夜空を焦がす、一瞬の願い
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
「……似合いますか? あなた」
阿武隈探偵事務所の更衣室から、八千代が照れくさそうに出てきた。
彼女が身に纏っているのは、涼しげな藍色の浴衣。帯には、可愛らしい朝顔の柄があしらわれている。
遼司は、新聞を持つ手を止めて、しばらく言葉を失った。
約70年前、地元の夏祭りで見た彼女の姿と、何一つ変わっていない。
いや、今の彼女の方が、儚げな美しさを増しているように見えた。
「……ああ。見惚れちまったよ」
遼司が素直に認めると、八千代は頬を染めて微笑んだ。
「もう。……でも、嬉しいです」
今日は、アトランティア市恒例の「星祭り」。
第1層の住人たちが、夜空に花火を打ち上げ、それぞれの願いを掛ける日だ。
「局長! 私も着替えました! どうですか!」
勢いよく飛び出してきたのは、真っ赤な浴衣を着た早乙女星だ。
帯には、ちゃっかりと刀(天秤の日本刀)を差している。
「……お前、それは『斬り込み』に行く格好だろ」
「違います! お祭りの屋台を制圧するための戦闘服です! 今夜の目標は、たこ焼き、焼きそば、りんご飴の完全制覇!」
星が鼻息荒く宣言する。
平和な日常は、女神の胃袋をも侵食しているらしい。
「はいはい。……じゃあ、行くか」
遼司もまた、甚平を羽織って立ち上がった。
右腕だけは無機質な黒い義手のままだが、それも甚平の袖で隠せば目立たない。
『……理解不能です』
脳内で、カインが呟く。
『花火とは、金属化合物を燃焼・爆発させ、視覚的な閃光を楽しむだけの現象です。エネルギー効率は最悪。持続時間は数秒。……なぜ人間は、そんな「消えてなくなるもの」に熱狂するのですか?』
「……野暮なこと聞くなよ」
遼司は、八千代の手を引いて歩き出した。
「消えちまうから、いいんだよ。……ずっと残るデータより、一瞬しか見れない光の方が、瞼の裏に焼き付くだろ?」
『……記録媒体への保存ではなく、主観的な記憶への刻印を優先する。……非論理的ですが、人間の行動原理としては整合性が取れます』
カインは、少しずつ学習している。
人間の「無駄」の美学を。
***
祭りの会場は、第3区画の川沿い。
提灯の明かりが川面に映り、多くのNPCや転生者たちで賑わっている。
「わあ……。綺麗ですね」
八千代が、子供のように目を輝かせる。
屋台から漂うソースの匂い。遠くで響くお囃子の音。
作り物の世界(VR)だとしても、この熱気は本物だ。
「おい、あんたたち! 探偵さんじゃねえか!」
声をかけてきたのは、法被を着た大柄な男。
この祭りの花火を取り仕切る、花火師の「鍵屋」だ。
「よう、鍵屋。今夜は一番の稼ぎ時だな」
「それがよぉ……。ちっとばかし、厄介なことになっててな」
鍵屋は困り顔で頭を掻いた。
「メインの『大玉』が、打ち上がらねえんだよ。点火プログラムは正常なんだが、どうにも湿気っちまったみたいで……」
「デジタルデータが湿気るわけねえだろ」
「だよなぁ。でも、うんともすんとも言わねえんだ。……あの大玉には、街のみんなの『願い事』が詰まってるってのに」
『解析。対象:尺玉「希望」。……内部データに、過剰な容量オーバーを確認。住民たちの願い事が詰め込まれすぎて、打ち上げ高度までの推力が不足しています』
カインがあっさりと原因を特定する。
「……欲張りすぎたってことか」
遼司は苦笑いした。
平和になった反動か、みんなの願いが重くなりすぎたらしい。
「探偵さん、何とかしてくれねえか? あんたなら、物理法則をねじ曲げるのもお手の物だろ?」
「無茶言うな。……だが、せっかくの祭りだ。湿っぽいのはナシだな」
遼司は、川の中州に設置された発射台へと向かった。
そこには、見上げるような巨大な花火玉が鎮座している。
「星。……力を貸せ」
「御意! 物理的な推力が足りないなら、神気で押し上げればいいのですね!」
「ああ。……八千代、お前は合図を頼む」
「はい。……タイミングは任せてください」
三人は配置についた。
鍵屋がアナウンスを入れる。
『えー、皆様! お待たせいたしました! 本日のメインイベント、特大スターマイン「希望」の打ち上げです!』
観客の歓声が上がる。
八千代が、扇子を高く掲げた。
「……今です!」
「うおおおおッ!」
「はああああッ!」
遼司が右腕のスラスターを全開にし、星が神気を爆発させる。
二人の力が、巨大な花火玉を底から押し上げた。
『推力補正、120%! ……発射!』
ドォォォォォン!!
花火玉は、重たい願いを抱えながらも、夜空高くへと舞い上がった。
そして、アトランティア市の頂点で、弾けた。
パァァァァァァァン……!
夜空いっぱいに広がったのは、ただの火花ではなかった。
金、銀、赤、青。
それぞれの光が、文字や絵の形をとって降り注ぐ。
『家族円満』『商売繁盛』『猫が見つかりますように』『あの子に会いたい』――。
無数の願いが、光となって街を包み込む。
「うわぁ……!」
「すげえ! 俺の願いだ!」
歓声がどよめきに変わる。
それは、今まで見たどの花火よりも、美しく、温かい光景だった。
「……綺麗」
八千代が、夜空を見上げて呟いた。
その瞳に、色とりどりの光が反射している。
遼司は、そっと八千代の肩を抱いた。
「ああ。……最高の眺めだ」
花火は、数秒輝いては消えていく。
その儚さが、八千代の命と重なって見えた。
『……美しい、と定義します』
カインの声が、静かに響いた。
『消えるからこそ、データではなく「体験」として残る。……なるほど。これが「花火」ですか』
「分かったかよ、石頭」
遼司は右腕をさすった。
花火が終わると、祭りの喧騒も少しずつ落ち着き始めた。
帰り道、八千代が少し疲れたように、遼司に寄りかかってきた。
「……あなた。疲れちゃいました?」
「いや。……ただ、この時間が終わるのが、少し惜しくて」
八千代の手が、遼司の甚平の袖を掴む。
その指先が、一瞬だけ――ノイズのように点滅した。
「……ッ」
遼司は気づかないふりをして、彼女の手を強く握り直した。
「また来ような。来年も、再来年も」
それは、叶うか分からない約束。
でも、口にせずにはいられなかった。
「……はい。約束ですよ」
八千代は、儚げに、けれど幸せそうに微笑んだ。
二人の影が、月明かりに照らされて長く伸びる。
祭りの後の静寂は、優しく、そして残酷なほどに静かだった。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




