モノクロのレンズと、極彩色の「今」
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
「……局長。私、少し老けましたか?」
阿武隈探偵事務所のデスクで、八千代が手鏡を見ながら呟いた。
その問いかけに、遼司は書類から顔を上げずに即答した。
「いいや。昨日より美人だ」
「もう。……真面目に答えてください」
八千代は苦笑いしながら、頬に手を当てた。
SAGA SAGAのアバターは歳を取らないはずだ。だが、彼女の魂魄データの劣化は、本人にしか分からない微細な「陰り」として現れているのかもしれない。
「私は真面目だ。……それに、シワの一本や二本あった方が、人間味があっていい」
遼司がぶっきらぼうに答えると、ソファでパフェを食べていた星が口を挟んだ。
「局長、それは女性への褒め言葉として微妙なラインです。……ですが、八千代殿の美しさが『魂の輝き』であることは、神である私が保証します」
「あら、星さんったら。……ふふっ、ありがとうございます」
穏やかな空気が流れる中、ドアがノックされた。
「た、探偵さん……。助けてくれ……」
入ってきたのは、首から無骨な一眼レフカメラを下げた、初老の男だった。
彼は青ざめた顔で、一枚の写真をデスクに置いた。
「これを見てくれ。……俺のカメラが、呪われちまったんだ」
***
依頼人の名前は「写楽」。
第3区画の観光エリアで、記念写真を撮って生計を立てているNPCの写真家だ。
彼が持ち込んだ写真は、アトランティア市の中央広場を撮ったものだった。
だが、そこには奇妙な現象が起きていた。
「……色が、ねえな」
遼司が写真を手に取る。
背景の噴水や建物は、鮮やかなカラーで写っている。
だが、被写体である「人々(NPC)」だけが、なぜか**「モノクロ」**で写り込んでいたのだ。
まるで、遺影のように。
「昨日からだ。シャッターを切ると、生きている人間だけが灰色に写る。……それだけじゃねえ。ファインダー越しに覗くと、みんなが『消えて』見えるんだよ!」
写楽はガタガタと震えている。
『解析。写真データの色彩情報(RGB値)が、被写体部分のみ欠落しています。……カメラの故障ではありません。撮影者の「視覚情報処理」に、何らかのフィルターがかかっています』
右腕のカインが分析結果を告げる。
「つまり、あんたの目がおかしくなってるってことか?」
「俺の目? 馬鹿な! 俺はこの道50年だぞ! 被写体の輝きを切り取ることにかけては……」
写楽が叫んだ瞬間、彼の身体から黒いノイズが走った。
「……!」
遼司はディテクターを起動した。
写楽の情動データ。そこには、深い「諦念」と「虚無感」が渦巻いていた。
「あんた……。最近、何かあったな?」
遼司の問いに、写楽は力なく俯いた。
「……ああ。先週、馴染みの客だったプレイヤーたちが、引退パーティーをやったんだ。『もうこの世界には来ない』って、笑いながら去っていったよ」
写楽は、カメラを愛おしそうに撫でた。
「俺は、何千枚も彼らの笑顔を撮ってきた。……でも、彼らがいなくなっちまえば、その写真はただのデータだ。色褪せた過去だ。……そう思ったら、今の景色さえも、全部色あせて見えちまって……」
プレイヤーが去り、取り残されたNPCの孤独。
それが彼の「芸術家の目」を曇らせ、世界をモノクロに変えてしまったのだ。
「……なるほどな。心のレンズが汚れちまったわけだ」
遼司は立ち上がり、帽子を被った。
「行くぞ、写楽さん。……あんたのレンズ、俺たちが磨き直してやる」
***
中央広場。
写楽の案内でやってきた遼司たちは、撮影のテストを行うことにした。
「さあ、撮ってみろ。被写体は俺たちだ」
遼司、八千代、星の三人が並ぶ。
写楽は震える手でカメラを構え、ファインダーを覗いた。
「……だめだ。やっぱり、あんたたちが灰色に見える。……やがて消えてしまう、儚い幽霊みたいに」
シャッターを切る。
出てきた写真は、やはり三人の姿だけがモノクロだった。
生気のない、死人のような写真。
八千代が、その写真を見て悲しげに目を伏せた。
(私の未来を……予言されているみたい)
その時、遼司が動いた。
彼は写楽の胸ぐらを掴み、強引に引き寄せた。
「おい、カメラマン。……俺の顔をよく見ろ」
「ひっ……!」
「俺は今、怒ってるか? 笑ってるか? 泣いてるか?」
遼司の顔は、至近距離で見ると、シワの一本一本までリアルに刻まれている。
そこには、年輪を重ねた男の「生きた感情」があった。
「……怒ってる。……でも、少し悲しそうだ」
「そうだ。俺たちは幽霊じゃねえ。今ここで、笑って、怒って、飯を食って生きてるんだ!」
遼司は、写楽の手にあるカメラを、彼の目に押し当てた。
「過去ばかり見てるから、今が色褪せるんだよ! 去っていった奴らの思い出も大事だがな……今、あんたの目の前にいる『被写体』から目を逸らすな!」
遼司の言葉に、写楽がハッとする。
ファインダー越しに見える遼司の瞳。
そこには、燃えるような「情熱の光」が宿っていた。
「……熱い。……あんたの目、熱いな」
写楽の指が、無意識に動いた。
シャッター音。
カシャッ。
出てきた写真。
そこには――夕日を浴びて、極彩色に輝く遼司のドアップが写っていた。
怒りに満ちた、しかし力強い生命力に溢れた一枚。
「……色が、戻った」
写楽は写真を見つめ、涙を流した。
「そうだ……。俺は、これを撮りたかったんだ。……過去の思い出じゃなく、今を生きる『熱』を!」
写楽の身体から、黒いノイズが消えていく。
彼の情動データが、「創造の喜び」で満たされていく。
『……解決しましたね。論理的ではありませんが、芸術とはそういうものでしょう』
カインが呆れたように呟く。
「へっ。理屈じゃねえんだよ」
遼司は写楽を離し、服を整えた。
「探偵さん……ありがとう。礼と言っちゃなんだが、あんたたちの写真を撮らせてくれ。……今度は、最高の一枚を」
写楽が吹っ切れた笑顔でカメラを構える。
「局長、八千代殿! 並んでください!」
星が気を利かせて、二人を真ん中に押しやる。
「おい、星! お前も入れよ!」
「いえ、私は女神ですので、肖像権が……」
「いいから来い!」
三人は、夕焼けの広場で身を寄せ合った。
遼司の隣で、八千代が少しだけ遠慮がちに微笑む。
「……笑え、八千代」
遼司は、八千代の肩を抱き寄せた。
「俺たちの『今』を、一番綺麗な色で残すんだ」
「……はい、あなた」
八千代は、心からの笑顔を向けた。
その瞬間、彼女の身体を一瞬だけ走ったノイズさえも、夕日の輝きに溶けて消えた。
カシャッ。
現像された写真には、世界で一番幸せそうな「家族」が写っていた。
それは決して色褪せることのない、極彩色の記憶。
「……いい写真だ」
遼司はその写真を胸ポケット――哲人からの手紙が入っていた場所――にしまった。
いつか訪れる終わりの時まで、この色を焼き付けておくために。
「帰ろう。……今日は、写真立てを買って帰らなきゃな」
「ええ。一番素敵なものを、選びましょう」
三人の背中を、写楽がいつまでも見送っていた。
ファインダー越しに見える彼らの姿は、どんな宝石よりも鮮やかに輝いていた。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




