か。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




