砂時計の砂と、真夜中の作戦会議
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
八千代が倒れたあの日から、一週間が経った。
「……おはようございます、局長」
阿武隈探偵事務所のキッチンに、エプロン姿の八千代が立っていた。
彼女は、以前と変わらぬ笑顔で、朝食の味噌汁を作っている。
「……無理をするなと言っただろう」
遼司は、新聞から顔を上げずに言った。
声が少し震えているのを悟られないように。
「じっとしている方が、身体に毒です。……それに、まだ『期限』までは時間がありますから」
八千代はお椀をテーブルに置いた。
その手には、震え止めのためか、サポーターが巻かれている。
カインの予測では、八千代の活動限界まで残り300日を切っている。
先日の昏倒は、現実世界の肉体(本体)が一時的な心停止を起こした影響だったらしい。
奇跡的に持ち直したが、次はどうなるか分からない。
「……美味いな」
遼司は味噌汁を一口飲んで言った。
いつもの味だ。
70年前から、変わらない味。
「ありがとうございます」
八千代は嬉しそうに微笑んだが、その笑顔の端に、隠しきれない疲労の色が見える。
彼女は、自分の命を削って、この「日常」を維持しているのだ。
(……このままじゃ、ダメだ)
遼司は拳を握りしめた。
ただ待っているだけでは、砂時計の砂は落ち続けるだけだ。
何か、手を打たなければならない。
その日の深夜。
八千代が眠りについた後、遼司は地下のSGMA中枢へと降りた。
「佐伯。……頼んでいた解析はどうだ?」
モニターの前に座る佐伯智春が、無言でデータを表示した。
それは、SAGA SAGAの全領域マップと、複雑なエネルギーラインの図面だった。
「結論から言いますと、局長の仮説は正しい可能性があります」
佐伯は、マップの中心にある「第3層(世界樹)」を指差した。
「この世界には、創造主である緒妻哲人氏が組み込んだ『隠しパラメータ』が存在します。それは、通常のゲームシステムでは使われない、極めて高密度のエネルギーリソース……」
「……『魂の器』か」
「はい。本来は、プレイヤーの魂を安全にログアウトさせるためのバックアップシステムですが、これを応用すれば、不安定になった魂魄データを『補強』できるかもしれません」
佐伯の眼鏡が、モニターの光を反射して光る。
「ただし、そのエネルギー源は、第2層のさらに奥深く……『旧支配者の残滓』が封印されている危険地帯にあります。そこへアクセスするには、システム管理者級の権限が必要です」
「……管理者なら、いるじゃねえか」
遼司はニヤリと笑った。
その時、暗闇からもう一人の協力者が現れた。
「お呼びですか、局長」
早乙女星だ。
彼女は、いつものレザースーツではなく、動きやすそうな迷彩服を着ている。
「星。……悪いな、こんな時間に」
「いえ。八千代殿のためなら、地獄の底へもお供します」
星は真剣な眼差しで頷いた。
彼女もまた、八千代を救いたいと願う「家族」の一人だ。
「よし。……今回の作戦は、極秘だ。八千代には絶対に悟られるな」
遼司は、二人に作戦計画書(という名のメモ書き)を見せた。
作戦名:『命の洗濯』
ターゲット:第2層深部「封印の谷」。
目的:高純度エネルギー結晶「魂の欠片」の回収。
期限:八千代の次の発作が起きるまで。
「カイン。……勝算は?」
遼司が右腕に問いかけると、少し間をおいて答えが返ってきた。
『……成功確率、12.5%。リスク係数、計測不能。……推奨はしませんが、貴方が止まるとも思えません』
「分かってるなら、最善のルートを弾き出せ」
『了解。……ナビゲートを開始します。兄さん、無茶だけはしないでください』
遼司は満足げに頷き、佐伯と星を見た。
「行くぞ。……これは、俺たちだけの『秘密のバイト』だ」
「了解しました。……報酬は、八千代さんの笑顔で十分ですね」
佐伯が珍しく冗談めかして言う。
「御意! 悪しき封印を解き放ち、希望を掴み取りましょう!」
星が気合を入れる。
三人は、誰にも知られぬよう、静かにゲートを開いた。
八千代が眠る間に、彼女の命を繋ぐための、危険な旅が始まる。
翌朝。
八千代が目を覚ますと、テーブルの上に置手紙があった。
『ちょっと遠くの現場まで、出張に行ってくる。晩飯までには戻る。 遼司』
「……もう。また嘘をついて」
八千代は手紙を胸に抱きしめた。
彼女には分かっていた。
夫が、自分のために何か無茶をしようとしていることを。
「……待っていますよ。あなた」
八千代は窓の外を見上げた。
今日も、アトランティアの空は青い。
その青さが続く限り、彼女は信じて待ち続ける。
愛する夫と、頼もしい仲間たちの帰還を。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




